2005年08月31日

初めての渡米〜N.Y.滞在記

New York  2005 092test.jpg

 英国には少々長い滞在とそして、何度も訪問を繰り返していました。なぜか、アメリカには行きませんでした。
 実は、元々アメリカに対しては良い印象は持っていませんでした。理由は、多くの日本人の英語学習者や一般の人が思いがちな「英語勉強するなら絶対アメリカ」という考え方に自分なりに反感を抱き敢えてアメリカに行くのを避けていたとも言えます。また、よく、アメリカ人とはなしをしていてたまに言葉の端々に出てくる自分達がNO.1という考え方が嫌いだったともいえるでしょう。全てのアメリカ人ではありませんが…。
 今回、アメリカに行く事を決意したのは別に言葉の点でもなく、何も体験が無く、イメージで結論付けるのはどうかという点と、資料とアメリカに行った事があるという経験が欲しかったという理由でした。


このアメリカ。やたらとtipのうるさい国で私は閉口しましたね。
はずんでもミスが多く、やらなければ仕事放棄か、凄みを利かせてまでtipを巻き上げるのはびっくりしました。
オーストラリアは原則tip不要です。もちろん、とてもサービスが良かったとか仕事の範疇でもないのにやってくれたとかと言う場合はあげてもいいのですが…。
英国もtip廃止の傾向にあります。超高級所は別でしょうけれど、普段、あげなかったと言って文句は余り言われません。小銭がたまるとちょっとしたカフェあたりで置いて来ました。その程度です。大体、そんな場所行きません。
アメリカはN.Y.はうるさかった。私はtip破産をするところでした。

チップについては地域によって感覚が違うみたいですね。
辟易としたのは向こうから要求してくる事です。
例えば、頼みもしないのに勝手にドアをあけてクォーター(25セント)よこせとか、JFK空港から、マンハッタンまでは$45flatと条例で決められています。有料道路使用した場合は
その料金プラスなのですが、使用するかどうかは乗客に確認の上と言う事になっています。これはタクシーの中に書いてあるし、JFK空港のタクシー乗り場にはタクシー協会の人や警察が居ましてとりしまりをしています。タクシー利用する時はその方から紙を頂き、
何か不当な事があればと言う事になっています。
このドライバーは確認もせず、さらに、チップに不満と言う事でさらに5ドル要求してきました。つまり、60ドル以上支払ったわけです。
私はこの要求に辟易としたのです。
チップの相場は15%です。それは知ってます。10%では問題が起きかねません。
旅人として郷に入れば郷に従えは、何度も海外に行っている私もわかっています。それは当たり前の事です。
このことについて、現地でNew Jerseyの方や飛行機のtransitの時にSeattle出身の方と話をする機会に恵まれましたが根本的にサービスに対する考え方と言うかそこの部分が違うんですね。日本はtipのシステムは無いと言うとそれはおかしい。サービスを受けさせてもらったんだからと言う考え方と、taxi driver、ホテルのBell Boy、レストランのウェートレスに至るまで彼らの給料は低いからサービスを受けられる私達があげなければならないという考え方。
日本はサービス料込みのケースが多いのとお客様に楽しんでいただく為にサービスをさせて頂きますの違いですかね。確かにそういう職種についている方の給料はそう高くは無いかも知れませんが仕事ですからね。tipをあげなければ何もしないというケースは私はおかしいと思いました。たとえ、tip無くてもするのが仕事だろうし、tip目当てで仕事すると言うのもなんか変? 今回私はtipだけでFurlaの4万円のバッグ買える位払ったと思います。
それからアメリカ人の方の文化・習慣の考え方の違いなんでしょうけれど彼らは給料低いからtipという施しをあげるという考え方もついていけませんでした。それでは彼らを見下げている様に思えるんです。私には。乞食ではないのですから、彼らの存在価値も認めてあげないとそんな発言出て来ないと思うんですよね。
アメリカ東部だけ特に強いんですかね。
場所にも寄るのかもしれませんが他の地方出身のアメリカ人に尋ねるとtipの事考えた事ないし、払った事もないと言う人も居ました。N.Y.だけがアメリカではないからねと念を押した人も居ました。まあそうでしょうけれど…。
でも、今後アメリカに行く気は余りしません。
飛行機の中もお客にどなったりサービスの怠慢するような航空会社は乗りたくありません。仲間内は笑顔でもお客に怖い顔するような会社は嫌です。

また、世界各国で起きているテロの影響でしょうけれど異常なほどのセキュリティチェックは閉口しました。

総じて言うと、今回のN.Y.訪問は私にとって残念なとても感傷的な気持ちの為、あまり楽しめなかったと言う事と習慣の違いからアメリカに対する印象が悪くなったといって良いと思います。これは私の一方的な考えですから、皆さんとは一線を画すと思いますが、残念な気持ちだったのは何もtipやsecurityの事だけではありません。語学、英語の事でもないんです。


 元来私は、海外渡航は一人で全部手配するのが大半でツアーは使用した事ありません。ご存知の通り、ツアーは便利だし、楽だし、見所は大体網羅してくれるのですが、自分のプランが立てられないのと時間の制約があるために殆ど使用した事が無いです。私は友人の居ない孤独な人間ですから旅もたった一人です。全てを自分一人でするのに疲れたというか、とても寂しさを感じたのです。

楽しめなかった最大の理由は寂しさです。一人旅も自由が利いていいのですが、全くの一人は寂しいのです。色々と感想を交換し合ったりする相手が欲しかったなあと益々、感傷的になってしまいました。特に、カップルとか友達同士でいる人が多いので。
私には友人も話しできる人も居ません。その寂しさを紛らわすのに色々行ったりしています。ただ、行って、凄いね、一人だといいね、好きな所に行けてと言われるとがっかりします。好きで一人で居るわけではないので…。
私の場合は一人で何もしないで居ると不安なんです。だからなんです。
普段でも日本でも一人だと入るのに断られる所かなりあります。NYなら増してありました。一人だと行きにくい所は沢山あります。まして、女性だと余計に変に思われるのです。それに耐えられないんです。

とても、寂しく辛い思いをしました。


私はきっとアメリカよりもヨーロッパがあうのかも知れない。アメリカもいいのかもしれないけれど私にはあわない様な気がします。
こんな思いをするくらいならアメリカに対しては悪印象しか残らないかもしれないけれど。

これから、少しずつ、訪れた場所について書いていきます。

意外と余り楽しめなかったN.Y.。多分今後、殆ど訪れる事は無いと思いますがそれでも少しは面白かった場面があります。
そのことを書きたいと思います。
ただ、不定期更新ですし、間にもしかしたら、見た映画のレビューなども入ってくるかも知れません。

よろしく、お願いします。





posted by diane at 23:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うー。疲れました。

一気に過去に書いた映画のレビューをこちらに移したら疲れてしまいました。



New York  2005 050test.jpg


ちなみにこの写真はニューヨークにあるサンリオショップの写真です。
ここにもキティちゃんが沢山居ますがなんとなーく、顔がきついです。
posted by diane at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「火火」サウンドトラック〜「愛の絆〜アメイジング・グレイス」

実は、これは3週間程度前に見た映画なんですが、ちゃんとしたレビューを書こうと思っていて書けなくて、3作品まとめて簡単な感想メモになったものを書きました。邦画ですがこれはお勧めです。
実は、今日はこの映画「火火」のサウンドトラックをTOWER RECORDで見つけてつい買ってしまいました。それだけこの映画の印象が強かったのと特にこの映画でテーマソングとしている「愛の絆」は「アメイジング・グレイス」をベースにしています。
私にとってこの「アメイジング・グレイス」は特別なんです。
この曲の違うバージョンを見つけては買っています。もちろんヘイリーもあります。一種のコレクションです。
ここでは、メロディを利用して日本語の詞をつけています。これがまた、とても感動的でしたのでご紹介したいと思います。
アレンジもなかなか映画を印象付けるようにとてもよくできていますので
とても素敵です。ハーモニカやギターベースです。アコースティックな感じが
私は好きです。
作詞はなぎら健壱、ヴォーカル演奏はりりィ&洋士。
愛の絆〜アメージング・グレイス
<黄色>からだがいつか風に果てて  人の胸から消えて
空の果てに小さく浮ぶ  雲になれたとしても
心の中に愛があれば   愛する気持ち持てば
君との絆  解けやしない  そういついつまでも
<水色>遠くいつか星になれて 空に弱く光り
見分けることも出来ぬ星に   星になれたとしても

<ピンク>みなも消えて空の果てに  ひとり ひとりぼっちになって
離ればなれになったとしても 愛の絆あれば
心の中に愛があれば 愛する気持ち持てば
君との絆  解けやしない  そういついつまでも
posted by diane at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

香港国際警察

今回、久々にジャッキー・チェンのアクション映画を見た。最近、映画館で公開された彼の映画の内、見に行ったのは「シャンハイ・ナイト」「メダリオン」そしてこの「香港国際警察」であるが、実は、私自身は「ポリス・ストーリー」シリーズも「ラッシュ・アワー」も見ていない。
ただ今回は、今までのジャッキー・チェンのアクション一辺倒と少し趣が異なるなあと感じた。
たとえば「シャンハイ・ヌーン」と「シャンハイ・ナイト」は作品スケールは大きくなったかも知れないが、彼自身のアクションはだいぶ少なくなっているし、今回の「香港国際警察」もカンフーアクションと言う点で見れば大幅に異なると思う。
どちらかと言うとストーリー性を大切にし、彼自身もカンフーだけのアクションに頼らず、幅の広い演技に取り組む様になったのかなと思えた。確かに製作もアクション監督、アクション設計も考え、かつ、以前のカンフーだけで興行成績が上がる様な状況になくなった今では、色々な作品のプロットを考えて、映画に撮り入れなくては行けなくなって来た事を証明している様な感じだ。単なるコメデイでもいけない。
今までの彼の映画はどちらかと言えばコメデイ路線だったが今回の作品はシリアス路線の色が非常に濃い。その為か、確かに彼のカンフーアクションシーンもあるにはあるのだが絶対数が少なくなっていると思った。
ストーリーの最初の酔いどれ駄目警部のジャッキーなんて今まででは殆ど思いつかなかったくらいだ。
製作担当者としてはある程度の興行収入を見込まなければならないので、内容も今まで通りの映画では行かないと言う事はわかっているのだろうし、この所の全アジア的韓流ブームに対抗するにはそれなりのストーリー仕立てとスケール等を考えてやらなければならない。当然、最近は中国・香港映画も活発な動きを見せており、見ごたえのある作品が増えてきた。その中でのハリウッドからの凱旋、第一作目なのである。当然、アクションもカンフーだけでなく、それだけの見ごたえのある良いストーリー、ディテールにまで気を配った作品作りがなされている点が今までのジャッキー・チェンムービーと大きく異なる点だと思う。
ハリウッドでの経験は彼にとって決してマイナス要素ではなかったのだろう。ハリウッドでも製作、特にアクション部門を任されていたのだが、あちらの映画ではそれほど彼の演技力は期待されていない。「シャンハイ」シリーズにしても相手役のオーウェン・ウィルソンがいて彼の演技が生きてきたと思う。それだけに演技の大切さを身にしみて感じたであろう彼は地元の香港で演技力に力を入れたと言って良いと思う。選んだ作品も彼自身が気に入っている「ポリス・ストーリー」物。それだけに熱の入り様も違うと言う物だ。
その上、今回はそのシリアスさに焦点が当たった分、現在の社会が抱える盲点、問題が大きくクローズ・アップされている。今回の彼の相手は、まだ20代になったかならないかの若者。どこの国でもそうだが、最近の彼らは何を次にやらかすのかわからないと言われている。その部分を取り上げたと言う事は今後の我々の社会にも一種の問題提起をしたと言えよう。
正義感よりも物があればの世界。そこに当って行くという正面斬って姿勢が今回の見所と思う。
ストーリーは現在のジャッキー・チェン演じるチャン警部の現状から始まる。彼は一年前のある事件を境に酒びたり。しかも、その事件をきっかけに停職処分まで食らっていた。ますます、酒に溺れ、社会復帰は大丈夫かと危惧される所。そんな彼の元に、唯一の部下が配属された。チャン警部は停職処分が解かれ、自分も配属されたので、世を騒がす銀行強盗たちをやっつけようとゆうもの。
話は一年前に遡る。銀行強盗グループはそのときも荒らしまわっていた。チャン警部自身は判断力、人望、射撃の名手、事件解決では失敗が無いという名声さえあり、正義感溢れる警官として信頼されていた。付き合っているホーイーとも上手く行っていて、結婚を視野に入れているという前途洋々の人物だった。この事件を任され、そして、捜査し、犯人を罠に掛け一網打尽にする計画を持っていた。所が、どうした事が、その一網打尽計画は完璧に相手側に漏れていたとしか思えない。彼は、その計画を実行する為に敵のアジトに向かってさて、これからと言う時、まんまと敵側の罠に逆にはまり、その時率いていた部下全員を敵に殺させてしまった。実は、このアジト捜索の前に彼はテレビでインタビューを受け、3時間で解決すると豪語してしまったのである。その言葉で相手側のリーダーは火が付いた。ただでさえ、警官嫌いの様相を仲間内にも見せていた彼だが血祭りに上げる決意をさせてしまったのである。チャン警部は自分の見ている前で無力にも一人、また一人と敵に殺され、婚約者のホーイーの弟さえ殺されてしまった。当然、警察内部での批判は強く、また、真面目な性格からくるのか部下を殺してしまったという自己批判で彼はお酒どっぷりの酔いどれ。タクシーにも乗車拒否をされてしまう始末だった。
そんな時に現れたなぞの部下「巡査1667」を名乗るシウホンに励まされて出勤するが周りの視線は厳しく耐えがたかった。しかし、コンピューターを得意とするササ婦警も協力しデータを集め
犯人の絞込みに励む。今度は上手く行くのか? チャン警部の立ち直りが今回の見所である。
どちらにしても新たな境地の開拓を目指すジャッキー・チェンのエンターテインメントムービー。何も偏見なしで見る事をお勧めする。



posted by diane at 22:02| Comment(1) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レオポルド・ブルームへの手紙

この映画の原題は「Leo」。だからといって決してあの有名な人気俳優の事ではありません。タイトルの人物名を短縮したもののようです。
最初から最後までこの映画を見た時に映画全体の秘密がわかるのですが、愛情に欠けた人達に勇気を与える人間愛をテーマにした作品と感じました。
実は、この作品は、有名なアイルランドの作家、ジェームズ・ジョイスの長編小説「ユリシーズ」を元に製作されていると聞きましたが、実は私自身は「ユリシーズ」を読んでいません。
以前に読もうとしたのですが、あまりの長さに閉口して読むのをあきらめてしまったというのが実態です。
ジェームズ・ジョイスと言えば英文学の分野で言えば「STREAM OF CONSCIOUSNESS」という考えの流行が20世紀初頭にあり、彼はその先端を行った作家と聞いています。そのためか、映画の作り自身も時系列的というより、時間と時間が交差するどちらかといえば次元的な作品となっています。
あまり、「ユリシーズ」を知らない私が言うのも変ですが、唯一、この作品について触れている部分が映画の中にはありました。それは、少年の母親がなぜその少年に「レオポルド」と言う名前を付けたのかと言う事を言う時にこの作品の名前が出てきます。
どちらにしても数奇な運命に翻弄され続けたレオポルドと彼を精神的に支え続けた囚人のスティーヴンとの繋がりがこの作品の見所と言うのと、作品の最初にエンディングを暗示するような伏線があるのですが、そのエンディングを知った時に初めてこの映画全体の流れが理解できるという壮大な作りになっていて、これがまさしく「ユリシーズ」が書かれた時に流行った「STREAM OF CONSCIOUSNESS」の発想なのかなと思いました。
出演は数年前に「恋に落ちたシェークスピア」で名演したジョゼフ・ファインズ。そして、少年の母親役にかつてアカデミー主演女優賞ノミネートとなったエリザベス・シュー。脇には重鎮のデニス・ホッパーや少年役には11歳とは思えない子役のデイヴィス・スウェット。
そして、時々、折に触れて出で来るとてもミシシッピー美しい景色はストーリーが激しい分、心を和ませてくれます。とにかく実力派ぞろいの名作と言って良いでしょう。この作品が、ミニシアター系公開なのが少々残念です。
ある日、ミシシッピー州の刑務所から15年の服役を終えてある男が出所してきた。まだ、出たばかりなので保護観察の身だが、若いのに15年という長い服役期間であった。彼の名はスティーヴン。本当は別の名前らしかったが、違う自分になりたいらしく、名を変えた。彼は物静かで余りにも無口。その為、周りの人からは口が利けないのではないかと思われたほどだった。
彼は、街のレストラン、ヴィックスで働き出す。彼は保護監察官から来る早々、怪しい事はするなと釘を刺されている。しかし、そんな彼にも仕事仲間ができた。同じくそのレストランで働く仲間たちだ。しかし、彼の心を本当に和ますのはレオポルド・ブルームという少年に手紙を書く事だった。彼は学校の課題で囚人に手紙を書くと言うのがあった。その中で「僕の人生は僕が生まれる前に始まった。僕は母さんの罪の烙印」と書いた。レオポルドはスティーヴンに熱心に手紙を書き続ける。彼は上記で書いた様に母親に愛される事も無く疎まれるだけで育ち、本を読むのが好きな少年だった。そんな彼は囚人のスティーヴンに手紙を書く事が楽しみだった。
なぜ、レオポルドは母親にそれほどまでに疎まれ、愛される事もなかったのか。母親のメアリーは大学教授の夫と娘の三人で幸せな毎日を送っていたが、夫の同僚の妻からの密告をきっかけに
夫を信じられなくなっていった。酒におぼれる毎日。夫の浮気を疑う毎日。そんな生活を送っていた時に、家の改修工事に来ていたペンキ職人と関係を持ってしまう。そうこうしている内に彼女は妊娠するのだった。夫は自分の潔白を晴らし、さらにしばらく出張することを彼女に告げる。彼女は出産の兆しを感じた。買い物を夫に頼み、娘と雨の中車で出かける夫。そこで、夫と娘は事故で死亡。彼女は肺の機能が未発達だが男の子を出産。目が覚めて事実を知った時、彼女は錯乱し、夫と娘が死んだのは自分のせいだと自分を責め立てる。そして、生まれた子供は、関係を持ったペンキ職人との間の子供ではないかと…。
一方、スティーヴンは、毎晩、部屋の電気が付いている事を周りの連中に怪しまれていた。彼は刑務所時代からレオポルドに手紙を書き続けている事、折を見て彼に会いに行く事などを話した。
生まれた子供はレオポルドと名づけられた。それは学生時代彼女がよく読んだ「ユリシーズ」に出てくる人物名だからという事だが…。(何しろ私は読んでいない)母親はレオポルドを愛せないでいた。未だに夫と娘が死んだのは自分のせいだと思い込んでいたからだった。しかもペンキ職人との関係は続いている。酒飲みの上に暴力を振るう。レオポルドは内向的な人間になっていった。友達もなく、本が唯一の友達。しかし、一度だけ、母親の目を盗んで野球を近所の子達とした。それが彼にとっては楽しい出来事だった。その姿を陰ながら見ていたスティーヴン。
ある日、スティーヴンの職場の女性が虐待にあっていた。それを助けたスティーヴン。助けた理由は勇気。助ける勇気を得るのに長い時間がかかった。
ここで、この話の一番のトリックが明かされるのだ。なぜスティーヴンは犯罪者の様には見えないのに15年もの服役しなければならなかったのか。これは映画を実際に見て知ってほしい部分だ。
ある日、相変わらずペンキ職人はレオポルドの母親に暴力を加えていた。大きくなったレオポルドは母親を救うため思わず、フライパンでペンキ職人を殺してしまう。当然第一級殺人罪だ。
しかし、そこに至る経緯があるので情状酌量の余地は十分あった。レオポルドは弁解もしなかった。一方、母親は、レオポルドはペンキ職人の子だと思い込んでいたが実はペンキ職人は無精子症で子供はできないのであった。レオポルドは正真正銘夫婦の子であった。陪臣もそこにいた人々も母親に対して非難の目を向ける。そこでレオポルドが弁解をすれば彼は減刑される。しかし、しないでそのまま罪を受け入れた。別な言い方をすればそれが母親に対する彼の復讐だったのだろう。刑務所に面会に来る母親。謝罪をしてもレオポルドはもう来ないでくれというだけだった。
部屋に閉じ篭り相変わらず手紙を書き続けるスティーヴン。それは本当は一体誰への手紙だったのか?
そんな時に店で事件が起きた。そっと回りも彼に気を使い、店を抜け出し思い切りミシシッピ川へ向かって走るスティーヴン。胸が苦しくなってきた。そこに現れるレオポルド。
その二人の対話は、スティーヴンの心の苦しみを開放するものだった。ようやく彼は見つけたのだ。新しい人生を…。

舞台がかなり入れ替わるのでわかりにくかったりする部分も多少あるがこの映画の最後のシーンは素晴らしかったです。それと最後の最後まで隠していたこの映画のトリック。これがわかる場面も感動的です。是非、美しい景色、本当の人間の心の触れ合いをこの作品を通して知ってもらいたい。そう思わせる作品でした。

posted by diane at 22:00| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タッチ・オブ・スパイス

家族愛の大切さと政治的な絡みで家族が一緒にいられないという状況、そして、悲しみや別れ、誰にでもあるその様な感情は、ちょっとしたユーモアやセンスで乗り切れる事もある。
この映画はそれらを料理に例えてある意味教えている様な気がした。ギリシアやトルコなどの料理、別にそこだけとは限らないがどんな料理にもスパイスは必要。人生にとってのスパイスはそのユーモアやセンスなんだということ。
一度、覚えた家族の味。これは万国共通で、どこの家庭でも少しずつ違う。それもスパイスのさじ加減。それが人生の厚みと言うか、人間の器というかそれを、表していると私はこの映画から感じ取った。
もう一つ、この映画で忘れてはならないのは戦争によって一番悲しい思いをするのは普通の人々。一般市民である。私はあまりよく知らなかったのだが東地中海において、トルコとギリシアの間にはつい最近まで、色々な確執があったと言うこと。政治に翻弄されて生きていく市民の中には、政治という名目で別れ別れにならなければならない状態になっているということ。
一緒に、隣近所に住んでいたのに、宗教が違う、民族が違う、出自が違う等などの理由で差別されたり追放されたり、果てにはその国一国の主権の取り合いまでに発展し、幼馴染と別れ、育った場所とも離れ、もしかすると、時代における政治状況の違いにより、国籍が違うと言う理由で別れ別れにされてしまう事も大幅にあると言う事。
なぜ人間は争わなければならないのか?ユーモアやセンスや愛情というちょっとしたスパイスでうまくいかないものなのだろうか?
私はこの映画はそんな単純だけれど深みのある内容をユーモアを散りばめて描写していると思う。
この映画のバックグラウンドとして一番大きいのはトルコとギリシアの関係である。隣同士の国でありながら、イスタンブールを挟んでこの二国はちょうどアジアとヨーロッパの境目に位置する。どちらも歴史の古い国である。人々の交流もかなりある。そのため、特に、イスタンブール(映画ではトルコ領に住んでいたギリシア人はこの街をコンスタンチノープルと呼んでいてこの街への郷愁を忘れない)の街ではギリシア系住民の居住もかなりある。そして、歴史のトリックのせいか、そのギリシア系住民の中には過去の諍いの結果、トルコ国籍の取得を義務付けられた人もいたはず。最近では、キプロスにおける紛争もあったはずである。また、トルコは歴史からして、雑多な民族構成になっており一番大きい問題としてはクルド人問題が挙げられるであろう。それらの事実を踏まえて作られたのが本作品である。
映画の舞台は1950年代に遡る。トルコ・ギリシア間の争いが激しかった頃だ。予備知識としてその後の60年代にはアフリカ諸国がイギリス・フランスなどの宗主国からの植民地独立を求める運動が盛んになり、独立を勝ち得た国々も多かった事も事実である。ただ、未だに政治的に不安定な国も多く内戦や、隣国との戦争が絶えないのが現状だ。当時のトルコ・ギリシアも他のヨーロッパ列強の影響が強く、対宗主国、そして、ある意味民族自決権に関わっていると言っても過言ではない。
映画の構成は場面ごとにテーマが付けられまるで料理のコースの様になっている。これもまた面白い興味深いところである。人生は料理のようなものでスパイスいかんで幾らでも変わると言った所か?
オープニングは現代。おじいちゃんがトルコから、ギリシアにやってくる。今や宇宙物理学研究者の間で有名になったファニスは幼い時から料理が得意だったが、おじいちゃんの為にとおじいちゃんに習ったスパイスを効かせた料理を作っていた。そこへおじいちゃんが病気との知らせ。ここで、物語は1950年代に戻る。
トルコのコンスタンチノープル(イスタンブール)のおじいちゃんの屋根裏部屋は様々なスパイスがあり、少年ファニスの遊び場だった。おじいちゃんはトルコに住むギリシア系住民が使うスパイスを売る店を営んでいた。おじいちゃんから習う伝統料理の事、スパイスの知識、それだけではない豊富な知識など皆おじいちゃんから習っていた。時にはそれを家で実験しては問題を起こしたりする事もあった。幼馴染の少女サイメとの淡い初恋。幼いファニスにとっては忘れがたい事だった。また、毎週日曜日には親族が集まり、大宴会となる。それも伝統であった。
そんな時、トルコ−ギリシア間でキプロス問題が起き、トルコ領内に住むギリシア人の強制退去が始まった。おじいちゃんはトルコ国籍、サイメもそうだった。ファニスの一家はギリシアへ戻らなければならない。
トルコからギリシアに移住したファニス一家。所が当のファニスは学校、ギリシアそのものに馴染めず料理にのめりこむ毎日。おじいちゃんとサイメが来ると言う連絡があったが結局は来なくなってしまった。心配した両親はファニスが台所に入るのを禁じる事になった。
しばらくして、サイメが引っ越したと聞いたファニスはサイメに会いたいというので家出を企てる。しかし、失敗。ボーイスカウトに入れられる。そこでも慰問先での売春宿での問題が起き、父親はファニスにギリシアへの愛国心を育てる様にと言われるのだった。学校に行っていた時からそうだが、長い間故国を離れて生活していると様々な面で習慣の違いが出る。また、その為の不幸な結果として差別されたりするのだった。トルコからやってきたギリシア人はトルコ人と呼ばれ、差別されていたのだ。
そんな時、色々と各地を放浪し、色々なことをファニスに教えていた叔父さんが結婚することになった。そのときファニスはホテルの厨房で働いていた。おじいちゃんが来るかもしれないという淡い希望を持ったファニス。所がおじさんの相手は料理の下手なギリシア人女性。ファニスがその紹介の場での料理を任されたのだがわざととんでもない料理を作り、結婚話を壊した。
ファニスの父はそこで怒りをぶちまけた。「おじいちゃんはあの場所が好きなんだ。特別なんだ」と。
そして、また、舞台は現代へ。ファニスは幼い時から一度も来なかったコンスタンチノープルに来た。おじいちゃんは重態。そしてついに…。
そのとき、サイメと再会した。サイメは今別居中。そして、ファニスは自分の人生に大切な物を発見した。そして、この街に職を得る決心をしたが…。
面白いのは、幼い時のサイメとファニスの会話はギリシア語かトルコ語だったのに、現代の時代になってからの二人の会話は、英語で進んでいく。英語で話すというのがまるで二人の別離を暗示していて幼い時代は終わった事を告げているようだった。
参考までにこの作品は本年度第77回アカデミー賞外国語映画賞、ギリシア代表作品である。ちなみに日本代表は「誰も知らない」である。


posted by diane at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シャーク・テイル

この作品は本年度第77回アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされていましたが、結果的には「Mr.インクレディブル」に持っていかれました。
意見はそれぞれあるかも知れませんが、私はこれは仕方ないかなと思いました。というのも決してこの作品が極端に面白くないわけではないのですが、子供向きか大人向きかどちらかと言われれば私はこれは大人向きだと思っています。
確かに子供も楽しめるのですが…。これから春休みを控えて、子供向きの作品の公開が増えていく中で、他の作品と比べればわかるのですがちょっと子供には理解が難しいかなと思われる部分があったと思います。その点では「Mr.インクレディブル」に軍配かな。
もう一つはストーリーのプロットの部分です。これを考えるとこの作品は少し複雑な側面があります。
また、海に関しての映画ですと昨年の「ファインディング・ニモ」の圧倒的な出来のすばらしさ、海がどんなに大切かという単なる娯楽の域を超えて、観客に訴える部分がとても大きかったと思います。それらの要素を考えるとやはり、「Mr.インクレディブル」のできばえは素晴らしかったといえるでしょう。あのわくわくとして見れるという所等はいうまでもありません。

この作品は決して駄作と言うわけでは無いと思いますがやはり、見劣りするかな。
良い面を敢えてあげれば声優陣の豪華メンバーと言ったところでしょうか。
これだけのスターを集めてこの内容では少し、私としては満足が足りないかな。
夜の部に行ったのですが、公開初日の他の時間帯の座席の空席状況などを見ても「Mr.インクレディブル」から見ると少し観客動員数が少ないかも知れません。何しろ、私が見たときはこのスクリーンはいつもなら夜、遅くなってもかなりの人が見に来るのですが270名以上のキャパシティがありながら30人いるかいないかの観客の入りではちょっとこれからの上映スケジュールに影響あるかも知れません。

ストーリーの内容から言えば主人公オスカーのキャラはあまり、子供に見せたくない所です。また、アンジェリーナ・ジョリーの演じたセクシーな小魚も、子供には少し不向きでは?と決して面白くない訳ではないのですが疑問の沢山残る作品でした。

しかし、映像技術や音響などはそれなりに良くできていて良かったかな。

結論的には何をするにもちょっとした勇気、それが大切とうたっていた映画だと思いました。これは人間にも言えることですね。その点では全体的に良かったと言えるでしょう。
この作品は本年度第77回アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされていましたが、結果的には「Mr.インクレディブル」に持っていかれました。
意見はそれぞれあるかも知れませんが、私はこれは仕方ないかなと思いました。というのも決してこの作品が極端に面白くないわけではないのですが、子供向きか大人向きかどちらかと言われれば私はこれは大人向きだと思っています。
確かに子供も楽しめるのですが…。これから春休みを控えて、子供向きの作品の公開が増えていく中で、他の作品と比べればわかるのですがちょっと子供には理解が難しいかなと思われる部分があったと思います。その点では「Mr.インクレディブル」に軍配かな。
もう一つはストーリーのプロットの部分です。これを考えるとこの作品は少し複雑な側面があります。
また、海に関しての映画ですと昨年の「ファインディング・ニモ」の圧倒的な出来のすばらしさ、海がどんなに大切かという単なる娯楽の域を超えて、観客に訴える部分がとても大きかったと思います。それらの要素を考えるとやはり、「Mr.インクレディブル」のできばえは素晴らしかったといえるでしょう。あのわくわくとして見れるという所等はいうまでもありません。

この作品は決して駄作と言うわけでは無いと思いますがやはり、見劣りするかな。
良い面を敢えてあげれば声優陣の豪華メンバーと言ったところでしょうか。
これだけのスターを集めてこの内容では少し、私としては満足が足りないかな。
夜の部に行ったのですが、公開初日の他の時間帯の座席の空席状況などを見ても「Mr.インクレディブル」から見ると少し観客動員数が少ないかも知れません。何しろ、私が見たときはこのスクリーンはいつもなら夜、遅くなってもかなりの人が見に来るのですが270名以上のキャパシティがありながら30人いるかいないかの観客の入りではちょっとこれからの上映スケジュールに影響あるかも知れません。

ストーリーの内容から言えば主人公オスカーのキャラはあまり、子供に見せたくない所です。また、アンジェリーナ・ジョリーの演じたセクシーな小魚も、子供には少し不向きでは?と決して面白くない訳ではないのですが疑問の沢山残る作品でした。

しかし、映像技術や音響などはそれなりに良くできていて良かったかな。

結論的には何をするにもちょっとした勇気、それが大切とうたっていた映画だと思いました。これは人間にも言えることですね。その点では全体的に良かったと言えるでしょう。
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ブリティ・プリンセス 2 〜 ロイヤル・ウェディング

この作品の前作は実は見ていません。
そう思うと、前作を見ておくべきだったなと感じました。
でも、そんな事関係無しに楽しめました。割と気楽に何も考えないで見れる映画だなと思います。プロットもそんなに難しいわけでもなく、ストーリー自身はスイスイと進んでいきます。その点では楽しめるかも知れません。
ジュリー・アンドリュース。幾つになっても綺麗ですね。本当に美しいです。
プリンセスの方のラブストーリーかと思ったら、結果的にクイーンのラブ・ストーリーになってしまいました。
ジュリー・アンドリュースの若い頃の映画の作品ははミュージカルですよね。
彼女の出演ととなると歌のシーンがあるのではと期待するのですが、一回だけでしたが、少し、ありました。とっても上手です。
全編ミュージカル映画の出演と言うのは難しいかも知れませんが、彼女の歌声聞けただけでもこの映画の価値は高いと思います。
後はお決まりのストーリーですね。アン・ハサウェイも頑張っていたし。
私はそれなりに気楽に楽しみました。


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セルラー

この作品は以前に実は見ています。国際線の飛行機の中のエンターテインメントとして見たのですが、途中から見たので、最初の経緯を知らなかったので
改めて見直しました。久々のキム・ペイジンガーの作品で、中盤から後半にかけて多少の盛り上がりはあるものの個人的な意見としては、作品全体はいまひとつかな。というか、なぜ、そんな上手い具合に電話が繋がれるのかと言うのと、余りにも短絡的に携帯に繋がった青年が応答してその通りにしてやっている(青年が軽い人だから余計に簡単に乗ってしまっているのだと思うがそれにしても…)のと、前半から中盤までの電話のやり取りでの緊迫感は多少はあるが、他の方法もあったんじゃないのかと感じたのとうーん。
飛行機で見た時は後半部分で映画全体に動きが現れていた時だったから良かったんだけどなあ。全体的に見るとだれている映画だなと感じました




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ビヨンド the シー  〜夢見るように歌えば〜

今週はこれが一番見たかったです。ケヴィン・スペイシーの吹き替え無しの歌、エンターテイナーぶり。とても良かったです。これは本当に上手いと思いました。最近はこういったミュージカル物が多いですね。でも、どうなんでしょう。俳優さんの本当の実力?なのか、多様な能力ぶりを要求されているのでしょうか。彼自身はトニー賞も受賞経験し、アカデミー賞も二度取っています。演技力は凄いし、徹底しているなあと感じました。自分で監督したんですね。そのせいもあってか、フィルムから彼のこの作品に対する入れ込みをとても良く感じました。
ミニシアター系の作品ですが、全国公開されていますので機会がある方は是非。
私自身は、ボブ・ダーリンと言う人物は初めて知りました。勉強不足でした。
でも、それを十分に補えるだけのケヴィン・スペイシーの演技でした。


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故郷の香り

初恋って忘れられないんですね。この2人は徹底的に別れてしまっていてもお互いの事が深く刻まれている。それが、故郷という場所に行く事によって自分の思い出がクローズ・アップ。そして、また、会う事によってその時の自分達を思い出すのと同時に自分達の心の清算を図る。なかなか、難しい事だと思います。中国映画ですが、日本の香川照之も出ています。聾唖者の役なのでセリフは1つもありませんが、その代わり表情等で出す、彼の演技力は素晴らしい。ここ数年、彼は色々な日本映画に出ていて、アジアの映画にも出演し始めたとは聞いていたけれど、良い味出していますね。


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「MAKOTO」「赤いアモーレ」「火火」

   「MAKOTO」を見た。最近、多いんだよね。何かこうサイコ・スリラーって言うんですか? この手の映画。霊が見えるとか、予知能力があるとか、超能力とかっての。それに冬なのになんでこんなに、ホラーとかスリラー物が多いのかな。
    「赤いアモーレ」を見た。最近まで六本木ヒルズでやっていた。非常に情熱的。主役のペネロペ・クルスに興味があるので、最近、彼女が出た映画で何を見たか考えて見ると「ゴシカ」「花咲ける騎士道」と本作品。
残念ながら彼女はスペイン人なんですが、スペインでの作品を見た事がありません。残念ながら…。しかし、色々な国の映画界にも進出大人気ですね。
スペイン語、英語、フランス語、イタリア語凄い! 会員割引の日でしたので行きました。

    「火火」を見ました。凄いですね。陶芸にかける女性の生き様。そして、自分の子供が実際に白血病になり、骨髄移植の運動をして、骨髄バンクのできるきっかけになった女性。田中裕子、迫真の演技。
そして、「アメイジング・グレイス」のアレンジされた曲が最初と最後に。
これ、映画も良いけれど曲も良いです。サントラ買おうかな。映画館で涙する人も沢山居ました。シネスイッチ銀座。 
こんな事なら先日の神山清子講演会と先行上映に行きたかったです。

本当はそれぞれちゃんとしたレビューを書きたかったんですが、最近時間が無いのと、書く意欲が失われていてこんな感じになってしまいました。
そのうち、ちゃんと書きたいとは思っているのですが…。


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ペルヴィル・ランデヴー

この作品は昨年のアカデミーにノミネートされていました。
で、最近、日本で公開されたんですね。

全体的にこの映画は私個人の感想ですが、とても、ヨーロピアンな雰囲気を持った映画だと思います。絶対にこれはハリウッドではこんな感じには作らないでしょう。とてもウィットに富んでいてセンスあるフレンチアニメーションだと思いました。

でも、映画の原題をそのまま訳すと「ペルヴィルの三つ子たち」なんですね。
で、邦題もせっかく付けてそのフランス語も付けているのだから「ランデブー」の「ブー」の部分は「ヴゥー」とかにして欲しかったなあ。できればですが…。

まず、映像はとてもexaggerateがあるにも関わらず、何ともいえずnostalgy
を感じさせる雰囲気ですね。
何と言っても特徴が殆どセリフなしで映像でストーリーを引っ張っていますから誰にでもわかる位の誇張表現は必然的な物だったかも…。
また、どこと無く映画に実写の部分をまぜそれがとても自然に溶け込んでいた事等も興味あります。

また、この中の登場人物の「おばあちゃん」が愛犬のブルーノをつれてペルヴィルの街を訪れるのですが、この街が何と言ってもアメリカのニューヨークを
もじっているのかなと思わせる様な物でした。
そして、ここで起きる出来事、何となく舞台はきっと1920〜1930年代なんでしょうけれど、マフィアのはびこる禁酒法時代を想像させ、フランス人のアメリカ人像というのが、窺い知れる所が非常に面白かったです。

音楽も非常に軽妙。いかにもフランスらしいという感じでした。

この映画の一番の特徴は上記にも述べていますが、セリフがなく、殆ど映像の動きでストーリーを引っ張っている事です。これは、少しびっくりしました。

それに、この作品は様々な映画祭に出品され、色々と賞を受賞し、時には、「ファインディング・ニモ」をも抑えたときもあるとの事。

実は、映画館でこの映画に登場する犬のぬいぐるみが販売されていたのですが
欲しかったです。(涙)

この映画はフランスとカナダとベルギーの合作映画。フランス語圏の国々が協力して作った傑作だと思いました。
posted by diane at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Uボート 最期の決断

潜水艦ものの映画と言うのは思ったより沢山ある様な気がする。でも、自分としてはそんなに見ていないと思う。映画館でも、DVDでの観賞をも含めて
自分自身は今までに「U・ボート」「レッド・オクトーバーを追え!」「K−19」ぐらいでしょうか?
こういう感じの映画はきっと余り女性向けではないんですね。きっと。というのか、昨日、この映画を見に行った時、私以外の観客が全て男性でした。
まあ、深夜12時過ぎの上映でしたから…。私の場合はこの時間帯だと安いので行ったんですよね。
この映画の全編を通して言える事はリーダーの決断の重要性、的確な判断とそのタイミング。だったと思います。随所にリーダーに対して決断を迫るシーンがありました。
やはり、タイミングを逃すと失敗し、また、信頼をいかに得るかで以って部下が上手く働き、尽くす事ができると言うのが描かれていたと思います。
特に命と名誉の掛かった戦時下と言う特殊な条件。瞬時に判断できる事が彼らには要求される事なんです。力量、信頼感、部下の気持ちを推し量れる事、リーダーに要求される事は
沢山あるんですね。特に信頼感は大きいでしょう。この部分に関しては、うちの上司に見せてやりたい!!
俳優さん、割と最近良く見かける方が出ていました。ウィリアム・H・メイシー。彼は本当によくメジャー映画に何気に出ています。この頃、見た中では、「シービスケット」、これから公開されますが
私は運良く、お先に国際便の飛行機の中で「セルラー」を見た時に出ていました。
もう一人、私が注目した俳優さんはトーマス・クレッチマンです。彼は、あの名作「戦場のピアニスト」に出ていました。他に私が見たのでは「ゴッド・ディーバ」「バイオハザード U アポカリプス」ですね。
軍隊の事は良くわかりませんが、地位の中でCHEIF OF BOATと言っていた物です。字幕でもチーフとして訳していましたが、実際はどういう地位でどこまでの権限を持ち仕事をしていたのか。もう少しわかりやすい訳はなかったのか
ということですね。
さて、ストーリーは大体の潜水艦映画が描いているのと同じ様に名誉にかけて死を選ぶか、生き延びていくかなんですが、この映画の特徴は決断と上司に対する部下の信頼です。信頼できる上司には部下は
無言で従います。その信頼をどこまで保てるか。それがリーダーたるものの器量。
第二次大戦下、ナチス・ドイツは大西洋の制海権と地中海を自由に秘密裏に作戦行動が出来るようにUボートを建造します。呼び名でこれらのUボート軍団はウルフパックと呼ばれ、恐れられていましたがUボートに勝たないと
連合国側に勝ち目はありません。そこで、米英の両首脳はUボート壊滅作戦を立て協力して行う事になりました。アメリカの潜水艦U.S.S. SWORDFISHも例外ではなく主人公のネイトを他乗組員を乗せ出発します。
しかし、艦長は実戦の経験が浅く、言わば親の七光りでなったようなもの。副長も似たり寄ったりで結局、チーフ(本当にこんな地位があったのか?)のネイトが頼り。ところが、毎日とは言わないまでもわずかの期間の間に艦長の指示で
27回もの訓練(DRILL)に部下達はあきれ果て文句が出てくる。潜水艦ですから密室だし閉鎖された空間だし、戦時下だし、疲労、不満、頻繁な訓練に艦長からの明快な回答が無いままに日々過ぎ去っていた。
ある日、副長が病気で倒れる。具合が悪かったのに軍医にも見せずただ、耐えていたのが限界に達したようだ。副長を診察した軍医は直ちに伝染性のかなり強い髄膜炎と判断。隔離を申し出る。特に発疹がその印で二人目が現れた時には
この病気の進行を止める保障は無いと言った。それを聞いたチーフのネイトは艦長にその事を伝えたが(正確に言うと聞く耳持たないから、伝染性の病気とはっきりは伝えれなかった)艦長は意に介さなかった。「生きている限りその任務に
付け」と言う事だった。
そうこうしている内に敵船に遭遇。問題は敵の魚雷(torpido)である。こちらの攻撃が功を奏したのかと思うのもつかの間、逆に反撃に会い、かなりの損失。damage reportを求めても正確な答えは無い。浸水し、船としての命は時間の問題だった。
総員退避命令が出た。皆を避難させている時に艦長の存在がない。ネイトが見に行った時、艦長は怪我が激しく、しかも髄膜炎が伝染していた。
所が敵艦のUボートが彼らを助ける。つまり、捕虜である。ここで敵艦内に亀裂が走る。敵艦の中で、このことを良く思わず艦長を信頼していない者が現れた。
助かった捕虜の中で米軍の艦長はこの事実を味方に知らせたり、色々と指示をしたりするが、こちらの中にも艦長を信頼しない者が出てきた。
髄膜炎の病気はドイツ兵にも伝染して行った。どちらの艦の艦長も部下の信頼を得られなかった。雰囲気はどんどん悪化。そんな中、アメリカの駆逐艦を発見した。捕虜達はドイツ兵の攻撃を妨害。
ところが、妨害したが、発射準備に入った魚雷は艦内に留めて置く事は出来ない。仕方なく発射された魚雷によって、このUボートはアメリカ側に発見されて今度は標的になってしまう。このUボートも駆逐艦によってかなりのダメージを受けていた。もう、長時間航行は不能。
Uボートの艦長は全員の命を救う為にどうしたらいいか考えた。ここはカリブの海域。アメリカの掌に入ったも同然。ならば協力してこのUボートを上手く航行させアメリカ側の助けを得ようというものだった。これはつまり、Uボートの降伏を意味する。
チーフのネイトは今や上司の艦長も亡くなったとなれば今度は自分が事実上のアメリカ側の艦長。部下達への説得が大変だった。それはドイツ側も同じ。「敵と手を組むとは」「憎めと教えられた相手と組めるか」と色々と
反論はあったが結局、両者、協力していく事になった。しかし、ドイツ兵の中には反乱分子がいた。彼らはアメリカ兵を殺そうとしていた。しかし、いざそれを行おうとした時、自分達の艦長を殺した。今度は副長が艦長だ。そのドサクサに紛れて反乱分子がドイツ側に打電した。
今度は、また新しいUボートが来た。そして、その一方でアメリカの駆逐艦もいる。三つ巴の中でどうなるかが面白かった。
信頼って大切ですね。
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恋に落ちる確率

2003年デンマーク作品。
ほんの一瞬で、人間はいとも簡単に恋に陥り、全てを捨てて、その人の元に行けるのだろうか?
その為に自分の周囲の物事が全て変わっているとしたら…。そんな風になっても自分がその時、直感的に運命を感じた相手に全てを託してもいいのだろうか。
これは冒険である。運命の恋を取るか、今までの自分の生活を守るか。未来はどちらにしても無限。
新人監督の手になる恋愛映画。デンマークではトリアー監督に次ぐ存在と注目されている。数々の映画祭にこの映画は出品され色々な賞を受賞している特にカメラワークの良さを認められて2003年のカンヌ国際映画祭では
カメラドール賞を受賞している。
また、撮影も全編に渡って全てロケーションによる物だと言う事も特筆できる内容であろう。
この作品を見てとても印象的だったのが、作品の始めの所と最後のエンドロールが「五線譜のラブレター」で再び再燃されている人気音楽家のコール・ポーターの「NIGHT AND DAY」が使用されていて中々微妙な雰囲気を醸し出している。
また、もう1つ面白い点は、この映画の中で、主人公の男性の運命の女性の役をしている人物と、日常生活による彼のガールフレンドの役者が同じ。すなわち、一人二役であると言うことも特筆すべき事柄かと思われる。つまり、彼女の存在は映画全体のキーポイントなだけに
同一人物を配し、それで究極の選択を主人公に迫らせ、また、メイクの変化でそれを観客に余り気づかせない? 逆に言うと気づいて欲しいのかも知れないという状態にしている。
なかなか洒落た演出だ。どちらにしても同じ女性と言う事になるのかな?
アレックスはガールフレンドのシモーネとほぼ半同棲生活。ある日彼は彼女と父親と共にレストランで食事をしていたが彼は父親が超苦手。なんとか言い訳をしてその場を去り、後で、シモーネと会う約束をした。
一方、運命の女性なのか? アイメは夫と共にコペンハーゲンに来ている。この夫は映画の中でも述べているが愛情表現が非常に下手なのである。そして、愛していながら、アイメに寂しい思いをさせてしまっていたのだ。実はこの日も夫は出かけてしまって、アイメは一人きり。
一人で、コペンハーゲンの街をうろついていた。
地下鉄駅のホームでシモーネを待っていたアレックスは彼女を見かけてたちまち一目ぼれになってしまう。そして、シモーネとの約束も忘れ、アイメの後を追いかけ、バーで話を始める。あっという間に親しくなる2人。2人ともここであっという間に
恋に落ちて、アイメのホテルで一夜を過ごす。
翌日、アレックスは目を覚まし、出かける準備をして、何気に見ていたパンフレットにメモ書きをする。「ここで13時に会おう」と書いて。彼はアイメを寝かせたままホテルを出た。その時、夫がホテルに戻ってきて、途中で彼らは顔を合わせるが当然ここでは他人なのでぶつかった事の謝罪程度にしかしない。
夫は部屋に密かに戻り、昨夜、誰かがアイメと一緒にここに泊まった事に気づき、さらにアレックスの残したメモまで見つけてしまい、落ち込むがまたこっそりと部屋を出て行くのであった。
一方、アレックスはアパートに戻るが不可解な事ばかりがこの時から頻発。自分にはさっぱりわからないのである。例えば、アレックスの部屋はなくなり、他の住人達も彼を知らないと言い、彼の友人達、そして、ガールフレンドのシモーヌでさえ彼の事は知らないという始末。
アレックスは自分の周りに何が起きたのかわからない。まるで魔法の世界にいるようだ。しかし、彼はアイメを選ぶという事はこういうことなのかと言う事を心の底で疑いつつあり、こうなってしまった以上彼の選択はアイメを選ぶしか無い様に思えた。
何が何だかわからないうちに彼は約束の時間にアイメに会いにレストランに行く。2人はデートをし、一緒にいようと誓い20時にもう一度会ってここを離れようとしていた。
ホテルを出ようとするアイメ。出発の準備をしている時に夫が帰ってくる。アイメは夫に別れを告げて去ろうとする。夫はなんとか引きとめようと必死に説明し自分はとてもアイメを愛しているのだが不器用な為に上手く表現できないでいる事を告げる。しかし、アイメは夫の元を去る。
一方、アレックスも、魔法の世界にいる様な感覚でいるのだがやはりアイメと共に行く事を決めて、どんなにアレックスの事を知らないと言ってもガールフレンドのシモーヌの元に行き、別れを告げようとした。所が、なんとシモーヌから離れられない自分。約束の時間はもうすぐ。
アレックスは果たしてどちらの選択をするのか?   アイメと行けば魔法の世界、シモーヌを選べば現実の世界。アレックスには苛酷な瞬間だ。
人間にここまで究極の選択をさせるのは本当に辛い話だ。
作品全編に渡ってこういうトリック的な要素をずっと散らばせる手法は中々興味深かった。
また、映画の中で使われた音楽も中々タイミングよく使われていて印象深いものであった。
一体、人間が運命の恋と信じれる、決意できる瞬間ていつ、どんなシチュエーションなんだろうか?
考えさせる作品である。
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ユートピア

最近、よく思うのだが、「未来が見える」とか「人の見えない何かが見える」「死後の世界」という類の一種のサイコ・サスペンスが多い様な気がする。
この話もやはり見えてしまう人間の苦しみや、その特殊な能力を持つ故に苛まれる運命。あるのかも知れないけれど、近年こういう映画が洋の東西を問わずに
製作され、公開されるというのは流行なのか?  それとも、我々人間が未来に何かの不安を感じ、それをこういう形に表しているのか、とても不思議な感じがする。
あまり、見えすぎても怖いのだろうな。
この作品は2003年のスペイン・フランス合作映画。
この映画のタイトルの「ユートピア」は意味的に言えば「理想郷」。我々はそれを目指して戦い、悩みもし、憧れ、想像し、苦難にも耐えるのだが、果たしてあるのだろうか?
この作品の最後では「きっとある」と言っているがそうだろうか。
予知能力のある人達のグループ「ユートピア」。未来が見え過ぎると見えなくても良い事まで見えてしまい、それが悪夢となる。このグループはそうした見える事を悪夢に変え無いようにする、未来を予言しても良い方面に生かす
と言うのがこのグループの目的。
このグループに入っているアドリアンはマドリッドで毎日、悪夢に悩まされ続けていた。それは、警察の敷地が爆破され、ちょうどそこに居合わせた母子が巻き添えで命を落とすというものだった。それを予言にしに警察に行ったのだが
警察はまともに受け取らない。ちょうどその時その事故が起きた。
6年後、アドリアンはグループとの接点も絶ち、ひっそりと暮らしていたが、ある日、突然かつてのユートピアの仲間が、彼の元を訪ねた。仲間のリーダー的存在のサミュエルが病気で大変な状態にあることを告げる。
彼は、急いでサミュエルのいるサラマンカに向かいサミュエルに会う。サミュエルはこの能力のために世間に馴染めないでいたアドリアンを迎え入れてくれてアドリアンは「ユートピア」というグループの中で能力を伸ばしていた。
サムュエルは彼に「予知能力を悪夢に変えるな」というのだった。つまりアドリアンは現在、自分の能力を持て余し、その能力のために大勢の人間が死んでいくのだが何も出来ない自分に歯がゆさを感じ、それに苛まれていたのだった。
アドリアンは予知の夢の中で死んでいく子供を抱いた一人の女性が南米にいる姿が目の前にちらついて仕方が無かった。サミュエルは彼に、彼の為だけでなく、彼女の為にも、探し出せというのだった。実は彼女の名前はアンヘラで
スペインでは裕福な家庭の一人娘だという。彼女は南米でボランティア活動をしている時にカルト的ゲリラ集団に拉致誘拐され、マインドコントロールを受けて、そこの一員として活動していた。
一方、6年前警察で爆破事件で家族を失い、片目になってしまった刑事のエルヴェはアンヘラの母親から捜索願いを受けていた。彼は事実、こういう拉致被害者の救済の仕事を警察内でしていた。
そこで、アンヘラの動向を調べ始める。アドリアンは能力やわずかな情報で、アンヘラがスペイン国内にいる事をつかみ、彼女に接触を図る。彼女に見つかって銃口を向けられたアドリアンは「君のためだ。ここから逃げろ」と言うだけだったが
マインドコントロールを受けている彼女は彼を信じる事が出来ない。そんな所にゲリラのリーダーが現れ、彼を捕まえる。捕まえられた彼とアンヘラは少しずつ言葉を交わしながら心を通わすのであった。しかし、リーダーは彼の処刑を決めていた。
何となくグループのやり方に不信感を抱いていたアンヘラは処刑の場で偽り、アドリアンを助けるのであった。そして、彼女自身も脱退しようとした。アドリアン達はテロリスト達から狙われる立場になった。
アンヘラはアドリアンの元へと行き、安らぎの場を見つけようとする。アドリアンは、少しずつアンヘラに心を開き、自分の能力の事、自分のグループ「ユートピア」の事を語ろうとする。
そんな時、警察のエルヴェはアンヘラとアドリアンが一緒であることを突き止め、彼らを捕まえようと追い回し始める。そして、激しいカーチェイス。その後…。

予言をする時の様子はどの映画でもなんか手がかりとなる様な物を壁等に一杯に張り、予言の様子を紙に書くのだなと思った。
なんか、本当にこんな感じの映画が多いような気がするが気のせいか?
posted by diane at 21:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キス・オブ・ライフ

003年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式招待作品。
人間が突然、死を迎えた時という内容の映画は沢山あるが、これもまた、死を迎えた時、自分の周りの愛する人達への思いの強さというのを表現している映画だなと感じた。
実際、この映画で死んだ主人公のヘレンは自分自身、死んだという状況を受け入れる事が出来ずに魂が現世に残っていく。
子供と言うのはなんて敏感なのだろう。彼女の魂の気配を感じて、色々な動きを見せる。
しかし、人間は実際に死を目の当たりにするまで、極めて日常的な当たり前の事がどんなに大切なのかと言う事を気づかないでいる事が非常に多い。その意味でこの映画はとても意義のあるものだと思う。
それを、我々に再認識させてくれるから。
でも、この映画は、この非日常的な「死」と言うのは実は家族のどのメンバーにも目の前にぶら下がっている物なのだ。映画の始めの方で家族の普通の生活を営んでいるシーンがあるが、何気ないシーンなので
見過ごしがちであるが、実はこの映画全体のトーンを決めていると言っていいと思う。ここでも、既に各メンバーが自分達自身が死と隣り合わせにいる事をさりげなく描いているのだが、皆、誰も気づいていない。
ここで言う各メンバーが「死」が目の前にぶら下がっていると言うのは家族5人のうち、主人公である母の存在は「死」を実際に迎え、祖父は人間には必ずしも逃れられない老化による「死」、夫は危険な地帯に仕事で出かけていて常に「死」と
隣り合わせ。子供達2人のうち、特に下の男の子は実際に母の死の現場を見てしまう。でも、こんなに「死」がこの家族を、現実の我々を取り巻いていても普段は何も考えない所が怖いところである。
家族、今、日本では崩壊の危機にあると言われているが、その絆の深さ、一番、会いたい人一番大切な人に、いざと言うときに誰に最後のキスを送りたいのかと言う事を実際の死を以って描いていると思う。
これは、一昨年、日本で公開された「死ぬまでにしたい10のこと」と何となく繋がりを感じる。最もこの作品は主人公は「死」を見据えて自分の大切な事を整理し行っていくことだが、「キス・オブ・ライフ」は「実際に死んでから自分に
遣り残した物を感じて魂は現世に残り、それが果たされるまで存在するというアプローチの違いはあるが。

主人公のヘレンは自分の父親と子供2人とロンドンに住んでいる。夫のジョンは東欧の戦争状態の激しい地域に派遣され救援活動の仕事についていて普段は家にいない。その日もいつもと同じ様に事は進んでいくはずだった。
しばらく家族の元に帰って来ないジョンの事をヘレンは考え、今までも約束していても帰って来ない夫だったが今度こそ、夫の帰りを待っていた。連絡しても今回も何やら難しい様子。なぜそれにとらわれるかと言うと今週末は彼女の誕生日であった。
しばらく会っていない夫。家族間の繋がりが何となくチグハグになっていくのを恐れているヘレンにしてみれば自分の誕生日と言う事以上に家族間の繋がりをしっくり生かせるためにも彼の帰り、存在は必要と感じていた。
何かを感じたのか、ジョンは「仕事が自分を必要としている!」と言って電話を切るのだが、心の中に何か不安を感じたのだろう。突然、帰ると言い出して帰国の途に着いた。しかし、ここは危険地帯。途中まで国連のスタッフが付いてくれたが
その後はどうなるかわからない。この後、彼は、さまざまな事件に遭遇するのだ。これから彼に起こる事件と家族に起こる事件の関連性、死と隣り合わせの恐怖を描くのに、ヘレンの視点と交互するように描かれていて少しわかりにくいかもしれないが
いつもの朝、ヘレンは娘のボーイフレンドの事で色々と悩み、また、父親はコーヒー1つ満足に入れられない。息子のテリーを学校まで送り、いつもの様に帰ろうとしていた。所がこの日に限って息子のテリーは母親の姿が消えると同時に学校に入らず
その辺りをぶらぶらしている。ヘレンは自分が今どうしていいのかわからない悩みの真っ只中。家庭内の出来事の全てが自分に覆い被さってきている様な感覚。ジョンと一緒に写っている写真を眺めながらヘレンは道路に立ち尽くす。その瞬間
ヘレンは車に跳ねられて重態。その瞬間を見た息子のテリーは心の中に刻み込まれ、その重圧からずーっと逃れられなくなる。つまり、その瞬間を見た後、そのままにしてしまい逃げてしまったからだ。小さいながらも罪悪感に駆られるテリー。
病院に運ばれ、死を家族に告げられる。子供達の祖父であるヘレンの父親はその事をジョンに告げようとしたが、一方、ジョンも危険地帯の中で、大変な思いをしていた。携帯は取り上げられ、ジョンはヘレンの死を知らない。ここからがジョンの
苦難の旅の始まりだった。
ヘレンは目覚める。しかし、それは死後の世界。魂だけが現世にいるのだ。自分自身も何が起きているのかわからない。ジョンの姿を見かけたり、また、暗く沈んでいる家族を見てなぜなのかを考えたり。
これ以降は話がとても複雑で、ヘレンの家族に対する愛情とジョンに会いたいという情熱の為に魂が色々な所に飛んでいく。一方ジョンも、夢の中でヘレンと会い、自分自身の意識もトリップしたりする。しかし、そんな出来事の中で、ヘレンの魂は何とか家族間の繋がり
を持とうというシーンが沢山出てくる。上の娘ケイトと髪を結んであげるシーン。夢に悩ませられている息子のテリーに優しい言葉をかけてやるヘレン。ここで、今まで上手くいかなかった家族生活を埋め合わせするかの様な感じだ。
そして、家で問題が起きた。蛇口が壊れ、水が出しっぱなし。家中水浸しだ。家族総出で掃除をした。そして、全てを元に帰すように…。全てを洗い流すように。
苦労に苦労を重ねて、ジョンがロンドンの家に帰ってくる。ヘレンとジョンは玄関で最愛で最後のキスをする。そして、今まで言えなかった言葉を互いに交わすのである。
そして、ヘレンの魂は安らかになっていくのだった。

この映画の家族を思いやる気持ち。誰を待っていたのか、何をしたかったのか、これを探るのがテーマなのだが、魂のトリップの仕方と、家族各人の夢の様子がリアルなんだけれども、入り乱れて
少し、わかりにくい部分があるかも知れないが、人間の愛の深さを再認識するには良い映画だと思う。
posted by diane at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アンナとロッテ

この作品を見て特に最後はなんて可哀想なんだろう。時代のトリックってなんて残酷なんだろうと感じました。
見ていた人の中には涙ぐむ人も少々。
2002年オランダ映画。2004年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。
作品を見に行った時は公開初日でしたので、「ダヴ」のトリュフチョコレートを頂きました。まだ、食べていないけれど…。
人間の浅ましい部分、打算的な部分。人間を人間と思っていない人達。時代が人々を弄ぶ。この時代、特に、第二次世界大戦前後の時代は色々と翻弄された人は
かなりいるはず。その一例に過ぎないのかもしれないけれど、やはり、なんて時代って、環境って悲しい、それによって本当は互いに愛しているはずなのに、互いに仲良くならなくてはならないのに
恨まなくてはならないなんて残酷。
確かに悪い時代と言ってしまえば簡単だけれどこう言った不条理な戦争の存在、人々の心を何年も死ぬまで苦しめていくもの、こう言った物
を人間は本当に芯から望んでいるんだろうか?
この映画は歴史的事実の中に埋もれた人間の歴史の物語。人間の歴史。ヨーロッパではかなり原作が売れたとの事ですが、表現しがたい数奇な運命、苛酷な人生を歩む事を余儀なくされた双子の姉妹の
劇的である意味、芸術的美しさを持たして描いた一品。
アンナとロッテは双子の姉妹。幸せな毎日を送っていたが、ある日、両親が死に、彼らは両親の葬式もそこそこに別々の家に引き取られていった。
この別々に離して引き取ろうと大人が決めていく所を見ていたら本当に人間て義務なんだろうけれど打算的なんだなと強く感じました。
互いに名を呼び合って別れていくシーンは非常に切ない。
アンナはドイツの農家の家に引き取られ、学校に行く事も許されず毎日、こき使われ、労働の毎日だった。農家が無理してでも引き取りたいと言ったのは奴隷の様にこき使う事の出来る人間が欲しかったんだと思う。
一方、ロッテはオランダの裕福な家庭に養女として引き取られとても愛情深く育てられた。
しかし、離れてしまっても会いたい気持ちは同じ。互いに手紙を書き合うが養っている家の保護者によって、わざと連絡不能の状態にし、互いに相手を忘れさせようとした。
年月は過ぎ去り、ロッテは、進学して大学で音楽と自分の母国語であるドイツ語を勉強していた。アンナは、農家の家の酷い仕打ちから逃れ、メイドの仕事を得て自活の道に進んでいた。
ますます、ドイツの台頭により、ヨーロッパが戦場の気配を強くしていったのもこの時代である。当然ドイツはナチスの影響で反ユダヤの旗を掲げる。
一般のドイツ人達も思想的に感化され始めたのもこのころだ。
ある日、ロッテは養父母たちがわざと手紙を出さないでいた事を知り、自分の養父母に怒りをぶつける。そして、ロッテはドイツの名門貴族の家にメイドとして働くアンナの元へ訪問する。
わずかな時間だがお互いの思い、生死の確認をしあった二人。ロッテは一緒にオランダに来ないかとアンナに話を持ちかけるが、伯爵家に対する恩義からそれを断る。
実はロッテにはオランダで同じ音楽の道を歩んでいた男性と恋人同士の関係にあった。二人で一緒に過ごせる最後の日、ロッテはアンナに一枚の写真を見せる。そこには婚約者の顔があった。
それを見たアンナは思わず「ユダヤ人?」と訊いてしまった。この一言がロッテにとってはショックであった。ロッテは悲しみを抱いたままドイツを去った。その日以来ロッテはアンナに対して何となく拒絶の意思を表していく。
これは政治的に仕方の無い部分だなと私は感じた。ドイツにいるアンナにとってしかも政府の要衝にいる家でメイドをしている身分としてはユダヤ人に対する嫌悪感、そこまで行かなくてもユダヤ人を避けるという言動は仕方の無いものなんだろうと思う。
そして、それを言われたロッテは自分の愛する人を否定されたようでとても悲しい思いだろう。そして、アンナを何となく避けてしまうのも仕方の無い事かも知れない。しかし、アンナはなぜロッテがと腑に落ちないのである。
この政治が人間関係を崩すと言うのは本当に悲しい出来事である。
そして、アンナは機会があってナチスの将校と結婚し、ロッテはユダヤ人の音楽家と結婚し幸せな道をそれぞれ歩んでいた。
ある日、ロッテの婚約者はユダヤ人と言うことで収容所に引き取られる。アンナも夫が戦争で遠くに派遣されるという事で互いに愛する人の帰りをひたすら待った。
互いに戦争終結をそして、一方は反ドイツ・ナチスの思いを募らせ、一方はますますナチスに洗脳されていくのだった。しかし、互いに平和を願う気持ちには変わりは無かった。
悲劇はここからなのだ。
この悲劇は実際に作品を見て理解して欲しい。
特に、ラストの15分は本当に泣けてきます。
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ライフ・イズ・コメデイ! ピーター・セラーズの愛し方

名優が名優を演じる!! これは最高の演技であり、映画である。と私は思っています。今回のこの映画は本当に最高でした。ストーリー自身も、まあ、一人の偉大な人物の伝記ですから、いいのですが演じる人間が
駄目だと全部、崩れてしまう。これはそんな事はなく、主役を勤めたジェフリー・ラッシュの最高の渾身の演技とまるで、彼がピーター・セラーズの様でした。
今、考えるとピーター・セラーズは名優と言われていますが、色々と苦労していたんですね。しかも、かなり若い頃から心臓が悪くてペースメーカーを入れたりして頑張っていたなんて知りませんでした。
でも、彼は余りにも天才過ぎたために神に召されるのもかなり早かったんですね。何しろ54歳の若さだったというのですから。
ピーター・セラーズと言えば「ピンクパンサー・シリーズ」が有名でそれも何作か製作してある。私は不勉強でこれ位しか知らなかったのですが名前だけは知っていた「博士の異常な愛情」「カジノロワイヤル」とかに出演していたんですね。
本当に無知でした。でも、彼は本当にそれらの映画の出演、確かに彼の天才的も言える喜劇の才能でやっていた他の喜劇作品の出演だけで満足していたんでしょうか? 私はこの映画のラストを見て、本当に彼のやりたい映画、出演したい映画は他にあって
たとえ興行的に失敗してもやりたい物はあるような気がするんですね。
確かに彼の喜劇は、大ヒットだったと思います。しかし、彼の才能、希望は違う所にあり、仕方なくやっていたのでは無いでしょうか?
本当にもったいないと思いました。彼は我侭だとか色々と悪意のある噂もありましたけれどそれは彼の才能がスバ抜けていた為に起きた事なのではないでしょうか。
興行的に成功するからと言う目先の金儲けだけを考えて彼に仕事のオファーをしてくる人達。彼の本来の才能が生かせなかったというのは残念です。
しかし、彼がコメデイの一時代を築き、今に至っているという偉大な功績は映画史の中でも燦然と輝くものなのです。
また、彼は、家庭的には余り恵まれてはいなかったんですね。彼の仕事への原動力は常に母親からの応援。
彼が仕事で成功すればするほど彼の家庭生活は悲惨なものになっていく。実際に彼は四回、結婚したとの事ですがどれも余りうまくいかなかったようです。しかし、彼は常に女性を求めていたんですね。母親のみならず他の女性から仕事へのパワーが欲しかったんだと思います。
家庭と仕事のバランス、彼には難しかったんでしょうね。惜しい俳優を亡くしました。
さて、ここで、ピーター・セラーズの役をやったのはジェフリー・ラッシュ。彼は「シャイン」でアカデミー主演男優賞、その他もろもろの賞を総なめにしたとの事ですがやはり、彼の演技というか、
演技にかける情熱。素晴らしいです。まるで生前のピーター・セラーズがいるみたい。彼自身がなりきってしまったんですね。映画のどの部分を見てもジェフリー・ラッシュではなくピーター・セラーズがいたのですから。とにかくそっくり。
映画そのものもとても面白かったです。これは彼の実力以外の何物でもありません。はまり役です。ここまで自分を殺して演技できるのも彼の才能なんでしょう。
共演陣としてはシャーリーズ・セロン。いま、とても人気ですね。色々な映画に出ています。彼女もやはり、アカデミー俳優。素晴らしいです。
映画自身で面白かったのは時代背景の工夫でしょうか?  その時代時代に合わせたセッティングはより、映画を魅力的にしてくれました。
それから、ピーター・セラーズが演じた映画の再現では、その時のフィルムの一部を使ったのでしょうか? 
一番時代を反映するのは音楽。その音楽も時代に即した懐かしいものばかり。何から何までピーター・セラーズの時代、そのものでした。
ストーリーは、いかにしてピーター・セラーズが名声を築くか、そして、仕事と自分の才能、家庭生活のバランス。ここを描くのに苦労したと思います。
かれは下積み生活の長い役者。始めはラジオの人気コメデイ番組の出演をしていた。しかし、彼の希望はこれだけではない。きちんとした役者になる事。しかし、彼のこのキャリアが、容姿が悉く彼のチャンスを潰していく。
しかし、ある日、彼は奇抜な方法でオーディションを受けた所、採用。そこから彼の役者人生が始まった。俳優として英国アカデミー賞最優秀男優賞も受賞する位にまでなったかれは共演者のソフィア・ローレンに惹かれる。ソフィアは彼をたしなめるが彼はますますその気になってしまう。
家庭騒動になった。今までの彼を支えていたのは両親もそうだが妻の存在。そして、子供達。つまり家庭だった。あきれた妻は家を出て、両親だけが彼の精神的支えだった。
ある日占い師が、彼に「孤独は駄目。何人もの美女が彼の前に現れる」と囁かれ、彼はその言葉を信じ、女性との浮名を次々と流す。
彼には、1つ問題があった。英国では人気があるけれどアメリカでは…。ハリウッドで名を売らないと駄目。そんな時に出たのが「ピンクの豹」これが主役以上の人気を得てしまったが自分的には納得いかない。そんな時父親の入院、そして別れがあった。
彼の私生活は乱れた。一方、彼にはキューブリック作品のオファーがあり「博士の異常な愛情」であった。彼はそれに挑み、名演技を披露した。
一方で、彼にはピンクパンサーシリーズのオファーがあった。喜劇から遠ざかりたかった彼は返事が出来ない。渋っている時に、スタジオと組んでいる例の占い師に「B・E」と言う人物に会う。その人を大切にしろ」といわれた。所がここで問題。
彼の前にスウェーデンから来たブリット・エクランド会う。彼女もB・Eだ。彼は誤解し、彼女を口説き落とし終には結婚。新婚旅行で幸せをかみ締めていた彼だがそこで生涯を通じての持病の心臓発作が起きる。さて、彼のキャリアはどうなるのか。
新婚の妻との関係はどうなるのか。ここからが彼の成功でありながら悲劇的な部分なのである。

とにかく、この映画は単純な有名人の伝記映画ではない人生はいつどうなるかわからないというドラマ的な部分を述べているのがポイントである。
ピーター・セラーズ、波乱万丈な人生。その中でどう生きてきたか。それがテーマ。
また、この映画で名演技を披露してくれたジェフリー・ラッシュ(パイレーツ・オブ・カリビアンにも出ている。)。彼の演技も光り輝いていた。
ちなみに原題は「THE LIFE AND DEATH OF PETER SELLERS」
posted by diane at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サスペクト・ゼロ

サスペクト」=容疑者。それが「ゼロ」と言う事は、その犯罪における容疑者が全く捜査線上に出て来ないと言う事。動機や手口なども良くわからず犯罪だけで見れば
見事な芸術的犯罪といえるのかもしれないが犯罪が起きた以上、絶対に犯人はいるのであり、いないということは無い。ただその正体を隠すのが非常に巧みであるという事だ。
これもまた、何とも言えない、人間的に見れば哀れな一種のホラー・ムービーと言えよう。
しかし、今年は何でこんなに沢山この時期にホラームービーが一挙に公開されるのか? 大作がお正月に公開されずに年明けから公開されたのはなぜか? ちょっと疑問が残る。
通常ホラーといえば「夏!」と相場が決まっていたのに、今は「冬」です。変ですね。まあ、こんな事は後回しという事で…。
アメリカと言う国は本当に色々な犯罪が起きますね。一年間の行方不明者の数、そして、迷宮入りの事件の数、ただ事ではありません。しかも、アメリカは国土が広いから幾つもの州に
別れていて、それぞれ独自の行政機関があり、州の法律も違う。当然、警察組織も違うし、やり方や、逮捕の基準等も違うのでしょう。そういった縦割り式の捜査網のループホールを見つけて
州の枠を超えて犯罪は行われる。犯罪に国境は無い。そう言った、やり方の矛盾ややりずらさを無くす為にFBIという国家的警察組織が出来た。
これはアメリカ国内で行われる州を跨いだ広い地域での犯罪捜査を円滑に行うために設けられた組織である。当然、こういった組織がある以上、ある程度の犯罪検挙、または犯罪捜査率を上げなければならない。
そうする為にさまざまなプロジェクトも行われたと伝説的には聞くが、今回の映画もそのプロジェクトに関係していると思われる物である。
少し、神がかりな感じはするが、科学的根拠に基づいて行われたプロジェクト。そのプロジェクトに関係した人物が、いる。プロジェクトは崩壊しても関係者は事と次第によっては抹殺されたりする事もあるだろうが
この場合は放置に近いと思う。やるのなら後始末はきちんとやって欲しいなと思いますが、でも人間を利用しているんですからもう少し気遣いが必要かなと思いました。
メインの出演者は豪華ですね。よく、捜査ものに出演しているアーロン・エッカート。「マトリックス」で特に有名なキャリー=アン・モス。そして、重鎮のベン・キングズリー。特にベン・キングズリーの演技は見事です。
悲哀というか、自分は何なのか、どうしたらいいのか、そして他人と精神同調した時のあの悲しさを表す表情等はとても見る価値大です。
ただ、こういう話はあまりと言う方は怖いので余り、お勧めしません。
ニューメキシコの田舎に左遷されたFBI捜査官のマッケルウェイ。転勤初日から色々な出来事に遭遇する。まず、一件の殺人事件。そして、二件目、三件目。方法や、殺害された人物達に共通点はないけれど1つだけ
例外があった。それはどの死体にも「SUSPECT ZERO」のマークが…。そして、立て続けに資料が彼宛にFAXで送信され続ける。そこで、田舎ではなくダラス支局から捜査官が派遣されてきた。共通点があるために。
その捜査官は過去にマッケルウェイと付き合っていた事もあり、彼の事を良く知っていた。彼女と共に「SUSPECT ZERO」のマークを手がかりに捜査をするのだが何の進展も見られない。ひたすらイライラ感が募るだけであった。
そして、犯行に関連するようなスケッチやメモ、資料がどんどん彼の元へ。誰が送っているのかもわからずひたすら、苦労しているだけ。彼は頭痛を訴える。
そんな時、捜査線上に自称元FBI捜査官と名乗る男、オライアンが浮かび上がる。そして、「サスペクト・ゼロ」ということからこれらの殺害された人物は捜査が進展するにつれて連続殺人犯の犯人だという共通点が出てきた。
今までの捜査で彼らのことは容疑者リストにも載らなかったのになぜオライアンが出来たのか。なぜ、わかったのか。この殺害された人達を殺したのはオライアンなのか? 謎が謎を呼び事件は混迷していく。
そして、なぜ、オライアンはFBIと名乗るのか? そこで「イカロス計画」というのが浮かび上がる。これは過去にあった計画だったがもう、無くなったも同然の封印された物。これはどんな計画なのか? オライアンとこの計画との関係はどうなっているのか?
調べると「イカロス計画」と言うのはある種の特殊な能力を持った人物のを選び彼らを訓練し、能力を伸ばし軍事目的や、迷宮入り事件の捜査に当てるという物だった。どうやらオライアンはその生き残りらしい。しかし彼はそこで鍛えられた能力をどうする事も
出来ずにいたのだった。その中で新たな事件が起ころうとしているオライアンはそれを予知している。
他の捜査官は彼を信じていないし、逆に逮捕したがっているが、マッケルウェイ達は違った。オライアンを交えて新たなる犯罪にどう対処していくのか。オライアンが感じる犠牲者達の悲鳴。オライアンはどうなるのか。どうしたいのか。
最後に関しては、彼らの演技の見所と映画の核心部分なので見ていただきたい。ただ、なぜこれらがわかったのかと新たなる犯人像を掘り下げる所、オライアンの悲哀については特に重要ポイントだと思う。
スリラー、ホラー物の中でも久しぶりのサイコ物。衝撃は大きい。
posted by diane at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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