2005年08月31日

初めての渡米〜N.Y.滞在記

New York  2005 092test.jpg

 英国には少々長い滞在とそして、何度も訪問を繰り返していました。なぜか、アメリカには行きませんでした。
 実は、元々アメリカに対しては良い印象は持っていませんでした。理由は、多くの日本人の英語学習者や一般の人が思いがちな「英語勉強するなら絶対アメリカ」という考え方に自分なりに反感を抱き敢えてアメリカに行くのを避けていたとも言えます。また、よく、アメリカ人とはなしをしていてたまに言葉の端々に出てくる自分達がNO.1という考え方が嫌いだったともいえるでしょう。全てのアメリカ人ではありませんが…。
 今回、アメリカに行く事を決意したのは別に言葉の点でもなく、何も体験が無く、イメージで結論付けるのはどうかという点と、資料とアメリカに行った事があるという経験が欲しかったという理由でした。


このアメリカ。やたらとtipのうるさい国で私は閉口しましたね。
はずんでもミスが多く、やらなければ仕事放棄か、凄みを利かせてまでtipを巻き上げるのはびっくりしました。
オーストラリアは原則tip不要です。もちろん、とてもサービスが良かったとか仕事の範疇でもないのにやってくれたとかと言う場合はあげてもいいのですが…。
英国もtip廃止の傾向にあります。超高級所は別でしょうけれど、普段、あげなかったと言って文句は余り言われません。小銭がたまるとちょっとしたカフェあたりで置いて来ました。その程度です。大体、そんな場所行きません。
アメリカはN.Y.はうるさかった。私はtip破産をするところでした。

チップについては地域によって感覚が違うみたいですね。
辟易としたのは向こうから要求してくる事です。
例えば、頼みもしないのに勝手にドアをあけてクォーター(25セント)よこせとか、JFK空港から、マンハッタンまでは$45flatと条例で決められています。有料道路使用した場合は
その料金プラスなのですが、使用するかどうかは乗客に確認の上と言う事になっています。これはタクシーの中に書いてあるし、JFK空港のタクシー乗り場にはタクシー協会の人や警察が居ましてとりしまりをしています。タクシー利用する時はその方から紙を頂き、
何か不当な事があればと言う事になっています。
このドライバーは確認もせず、さらに、チップに不満と言う事でさらに5ドル要求してきました。つまり、60ドル以上支払ったわけです。
私はこの要求に辟易としたのです。
チップの相場は15%です。それは知ってます。10%では問題が起きかねません。
旅人として郷に入れば郷に従えは、何度も海外に行っている私もわかっています。それは当たり前の事です。
このことについて、現地でNew Jerseyの方や飛行機のtransitの時にSeattle出身の方と話をする機会に恵まれましたが根本的にサービスに対する考え方と言うかそこの部分が違うんですね。日本はtipのシステムは無いと言うとそれはおかしい。サービスを受けさせてもらったんだからと言う考え方と、taxi driver、ホテルのBell Boy、レストランのウェートレスに至るまで彼らの給料は低いからサービスを受けられる私達があげなければならないという考え方。
日本はサービス料込みのケースが多いのとお客様に楽しんでいただく為にサービスをさせて頂きますの違いですかね。確かにそういう職種についている方の給料はそう高くは無いかも知れませんが仕事ですからね。tipをあげなければ何もしないというケースは私はおかしいと思いました。たとえ、tip無くてもするのが仕事だろうし、tip目当てで仕事すると言うのもなんか変? 今回私はtipだけでFurlaの4万円のバッグ買える位払ったと思います。
それからアメリカ人の方の文化・習慣の考え方の違いなんでしょうけれど彼らは給料低いからtipという施しをあげるという考え方もついていけませんでした。それでは彼らを見下げている様に思えるんです。私には。乞食ではないのですから、彼らの存在価値も認めてあげないとそんな発言出て来ないと思うんですよね。
アメリカ東部だけ特に強いんですかね。
場所にも寄るのかもしれませんが他の地方出身のアメリカ人に尋ねるとtipの事考えた事ないし、払った事もないと言う人も居ました。N.Y.だけがアメリカではないからねと念を押した人も居ました。まあそうでしょうけれど…。
でも、今後アメリカに行く気は余りしません。
飛行機の中もお客にどなったりサービスの怠慢するような航空会社は乗りたくありません。仲間内は笑顔でもお客に怖い顔するような会社は嫌です。

また、世界各国で起きているテロの影響でしょうけれど異常なほどのセキュリティチェックは閉口しました。

総じて言うと、今回のN.Y.訪問は私にとって残念なとても感傷的な気持ちの為、あまり楽しめなかったと言う事と習慣の違いからアメリカに対する印象が悪くなったといって良いと思います。これは私の一方的な考えですから、皆さんとは一線を画すと思いますが、残念な気持ちだったのは何もtipやsecurityの事だけではありません。語学、英語の事でもないんです。


 元来私は、海外渡航は一人で全部手配するのが大半でツアーは使用した事ありません。ご存知の通り、ツアーは便利だし、楽だし、見所は大体網羅してくれるのですが、自分のプランが立てられないのと時間の制約があるために殆ど使用した事が無いです。私は友人の居ない孤独な人間ですから旅もたった一人です。全てを自分一人でするのに疲れたというか、とても寂しさを感じたのです。

楽しめなかった最大の理由は寂しさです。一人旅も自由が利いていいのですが、全くの一人は寂しいのです。色々と感想を交換し合ったりする相手が欲しかったなあと益々、感傷的になってしまいました。特に、カップルとか友達同士でいる人が多いので。
私には友人も話しできる人も居ません。その寂しさを紛らわすのに色々行ったりしています。ただ、行って、凄いね、一人だといいね、好きな所に行けてと言われるとがっかりします。好きで一人で居るわけではないので…。
私の場合は一人で何もしないで居ると不安なんです。だからなんです。
普段でも日本でも一人だと入るのに断られる所かなりあります。NYなら増してありました。一人だと行きにくい所は沢山あります。まして、女性だと余計に変に思われるのです。それに耐えられないんです。

とても、寂しく辛い思いをしました。


私はきっとアメリカよりもヨーロッパがあうのかも知れない。アメリカもいいのかもしれないけれど私にはあわない様な気がします。
こんな思いをするくらいならアメリカに対しては悪印象しか残らないかもしれないけれど。

これから、少しずつ、訪れた場所について書いていきます。

意外と余り楽しめなかったN.Y.。多分今後、殆ど訪れる事は無いと思いますがそれでも少しは面白かった場面があります。
そのことを書きたいと思います。
ただ、不定期更新ですし、間にもしかしたら、見た映画のレビューなども入ってくるかも知れません。

よろしく、お願いします。





posted by diane at 23:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うー。疲れました。

一気に過去に書いた映画のレビューをこちらに移したら疲れてしまいました。



New York  2005 050test.jpg


ちなみにこの写真はニューヨークにあるサンリオショップの写真です。
ここにもキティちゃんが沢山居ますがなんとなーく、顔がきついです。
posted by diane at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画「火火」サウンドトラック〜「愛の絆〜アメイジング・グレイス」

実は、これは3週間程度前に見た映画なんですが、ちゃんとしたレビューを書こうと思っていて書けなくて、3作品まとめて簡単な感想メモになったものを書きました。邦画ですがこれはお勧めです。
実は、今日はこの映画「火火」のサウンドトラックをTOWER RECORDで見つけてつい買ってしまいました。それだけこの映画の印象が強かったのと特にこの映画でテーマソングとしている「愛の絆」は「アメイジング・グレイス」をベースにしています。
私にとってこの「アメイジング・グレイス」は特別なんです。
この曲の違うバージョンを見つけては買っています。もちろんヘイリーもあります。一種のコレクションです。
ここでは、メロディを利用して日本語の詞をつけています。これがまた、とても感動的でしたのでご紹介したいと思います。
アレンジもなかなか映画を印象付けるようにとてもよくできていますので
とても素敵です。ハーモニカやギターベースです。アコースティックな感じが
私は好きです。
作詞はなぎら健壱、ヴォーカル演奏はりりィ&洋士。
愛の絆〜アメージング・グレイス
<黄色>からだがいつか風に果てて  人の胸から消えて
空の果てに小さく浮ぶ  雲になれたとしても
心の中に愛があれば   愛する気持ち持てば
君との絆  解けやしない  そういついつまでも
<水色>遠くいつか星になれて 空に弱く光り
見分けることも出来ぬ星に   星になれたとしても

<ピンク>みなも消えて空の果てに  ひとり ひとりぼっちになって
離ればなれになったとしても 愛の絆あれば
心の中に愛があれば 愛する気持ち持てば
君との絆  解けやしない  そういついつまでも
posted by diane at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

香港国際警察

今回、久々にジャッキー・チェンのアクション映画を見た。最近、映画館で公開された彼の映画の内、見に行ったのは「シャンハイ・ナイト」「メダリオン」そしてこの「香港国際警察」であるが、実は、私自身は「ポリス・ストーリー」シリーズも「ラッシュ・アワー」も見ていない。
ただ今回は、今までのジャッキー・チェンのアクション一辺倒と少し趣が異なるなあと感じた。
たとえば「シャンハイ・ヌーン」と「シャンハイ・ナイト」は作品スケールは大きくなったかも知れないが、彼自身のアクションはだいぶ少なくなっているし、今回の「香港国際警察」もカンフーアクションと言う点で見れば大幅に異なると思う。
どちらかと言うとストーリー性を大切にし、彼自身もカンフーだけのアクションに頼らず、幅の広い演技に取り組む様になったのかなと思えた。確かに製作もアクション監督、アクション設計も考え、かつ、以前のカンフーだけで興行成績が上がる様な状況になくなった今では、色々な作品のプロットを考えて、映画に撮り入れなくては行けなくなって来た事を証明している様な感じだ。単なるコメデイでもいけない。
今までの彼の映画はどちらかと言えばコメデイ路線だったが今回の作品はシリアス路線の色が非常に濃い。その為か、確かに彼のカンフーアクションシーンもあるにはあるのだが絶対数が少なくなっていると思った。
ストーリーの最初の酔いどれ駄目警部のジャッキーなんて今まででは殆ど思いつかなかったくらいだ。
製作担当者としてはある程度の興行収入を見込まなければならないので、内容も今まで通りの映画では行かないと言う事はわかっているのだろうし、この所の全アジア的韓流ブームに対抗するにはそれなりのストーリー仕立てとスケール等を考えてやらなければならない。当然、最近は中国・香港映画も活発な動きを見せており、見ごたえのある作品が増えてきた。その中でのハリウッドからの凱旋、第一作目なのである。当然、アクションもカンフーだけでなく、それだけの見ごたえのある良いストーリー、ディテールにまで気を配った作品作りがなされている点が今までのジャッキー・チェンムービーと大きく異なる点だと思う。
ハリウッドでの経験は彼にとって決してマイナス要素ではなかったのだろう。ハリウッドでも製作、特にアクション部門を任されていたのだが、あちらの映画ではそれほど彼の演技力は期待されていない。「シャンハイ」シリーズにしても相手役のオーウェン・ウィルソンがいて彼の演技が生きてきたと思う。それだけに演技の大切さを身にしみて感じたであろう彼は地元の香港で演技力に力を入れたと言って良いと思う。選んだ作品も彼自身が気に入っている「ポリス・ストーリー」物。それだけに熱の入り様も違うと言う物だ。
その上、今回はそのシリアスさに焦点が当たった分、現在の社会が抱える盲点、問題が大きくクローズ・アップされている。今回の彼の相手は、まだ20代になったかならないかの若者。どこの国でもそうだが、最近の彼らは何を次にやらかすのかわからないと言われている。その部分を取り上げたと言う事は今後の我々の社会にも一種の問題提起をしたと言えよう。
正義感よりも物があればの世界。そこに当って行くという正面斬って姿勢が今回の見所と思う。
ストーリーは現在のジャッキー・チェン演じるチャン警部の現状から始まる。彼は一年前のある事件を境に酒びたり。しかも、その事件をきっかけに停職処分まで食らっていた。ますます、酒に溺れ、社会復帰は大丈夫かと危惧される所。そんな彼の元に、唯一の部下が配属された。チャン警部は停職処分が解かれ、自分も配属されたので、世を騒がす銀行強盗たちをやっつけようとゆうもの。
話は一年前に遡る。銀行強盗グループはそのときも荒らしまわっていた。チャン警部自身は判断力、人望、射撃の名手、事件解決では失敗が無いという名声さえあり、正義感溢れる警官として信頼されていた。付き合っているホーイーとも上手く行っていて、結婚を視野に入れているという前途洋々の人物だった。この事件を任され、そして、捜査し、犯人を罠に掛け一網打尽にする計画を持っていた。所が、どうした事が、その一網打尽計画は完璧に相手側に漏れていたとしか思えない。彼は、その計画を実行する為に敵のアジトに向かってさて、これからと言う時、まんまと敵側の罠に逆にはまり、その時率いていた部下全員を敵に殺させてしまった。実は、このアジト捜索の前に彼はテレビでインタビューを受け、3時間で解決すると豪語してしまったのである。その言葉で相手側のリーダーは火が付いた。ただでさえ、警官嫌いの様相を仲間内にも見せていた彼だが血祭りに上げる決意をさせてしまったのである。チャン警部は自分の見ている前で無力にも一人、また一人と敵に殺され、婚約者のホーイーの弟さえ殺されてしまった。当然、警察内部での批判は強く、また、真面目な性格からくるのか部下を殺してしまったという自己批判で彼はお酒どっぷりの酔いどれ。タクシーにも乗車拒否をされてしまう始末だった。
そんな時に現れたなぞの部下「巡査1667」を名乗るシウホンに励まされて出勤するが周りの視線は厳しく耐えがたかった。しかし、コンピューターを得意とするササ婦警も協力しデータを集め
犯人の絞込みに励む。今度は上手く行くのか? チャン警部の立ち直りが今回の見所である。
どちらにしても新たな境地の開拓を目指すジャッキー・チェンのエンターテインメントムービー。何も偏見なしで見る事をお勧めする。



posted by diane at 22:02| Comment(1) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レオポルド・ブルームへの手紙

この映画の原題は「Leo」。だからといって決してあの有名な人気俳優の事ではありません。タイトルの人物名を短縮したもののようです。
最初から最後までこの映画を見た時に映画全体の秘密がわかるのですが、愛情に欠けた人達に勇気を与える人間愛をテーマにした作品と感じました。
実は、この作品は、有名なアイルランドの作家、ジェームズ・ジョイスの長編小説「ユリシーズ」を元に製作されていると聞きましたが、実は私自身は「ユリシーズ」を読んでいません。
以前に読もうとしたのですが、あまりの長さに閉口して読むのをあきらめてしまったというのが実態です。
ジェームズ・ジョイスと言えば英文学の分野で言えば「STREAM OF CONSCIOUSNESS」という考えの流行が20世紀初頭にあり、彼はその先端を行った作家と聞いています。そのためか、映画の作り自身も時系列的というより、時間と時間が交差するどちらかといえば次元的な作品となっています。
あまり、「ユリシーズ」を知らない私が言うのも変ですが、唯一、この作品について触れている部分が映画の中にはありました。それは、少年の母親がなぜその少年に「レオポルド」と言う名前を付けたのかと言う事を言う時にこの作品の名前が出てきます。
どちらにしても数奇な運命に翻弄され続けたレオポルドと彼を精神的に支え続けた囚人のスティーヴンとの繋がりがこの作品の見所と言うのと、作品の最初にエンディングを暗示するような伏線があるのですが、そのエンディングを知った時に初めてこの映画全体の流れが理解できるという壮大な作りになっていて、これがまさしく「ユリシーズ」が書かれた時に流行った「STREAM OF CONSCIOUSNESS」の発想なのかなと思いました。
出演は数年前に「恋に落ちたシェークスピア」で名演したジョゼフ・ファインズ。そして、少年の母親役にかつてアカデミー主演女優賞ノミネートとなったエリザベス・シュー。脇には重鎮のデニス・ホッパーや少年役には11歳とは思えない子役のデイヴィス・スウェット。
そして、時々、折に触れて出で来るとてもミシシッピー美しい景色はストーリーが激しい分、心を和ませてくれます。とにかく実力派ぞろいの名作と言って良いでしょう。この作品が、ミニシアター系公開なのが少々残念です。
ある日、ミシシッピー州の刑務所から15年の服役を終えてある男が出所してきた。まだ、出たばかりなので保護観察の身だが、若いのに15年という長い服役期間であった。彼の名はスティーヴン。本当は別の名前らしかったが、違う自分になりたいらしく、名を変えた。彼は物静かで余りにも無口。その為、周りの人からは口が利けないのではないかと思われたほどだった。
彼は、街のレストラン、ヴィックスで働き出す。彼は保護監察官から来る早々、怪しい事はするなと釘を刺されている。しかし、そんな彼にも仕事仲間ができた。同じくそのレストランで働く仲間たちだ。しかし、彼の心を本当に和ますのはレオポルド・ブルームという少年に手紙を書く事だった。彼は学校の課題で囚人に手紙を書くと言うのがあった。その中で「僕の人生は僕が生まれる前に始まった。僕は母さんの罪の烙印」と書いた。レオポルドはスティーヴンに熱心に手紙を書き続ける。彼は上記で書いた様に母親に愛される事も無く疎まれるだけで育ち、本を読むのが好きな少年だった。そんな彼は囚人のスティーヴンに手紙を書く事が楽しみだった。
なぜ、レオポルドは母親にそれほどまでに疎まれ、愛される事もなかったのか。母親のメアリーは大学教授の夫と娘の三人で幸せな毎日を送っていたが、夫の同僚の妻からの密告をきっかけに
夫を信じられなくなっていった。酒におぼれる毎日。夫の浮気を疑う毎日。そんな生活を送っていた時に、家の改修工事に来ていたペンキ職人と関係を持ってしまう。そうこうしている内に彼女は妊娠するのだった。夫は自分の潔白を晴らし、さらにしばらく出張することを彼女に告げる。彼女は出産の兆しを感じた。買い物を夫に頼み、娘と雨の中車で出かける夫。そこで、夫と娘は事故で死亡。彼女は肺の機能が未発達だが男の子を出産。目が覚めて事実を知った時、彼女は錯乱し、夫と娘が死んだのは自分のせいだと自分を責め立てる。そして、生まれた子供は、関係を持ったペンキ職人との間の子供ではないかと…。
一方、スティーヴンは、毎晩、部屋の電気が付いている事を周りの連中に怪しまれていた。彼は刑務所時代からレオポルドに手紙を書き続けている事、折を見て彼に会いに行く事などを話した。
生まれた子供はレオポルドと名づけられた。それは学生時代彼女がよく読んだ「ユリシーズ」に出てくる人物名だからという事だが…。(何しろ私は読んでいない)母親はレオポルドを愛せないでいた。未だに夫と娘が死んだのは自分のせいだと思い込んでいたからだった。しかもペンキ職人との関係は続いている。酒飲みの上に暴力を振るう。レオポルドは内向的な人間になっていった。友達もなく、本が唯一の友達。しかし、一度だけ、母親の目を盗んで野球を近所の子達とした。それが彼にとっては楽しい出来事だった。その姿を陰ながら見ていたスティーヴン。
ある日、スティーヴンの職場の女性が虐待にあっていた。それを助けたスティーヴン。助けた理由は勇気。助ける勇気を得るのに長い時間がかかった。
ここで、この話の一番のトリックが明かされるのだ。なぜスティーヴンは犯罪者の様には見えないのに15年もの服役しなければならなかったのか。これは映画を実際に見て知ってほしい部分だ。
ある日、相変わらずペンキ職人はレオポルドの母親に暴力を加えていた。大きくなったレオポルドは母親を救うため思わず、フライパンでペンキ職人を殺してしまう。当然第一級殺人罪だ。
しかし、そこに至る経緯があるので情状酌量の余地は十分あった。レオポルドは弁解もしなかった。一方、母親は、レオポルドはペンキ職人の子だと思い込んでいたが実はペンキ職人は無精子症で子供はできないのであった。レオポルドは正真正銘夫婦の子であった。陪臣もそこにいた人々も母親に対して非難の目を向ける。そこでレオポルドが弁解をすれば彼は減刑される。しかし、しないでそのまま罪を受け入れた。別な言い方をすればそれが母親に対する彼の復讐だったのだろう。刑務所に面会に来る母親。謝罪をしてもレオポルドはもう来ないでくれというだけだった。
部屋に閉じ篭り相変わらず手紙を書き続けるスティーヴン。それは本当は一体誰への手紙だったのか?
そんな時に店で事件が起きた。そっと回りも彼に気を使い、店を抜け出し思い切りミシシッピ川へ向かって走るスティーヴン。胸が苦しくなってきた。そこに現れるレオポルド。
その二人の対話は、スティーヴンの心の苦しみを開放するものだった。ようやく彼は見つけたのだ。新しい人生を…。

舞台がかなり入れ替わるのでわかりにくかったりする部分も多少あるがこの映画の最後のシーンは素晴らしかったです。それと最後の最後まで隠していたこの映画のトリック。これがわかる場面も感動的です。是非、美しい景色、本当の人間の心の触れ合いをこの作品を通して知ってもらいたい。そう思わせる作品でした。

posted by diane at 22:00| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タッチ・オブ・スパイス

家族愛の大切さと政治的な絡みで家族が一緒にいられないという状況、そして、悲しみや別れ、誰にでもあるその様な感情は、ちょっとしたユーモアやセンスで乗り切れる事もある。
この映画はそれらを料理に例えてある意味教えている様な気がした。ギリシアやトルコなどの料理、別にそこだけとは限らないがどんな料理にもスパイスは必要。人生にとってのスパイスはそのユーモアやセンスなんだということ。
一度、覚えた家族の味。これは万国共通で、どこの家庭でも少しずつ違う。それもスパイスのさじ加減。それが人生の厚みと言うか、人間の器というかそれを、表していると私はこの映画から感じ取った。
もう一つ、この映画で忘れてはならないのは戦争によって一番悲しい思いをするのは普通の人々。一般市民である。私はあまりよく知らなかったのだが東地中海において、トルコとギリシアの間にはつい最近まで、色々な確執があったと言うこと。政治に翻弄されて生きていく市民の中には、政治という名目で別れ別れにならなければならない状態になっているということ。
一緒に、隣近所に住んでいたのに、宗教が違う、民族が違う、出自が違う等などの理由で差別されたり追放されたり、果てにはその国一国の主権の取り合いまでに発展し、幼馴染と別れ、育った場所とも離れ、もしかすると、時代における政治状況の違いにより、国籍が違うと言う理由で別れ別れにされてしまう事も大幅にあると言う事。
なぜ人間は争わなければならないのか?ユーモアやセンスや愛情というちょっとしたスパイスでうまくいかないものなのだろうか?
私はこの映画はそんな単純だけれど深みのある内容をユーモアを散りばめて描写していると思う。
この映画のバックグラウンドとして一番大きいのはトルコとギリシアの関係である。隣同士の国でありながら、イスタンブールを挟んでこの二国はちょうどアジアとヨーロッパの境目に位置する。どちらも歴史の古い国である。人々の交流もかなりある。そのため、特に、イスタンブール(映画ではトルコ領に住んでいたギリシア人はこの街をコンスタンチノープルと呼んでいてこの街への郷愁を忘れない)の街ではギリシア系住民の居住もかなりある。そして、歴史のトリックのせいか、そのギリシア系住民の中には過去の諍いの結果、トルコ国籍の取得を義務付けられた人もいたはず。最近では、キプロスにおける紛争もあったはずである。また、トルコは歴史からして、雑多な民族構成になっており一番大きい問題としてはクルド人問題が挙げられるであろう。それらの事実を踏まえて作られたのが本作品である。
映画の舞台は1950年代に遡る。トルコ・ギリシア間の争いが激しかった頃だ。予備知識としてその後の60年代にはアフリカ諸国がイギリス・フランスなどの宗主国からの植民地独立を求める運動が盛んになり、独立を勝ち得た国々も多かった事も事実である。ただ、未だに政治的に不安定な国も多く内戦や、隣国との戦争が絶えないのが現状だ。当時のトルコ・ギリシアも他のヨーロッパ列強の影響が強く、対宗主国、そして、ある意味民族自決権に関わっていると言っても過言ではない。
映画の構成は場面ごとにテーマが付けられまるで料理のコースの様になっている。これもまた面白い興味深いところである。人生は料理のようなものでスパイスいかんで幾らでも変わると言った所か?
オープニングは現代。おじいちゃんがトルコから、ギリシアにやってくる。今や宇宙物理学研究者の間で有名になったファニスは幼い時から料理が得意だったが、おじいちゃんの為にとおじいちゃんに習ったスパイスを効かせた料理を作っていた。そこへおじいちゃんが病気との知らせ。ここで、物語は1950年代に戻る。
トルコのコンスタンチノープル(イスタンブール)のおじいちゃんの屋根裏部屋は様々なスパイスがあり、少年ファニスの遊び場だった。おじいちゃんはトルコに住むギリシア系住民が使うスパイスを売る店を営んでいた。おじいちゃんから習う伝統料理の事、スパイスの知識、それだけではない豊富な知識など皆おじいちゃんから習っていた。時にはそれを家で実験しては問題を起こしたりする事もあった。幼馴染の少女サイメとの淡い初恋。幼いファニスにとっては忘れがたい事だった。また、毎週日曜日には親族が集まり、大宴会となる。それも伝統であった。
そんな時、トルコ−ギリシア間でキプロス問題が起き、トルコ領内に住むギリシア人の強制退去が始まった。おじいちゃんはトルコ国籍、サイメもそうだった。ファニスの一家はギリシアへ戻らなければならない。
トルコからギリシアに移住したファニス一家。所が当のファニスは学校、ギリシアそのものに馴染めず料理にのめりこむ毎日。おじいちゃんとサイメが来ると言う連絡があったが結局は来なくなってしまった。心配した両親はファニスが台所に入るのを禁じる事になった。
しばらくして、サイメが引っ越したと聞いたファニスはサイメに会いたいというので家出を企てる。しかし、失敗。ボーイスカウトに入れられる。そこでも慰問先での売春宿での問題が起き、父親はファニスにギリシアへの愛国心を育てる様にと言われるのだった。学校に行っていた時からそうだが、長い間故国を離れて生活していると様々な面で習慣の違いが出る。また、その為の不幸な結果として差別されたりするのだった。トルコからやってきたギリシア人はトルコ人と呼ばれ、差別されていたのだ。
そんな時、色々と各地を放浪し、色々なことをファニスに教えていた叔父さんが結婚することになった。そのときファニスはホテルの厨房で働いていた。おじいちゃんが来るかもしれないという淡い希望を持ったファニス。所がおじさんの相手は料理の下手なギリシア人女性。ファニスがその紹介の場での料理を任されたのだがわざととんでもない料理を作り、結婚話を壊した。
ファニスの父はそこで怒りをぶちまけた。「おじいちゃんはあの場所が好きなんだ。特別なんだ」と。
そして、また、舞台は現代へ。ファニスは幼い時から一度も来なかったコンスタンチノープルに来た。おじいちゃんは重態。そしてついに…。
そのとき、サイメと再会した。サイメは今別居中。そして、ファニスは自分の人生に大切な物を発見した。そして、この街に職を得る決心をしたが…。
面白いのは、幼い時のサイメとファニスの会話はギリシア語かトルコ語だったのに、現代の時代になってからの二人の会話は、英語で進んでいく。英語で話すというのがまるで二人の別離を暗示していて幼い時代は終わった事を告げているようだった。
参考までにこの作品は本年度第77回アカデミー賞外国語映画賞、ギリシア代表作品である。ちなみに日本代表は「誰も知らない」である。


posted by diane at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シャーク・テイル

この作品は本年度第77回アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされていましたが、結果的には「Mr.インクレディブル」に持っていかれました。
意見はそれぞれあるかも知れませんが、私はこれは仕方ないかなと思いました。というのも決してこの作品が極端に面白くないわけではないのですが、子供向きか大人向きかどちらかと言われれば私はこれは大人向きだと思っています。
確かに子供も楽しめるのですが…。これから春休みを控えて、子供向きの作品の公開が増えていく中で、他の作品と比べればわかるのですがちょっと子供には理解が難しいかなと思われる部分があったと思います。その点では「Mr.インクレディブル」に軍配かな。
もう一つはストーリーのプロットの部分です。これを考えるとこの作品は少し複雑な側面があります。
また、海に関しての映画ですと昨年の「ファインディング・ニモ」の圧倒的な出来のすばらしさ、海がどんなに大切かという単なる娯楽の域を超えて、観客に訴える部分がとても大きかったと思います。それらの要素を考えるとやはり、「Mr.インクレディブル」のできばえは素晴らしかったといえるでしょう。あのわくわくとして見れるという所等はいうまでもありません。

この作品は決して駄作と言うわけでは無いと思いますがやはり、見劣りするかな。
良い面を敢えてあげれば声優陣の豪華メンバーと言ったところでしょうか。
これだけのスターを集めてこの内容では少し、私としては満足が足りないかな。
夜の部に行ったのですが、公開初日の他の時間帯の座席の空席状況などを見ても「Mr.インクレディブル」から見ると少し観客動員数が少ないかも知れません。何しろ、私が見たときはこのスクリーンはいつもなら夜、遅くなってもかなりの人が見に来るのですが270名以上のキャパシティがありながら30人いるかいないかの観客の入りではちょっとこれからの上映スケジュールに影響あるかも知れません。

ストーリーの内容から言えば主人公オスカーのキャラはあまり、子供に見せたくない所です。また、アンジェリーナ・ジョリーの演じたセクシーな小魚も、子供には少し不向きでは?と決して面白くない訳ではないのですが疑問の沢山残る作品でした。

しかし、映像技術や音響などはそれなりに良くできていて良かったかな。

結論的には何をするにもちょっとした勇気、それが大切とうたっていた映画だと思いました。これは人間にも言えることですね。その点では全体的に良かったと言えるでしょう。
この作品は本年度第77回アカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされていましたが、結果的には「Mr.インクレディブル」に持っていかれました。
意見はそれぞれあるかも知れませんが、私はこれは仕方ないかなと思いました。というのも決してこの作品が極端に面白くないわけではないのですが、子供向きか大人向きかどちらかと言われれば私はこれは大人向きだと思っています。
確かに子供も楽しめるのですが…。これから春休みを控えて、子供向きの作品の公開が増えていく中で、他の作品と比べればわかるのですがちょっと子供には理解が難しいかなと思われる部分があったと思います。その点では「Mr.インクレディブル」に軍配かな。
もう一つはストーリーのプロットの部分です。これを考えるとこの作品は少し複雑な側面があります。
また、海に関しての映画ですと昨年の「ファインディング・ニモ」の圧倒的な出来のすばらしさ、海がどんなに大切かという単なる娯楽の域を超えて、観客に訴える部分がとても大きかったと思います。それらの要素を考えるとやはり、「Mr.インクレディブル」のできばえは素晴らしかったといえるでしょう。あのわくわくとして見れるという所等はいうまでもありません。

この作品は決して駄作と言うわけでは無いと思いますがやはり、見劣りするかな。
良い面を敢えてあげれば声優陣の豪華メンバーと言ったところでしょうか。
これだけのスターを集めてこの内容では少し、私としては満足が足りないかな。
夜の部に行ったのですが、公開初日の他の時間帯の座席の空席状況などを見ても「Mr.インクレディブル」から見ると少し観客動員数が少ないかも知れません。何しろ、私が見たときはこのスクリーンはいつもなら夜、遅くなってもかなりの人が見に来るのですが270名以上のキャパシティがありながら30人いるかいないかの観客の入りではちょっとこれからの上映スケジュールに影響あるかも知れません。

ストーリーの内容から言えば主人公オスカーのキャラはあまり、子供に見せたくない所です。また、アンジェリーナ・ジョリーの演じたセクシーな小魚も、子供には少し不向きでは?と決して面白くない訳ではないのですが疑問の沢山残る作品でした。

しかし、映像技術や音響などはそれなりに良くできていて良かったかな。

結論的には何をするにもちょっとした勇気、それが大切とうたっていた映画だと思いました。これは人間にも言えることですね。その点では全体的に良かったと言えるでしょう。
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ブリティ・プリンセス 2 〜 ロイヤル・ウェディング

この作品の前作は実は見ていません。
そう思うと、前作を見ておくべきだったなと感じました。
でも、そんな事関係無しに楽しめました。割と気楽に何も考えないで見れる映画だなと思います。プロットもそんなに難しいわけでもなく、ストーリー自身はスイスイと進んでいきます。その点では楽しめるかも知れません。
ジュリー・アンドリュース。幾つになっても綺麗ですね。本当に美しいです。
プリンセスの方のラブストーリーかと思ったら、結果的にクイーンのラブ・ストーリーになってしまいました。
ジュリー・アンドリュースの若い頃の映画の作品ははミュージカルですよね。
彼女の出演ととなると歌のシーンがあるのではと期待するのですが、一回だけでしたが、少し、ありました。とっても上手です。
全編ミュージカル映画の出演と言うのは難しいかも知れませんが、彼女の歌声聞けただけでもこの映画の価値は高いと思います。
後はお決まりのストーリーですね。アン・ハサウェイも頑張っていたし。
私はそれなりに気楽に楽しみました。


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セルラー

この作品は以前に実は見ています。国際線の飛行機の中のエンターテインメントとして見たのですが、途中から見たので、最初の経緯を知らなかったので
改めて見直しました。久々のキム・ペイジンガーの作品で、中盤から後半にかけて多少の盛り上がりはあるものの個人的な意見としては、作品全体はいまひとつかな。というか、なぜ、そんな上手い具合に電話が繋がれるのかと言うのと、余りにも短絡的に携帯に繋がった青年が応答してその通りにしてやっている(青年が軽い人だから余計に簡単に乗ってしまっているのだと思うがそれにしても…)のと、前半から中盤までの電話のやり取りでの緊迫感は多少はあるが、他の方法もあったんじゃないのかと感じたのとうーん。
飛行機で見た時は後半部分で映画全体に動きが現れていた時だったから良かったんだけどなあ。全体的に見るとだれている映画だなと感じました




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ビヨンド the シー  〜夢見るように歌えば〜

今週はこれが一番見たかったです。ケヴィン・スペイシーの吹き替え無しの歌、エンターテイナーぶり。とても良かったです。これは本当に上手いと思いました。最近はこういったミュージカル物が多いですね。でも、どうなんでしょう。俳優さんの本当の実力?なのか、多様な能力ぶりを要求されているのでしょうか。彼自身はトニー賞も受賞経験し、アカデミー賞も二度取っています。演技力は凄いし、徹底しているなあと感じました。自分で監督したんですね。そのせいもあってか、フィルムから彼のこの作品に対する入れ込みをとても良く感じました。
ミニシアター系の作品ですが、全国公開されていますので機会がある方は是非。
私自身は、ボブ・ダーリンと言う人物は初めて知りました。勉強不足でした。
でも、それを十分に補えるだけのケヴィン・スペイシーの演技でした。


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故郷の香り

初恋って忘れられないんですね。この2人は徹底的に別れてしまっていてもお互いの事が深く刻まれている。それが、故郷という場所に行く事によって自分の思い出がクローズ・アップ。そして、また、会う事によってその時の自分達を思い出すのと同時に自分達の心の清算を図る。なかなか、難しい事だと思います。中国映画ですが、日本の香川照之も出ています。聾唖者の役なのでセリフは1つもありませんが、その代わり表情等で出す、彼の演技力は素晴らしい。ここ数年、彼は色々な日本映画に出ていて、アジアの映画にも出演し始めたとは聞いていたけれど、良い味出していますね。


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「MAKOTO」「赤いアモーレ」「火火」

   「MAKOTO」を見た。最近、多いんだよね。何かこうサイコ・スリラーって言うんですか? この手の映画。霊が見えるとか、予知能力があるとか、超能力とかっての。それに冬なのになんでこんなに、ホラーとかスリラー物が多いのかな。
    「赤いアモーレ」を見た。最近まで六本木ヒルズでやっていた。非常に情熱的。主役のペネロペ・クルスに興味があるので、最近、彼女が出た映画で何を見たか考えて見ると「ゴシカ」「花咲ける騎士道」と本作品。
残念ながら彼女はスペイン人なんですが、スペインでの作品を見た事がありません。残念ながら…。しかし、色々な国の映画界にも進出大人気ですね。
スペイン語、英語、フランス語、イタリア語凄い! 会員割引の日でしたので行きました。

    「火火」を見ました。凄いですね。陶芸にかける女性の生き様。そして、自分の子供が実際に白血病になり、骨髄移植の運動をして、骨髄バンクのできるきっかけになった女性。田中裕子、迫真の演技。
そして、「アメイジング・グレイス」のアレンジされた曲が最初と最後に。
これ、映画も良いけれど曲も良いです。サントラ買おうかな。映画館で涙する人も沢山居ました。シネスイッチ銀座。 
こんな事なら先日の神山清子講演会と先行上映に行きたかったです。

本当はそれぞれちゃんとしたレビューを書きたかったんですが、最近時間が無いのと、書く意欲が失われていてこんな感じになってしまいました。
そのうち、ちゃんと書きたいとは思っているのですが…。


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ペルヴィル・ランデヴー

この作品は昨年のアカデミーにノミネートされていました。
で、最近、日本で公開されたんですね。

全体的にこの映画は私個人の感想ですが、とても、ヨーロピアンな雰囲気を持った映画だと思います。絶対にこれはハリウッドではこんな感じには作らないでしょう。とてもウィットに富んでいてセンスあるフレンチアニメーションだと思いました。

でも、映画の原題をそのまま訳すと「ペルヴィルの三つ子たち」なんですね。
で、邦題もせっかく付けてそのフランス語も付けているのだから「ランデブー」の「ブー」の部分は「ヴゥー」とかにして欲しかったなあ。できればですが…。

まず、映像はとてもexaggerateがあるにも関わらず、何ともいえずnostalgy
を感じさせる雰囲気ですね。
何と言っても特徴が殆どセリフなしで映像でストーリーを引っ張っていますから誰にでもわかる位の誇張表現は必然的な物だったかも…。
また、どこと無く映画に実写の部分をまぜそれがとても自然に溶け込んでいた事等も興味あります。

また、この中の登場人物の「おばあちゃん」が愛犬のブルーノをつれてペルヴィルの街を訪れるのですが、この街が何と言ってもアメリカのニューヨークを
もじっているのかなと思わせる様な物でした。
そして、ここで起きる出来事、何となく舞台はきっと1920〜1930年代なんでしょうけれど、マフィアのはびこる禁酒法時代を想像させ、フランス人のアメリカ人像というのが、窺い知れる所が非常に面白かったです。

音楽も非常に軽妙。いかにもフランスらしいという感じでした。

この映画の一番の特徴は上記にも述べていますが、セリフがなく、殆ど映像の動きでストーリーを引っ張っている事です。これは、少しびっくりしました。

それに、この作品は様々な映画祭に出品され、色々と賞を受賞し、時には、「ファインディング・ニモ」をも抑えたときもあるとの事。

実は、映画館でこの映画に登場する犬のぬいぐるみが販売されていたのですが
欲しかったです。(涙)

この映画はフランスとカナダとベルギーの合作映画。フランス語圏の国々が協力して作った傑作だと思いました。
posted by diane at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Uボート 最期の決断

潜水艦ものの映画と言うのは思ったより沢山ある様な気がする。でも、自分としてはそんなに見ていないと思う。映画館でも、DVDでの観賞をも含めて
自分自身は今までに「U・ボート」「レッド・オクトーバーを追え!」「K−19」ぐらいでしょうか?
こういう感じの映画はきっと余り女性向けではないんですね。きっと。というのか、昨日、この映画を見に行った時、私以外の観客が全て男性でした。
まあ、深夜12時過ぎの上映でしたから…。私の場合はこの時間帯だと安いので行ったんですよね。
この映画の全編を通して言える事はリーダーの決断の重要性、的確な判断とそのタイミング。だったと思います。随所にリーダーに対して決断を迫るシーンがありました。
やはり、タイミングを逃すと失敗し、また、信頼をいかに得るかで以って部下が上手く働き、尽くす事ができると言うのが描かれていたと思います。
特に命と名誉の掛かった戦時下と言う特殊な条件。瞬時に判断できる事が彼らには要求される事なんです。力量、信頼感、部下の気持ちを推し量れる事、リーダーに要求される事は
沢山あるんですね。特に信頼感は大きいでしょう。この部分に関しては、うちの上司に見せてやりたい!!
俳優さん、割と最近良く見かける方が出ていました。ウィリアム・H・メイシー。彼は本当によくメジャー映画に何気に出ています。この頃、見た中では、「シービスケット」、これから公開されますが
私は運良く、お先に国際便の飛行機の中で「セルラー」を見た時に出ていました。
もう一人、私が注目した俳優さんはトーマス・クレッチマンです。彼は、あの名作「戦場のピアニスト」に出ていました。他に私が見たのでは「ゴッド・ディーバ」「バイオハザード U アポカリプス」ですね。
軍隊の事は良くわかりませんが、地位の中でCHEIF OF BOATと言っていた物です。字幕でもチーフとして訳していましたが、実際はどういう地位でどこまでの権限を持ち仕事をしていたのか。もう少しわかりやすい訳はなかったのか
ということですね。
さて、ストーリーは大体の潜水艦映画が描いているのと同じ様に名誉にかけて死を選ぶか、生き延びていくかなんですが、この映画の特徴は決断と上司に対する部下の信頼です。信頼できる上司には部下は
無言で従います。その信頼をどこまで保てるか。それがリーダーたるものの器量。
第二次大戦下、ナチス・ドイツは大西洋の制海権と地中海を自由に秘密裏に作戦行動が出来るようにUボートを建造します。呼び名でこれらのUボート軍団はウルフパックと呼ばれ、恐れられていましたがUボートに勝たないと
連合国側に勝ち目はありません。そこで、米英の両首脳はUボート壊滅作戦を立て協力して行う事になりました。アメリカの潜水艦U.S.S. SWORDFISHも例外ではなく主人公のネイトを他乗組員を乗せ出発します。
しかし、艦長は実戦の経験が浅く、言わば親の七光りでなったようなもの。副長も似たり寄ったりで結局、チーフ(本当にこんな地位があったのか?)のネイトが頼り。ところが、毎日とは言わないまでもわずかの期間の間に艦長の指示で
27回もの訓練(DRILL)に部下達はあきれ果て文句が出てくる。潜水艦ですから密室だし閉鎖された空間だし、戦時下だし、疲労、不満、頻繁な訓練に艦長からの明快な回答が無いままに日々過ぎ去っていた。
ある日、副長が病気で倒れる。具合が悪かったのに軍医にも見せずただ、耐えていたのが限界に達したようだ。副長を診察した軍医は直ちに伝染性のかなり強い髄膜炎と判断。隔離を申し出る。特に発疹がその印で二人目が現れた時には
この病気の進行を止める保障は無いと言った。それを聞いたチーフのネイトは艦長にその事を伝えたが(正確に言うと聞く耳持たないから、伝染性の病気とはっきりは伝えれなかった)艦長は意に介さなかった。「生きている限りその任務に
付け」と言う事だった。
そうこうしている内に敵船に遭遇。問題は敵の魚雷(torpido)である。こちらの攻撃が功を奏したのかと思うのもつかの間、逆に反撃に会い、かなりの損失。damage reportを求めても正確な答えは無い。浸水し、船としての命は時間の問題だった。
総員退避命令が出た。皆を避難させている時に艦長の存在がない。ネイトが見に行った時、艦長は怪我が激しく、しかも髄膜炎が伝染していた。
所が敵艦のUボートが彼らを助ける。つまり、捕虜である。ここで敵艦内に亀裂が走る。敵艦の中で、このことを良く思わず艦長を信頼していない者が現れた。
助かった捕虜の中で米軍の艦長はこの事実を味方に知らせたり、色々と指示をしたりするが、こちらの中にも艦長を信頼しない者が出てきた。
髄膜炎の病気はドイツ兵にも伝染して行った。どちらの艦の艦長も部下の信頼を得られなかった。雰囲気はどんどん悪化。そんな中、アメリカの駆逐艦を発見した。捕虜達はドイツ兵の攻撃を妨害。
ところが、妨害したが、発射準備に入った魚雷は艦内に留めて置く事は出来ない。仕方なく発射された魚雷によって、このUボートはアメリカ側に発見されて今度は標的になってしまう。このUボートも駆逐艦によってかなりのダメージを受けていた。もう、長時間航行は不能。
Uボートの艦長は全員の命を救う為にどうしたらいいか考えた。ここはカリブの海域。アメリカの掌に入ったも同然。ならば協力してこのUボートを上手く航行させアメリカ側の助けを得ようというものだった。これはつまり、Uボートの降伏を意味する。
チーフのネイトは今や上司の艦長も亡くなったとなれば今度は自分が事実上のアメリカ側の艦長。部下達への説得が大変だった。それはドイツ側も同じ。「敵と手を組むとは」「憎めと教えられた相手と組めるか」と色々と
反論はあったが結局、両者、協力していく事になった。しかし、ドイツ兵の中には反乱分子がいた。彼らはアメリカ兵を殺そうとしていた。しかし、いざそれを行おうとした時、自分達の艦長を殺した。今度は副長が艦長だ。そのドサクサに紛れて反乱分子がドイツ側に打電した。
今度は、また新しいUボートが来た。そして、その一方でアメリカの駆逐艦もいる。三つ巴の中でどうなるかが面白かった。
信頼って大切ですね。
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恋に落ちる確率

2003年デンマーク作品。
ほんの一瞬で、人間はいとも簡単に恋に陥り、全てを捨てて、その人の元に行けるのだろうか?
その為に自分の周囲の物事が全て変わっているとしたら…。そんな風になっても自分がその時、直感的に運命を感じた相手に全てを託してもいいのだろうか。
これは冒険である。運命の恋を取るか、今までの自分の生活を守るか。未来はどちらにしても無限。
新人監督の手になる恋愛映画。デンマークではトリアー監督に次ぐ存在と注目されている。数々の映画祭にこの映画は出品され色々な賞を受賞している特にカメラワークの良さを認められて2003年のカンヌ国際映画祭では
カメラドール賞を受賞している。
また、撮影も全編に渡って全てロケーションによる物だと言う事も特筆できる内容であろう。
この作品を見てとても印象的だったのが、作品の始めの所と最後のエンドロールが「五線譜のラブレター」で再び再燃されている人気音楽家のコール・ポーターの「NIGHT AND DAY」が使用されていて中々微妙な雰囲気を醸し出している。
また、もう1つ面白い点は、この映画の中で、主人公の男性の運命の女性の役をしている人物と、日常生活による彼のガールフレンドの役者が同じ。すなわち、一人二役であると言うことも特筆すべき事柄かと思われる。つまり、彼女の存在は映画全体のキーポイントなだけに
同一人物を配し、それで究極の選択を主人公に迫らせ、また、メイクの変化でそれを観客に余り気づかせない? 逆に言うと気づいて欲しいのかも知れないという状態にしている。
なかなか洒落た演出だ。どちらにしても同じ女性と言う事になるのかな?
アレックスはガールフレンドのシモーネとほぼ半同棲生活。ある日彼は彼女と父親と共にレストランで食事をしていたが彼は父親が超苦手。なんとか言い訳をしてその場を去り、後で、シモーネと会う約束をした。
一方、運命の女性なのか? アイメは夫と共にコペンハーゲンに来ている。この夫は映画の中でも述べているが愛情表現が非常に下手なのである。そして、愛していながら、アイメに寂しい思いをさせてしまっていたのだ。実はこの日も夫は出かけてしまって、アイメは一人きり。
一人で、コペンハーゲンの街をうろついていた。
地下鉄駅のホームでシモーネを待っていたアレックスは彼女を見かけてたちまち一目ぼれになってしまう。そして、シモーネとの約束も忘れ、アイメの後を追いかけ、バーで話を始める。あっという間に親しくなる2人。2人ともここであっという間に
恋に落ちて、アイメのホテルで一夜を過ごす。
翌日、アレックスは目を覚まし、出かける準備をして、何気に見ていたパンフレットにメモ書きをする。「ここで13時に会おう」と書いて。彼はアイメを寝かせたままホテルを出た。その時、夫がホテルに戻ってきて、途中で彼らは顔を合わせるが当然ここでは他人なのでぶつかった事の謝罪程度にしかしない。
夫は部屋に密かに戻り、昨夜、誰かがアイメと一緒にここに泊まった事に気づき、さらにアレックスの残したメモまで見つけてしまい、落ち込むがまたこっそりと部屋を出て行くのであった。
一方、アレックスはアパートに戻るが不可解な事ばかりがこの時から頻発。自分にはさっぱりわからないのである。例えば、アレックスの部屋はなくなり、他の住人達も彼を知らないと言い、彼の友人達、そして、ガールフレンドのシモーヌでさえ彼の事は知らないという始末。
アレックスは自分の周りに何が起きたのかわからない。まるで魔法の世界にいるようだ。しかし、彼はアイメを選ぶという事はこういうことなのかと言う事を心の底で疑いつつあり、こうなってしまった以上彼の選択はアイメを選ぶしか無い様に思えた。
何が何だかわからないうちに彼は約束の時間にアイメに会いにレストランに行く。2人はデートをし、一緒にいようと誓い20時にもう一度会ってここを離れようとしていた。
ホテルを出ようとするアイメ。出発の準備をしている時に夫が帰ってくる。アイメは夫に別れを告げて去ろうとする。夫はなんとか引きとめようと必死に説明し自分はとてもアイメを愛しているのだが不器用な為に上手く表現できないでいる事を告げる。しかし、アイメは夫の元を去る。
一方、アレックスも、魔法の世界にいる様な感覚でいるのだがやはりアイメと共に行く事を決めて、どんなにアレックスの事を知らないと言ってもガールフレンドのシモーヌの元に行き、別れを告げようとした。所が、なんとシモーヌから離れられない自分。約束の時間はもうすぐ。
アレックスは果たしてどちらの選択をするのか?   アイメと行けば魔法の世界、シモーヌを選べば現実の世界。アレックスには苛酷な瞬間だ。
人間にここまで究極の選択をさせるのは本当に辛い話だ。
作品全編に渡ってこういうトリック的な要素をずっと散らばせる手法は中々興味深かった。
また、映画の中で使われた音楽も中々タイミングよく使われていて印象深いものであった。
一体、人間が運命の恋と信じれる、決意できる瞬間ていつ、どんなシチュエーションなんだろうか?
考えさせる作品である。
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ユートピア

最近、よく思うのだが、「未来が見える」とか「人の見えない何かが見える」「死後の世界」という類の一種のサイコ・サスペンスが多い様な気がする。
この話もやはり見えてしまう人間の苦しみや、その特殊な能力を持つ故に苛まれる運命。あるのかも知れないけれど、近年こういう映画が洋の東西を問わずに
製作され、公開されるというのは流行なのか?  それとも、我々人間が未来に何かの不安を感じ、それをこういう形に表しているのか、とても不思議な感じがする。
あまり、見えすぎても怖いのだろうな。
この作品は2003年のスペイン・フランス合作映画。
この映画のタイトルの「ユートピア」は意味的に言えば「理想郷」。我々はそれを目指して戦い、悩みもし、憧れ、想像し、苦難にも耐えるのだが、果たしてあるのだろうか?
この作品の最後では「きっとある」と言っているがそうだろうか。
予知能力のある人達のグループ「ユートピア」。未来が見え過ぎると見えなくても良い事まで見えてしまい、それが悪夢となる。このグループはそうした見える事を悪夢に変え無いようにする、未来を予言しても良い方面に生かす
と言うのがこのグループの目的。
このグループに入っているアドリアンはマドリッドで毎日、悪夢に悩まされ続けていた。それは、警察の敷地が爆破され、ちょうどそこに居合わせた母子が巻き添えで命を落とすというものだった。それを予言にしに警察に行ったのだが
警察はまともに受け取らない。ちょうどその時その事故が起きた。
6年後、アドリアンはグループとの接点も絶ち、ひっそりと暮らしていたが、ある日、突然かつてのユートピアの仲間が、彼の元を訪ねた。仲間のリーダー的存在のサミュエルが病気で大変な状態にあることを告げる。
彼は、急いでサミュエルのいるサラマンカに向かいサミュエルに会う。サミュエルはこの能力のために世間に馴染めないでいたアドリアンを迎え入れてくれてアドリアンは「ユートピア」というグループの中で能力を伸ばしていた。
サムュエルは彼に「予知能力を悪夢に変えるな」というのだった。つまりアドリアンは現在、自分の能力を持て余し、その能力のために大勢の人間が死んでいくのだが何も出来ない自分に歯がゆさを感じ、それに苛まれていたのだった。
アドリアンは予知の夢の中で死んでいく子供を抱いた一人の女性が南米にいる姿が目の前にちらついて仕方が無かった。サミュエルは彼に、彼の為だけでなく、彼女の為にも、探し出せというのだった。実は彼女の名前はアンヘラで
スペインでは裕福な家庭の一人娘だという。彼女は南米でボランティア活動をしている時にカルト的ゲリラ集団に拉致誘拐され、マインドコントロールを受けて、そこの一員として活動していた。
一方、6年前警察で爆破事件で家族を失い、片目になってしまった刑事のエルヴェはアンヘラの母親から捜索願いを受けていた。彼は事実、こういう拉致被害者の救済の仕事を警察内でしていた。
そこで、アンヘラの動向を調べ始める。アドリアンは能力やわずかな情報で、アンヘラがスペイン国内にいる事をつかみ、彼女に接触を図る。彼女に見つかって銃口を向けられたアドリアンは「君のためだ。ここから逃げろ」と言うだけだったが
マインドコントロールを受けている彼女は彼を信じる事が出来ない。そんな所にゲリラのリーダーが現れ、彼を捕まえる。捕まえられた彼とアンヘラは少しずつ言葉を交わしながら心を通わすのであった。しかし、リーダーは彼の処刑を決めていた。
何となくグループのやり方に不信感を抱いていたアンヘラは処刑の場で偽り、アドリアンを助けるのであった。そして、彼女自身も脱退しようとした。アドリアン達はテロリスト達から狙われる立場になった。
アンヘラはアドリアンの元へと行き、安らぎの場を見つけようとする。アドリアンは、少しずつアンヘラに心を開き、自分の能力の事、自分のグループ「ユートピア」の事を語ろうとする。
そんな時、警察のエルヴェはアンヘラとアドリアンが一緒であることを突き止め、彼らを捕まえようと追い回し始める。そして、激しいカーチェイス。その後…。

予言をする時の様子はどの映画でもなんか手がかりとなる様な物を壁等に一杯に張り、予言の様子を紙に書くのだなと思った。
なんか、本当にこんな感じの映画が多いような気がするが気のせいか?
posted by diane at 21:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キス・オブ・ライフ

003年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式招待作品。
人間が突然、死を迎えた時という内容の映画は沢山あるが、これもまた、死を迎えた時、自分の周りの愛する人達への思いの強さというのを表現している映画だなと感じた。
実際、この映画で死んだ主人公のヘレンは自分自身、死んだという状況を受け入れる事が出来ずに魂が現世に残っていく。
子供と言うのはなんて敏感なのだろう。彼女の魂の気配を感じて、色々な動きを見せる。
しかし、人間は実際に死を目の当たりにするまで、極めて日常的な当たり前の事がどんなに大切なのかと言う事を気づかないでいる事が非常に多い。その意味でこの映画はとても意義のあるものだと思う。
それを、我々に再認識させてくれるから。
でも、この映画は、この非日常的な「死」と言うのは実は家族のどのメンバーにも目の前にぶら下がっている物なのだ。映画の始めの方で家族の普通の生活を営んでいるシーンがあるが、何気ないシーンなので
見過ごしがちであるが、実はこの映画全体のトーンを決めていると言っていいと思う。ここでも、既に各メンバーが自分達自身が死と隣り合わせにいる事をさりげなく描いているのだが、皆、誰も気づいていない。
ここで言う各メンバーが「死」が目の前にぶら下がっていると言うのは家族5人のうち、主人公である母の存在は「死」を実際に迎え、祖父は人間には必ずしも逃れられない老化による「死」、夫は危険な地帯に仕事で出かけていて常に「死」と
隣り合わせ。子供達2人のうち、特に下の男の子は実際に母の死の現場を見てしまう。でも、こんなに「死」がこの家族を、現実の我々を取り巻いていても普段は何も考えない所が怖いところである。
家族、今、日本では崩壊の危機にあると言われているが、その絆の深さ、一番、会いたい人一番大切な人に、いざと言うときに誰に最後のキスを送りたいのかと言う事を実際の死を以って描いていると思う。
これは、一昨年、日本で公開された「死ぬまでにしたい10のこと」と何となく繋がりを感じる。最もこの作品は主人公は「死」を見据えて自分の大切な事を整理し行っていくことだが、「キス・オブ・ライフ」は「実際に死んでから自分に
遣り残した物を感じて魂は現世に残り、それが果たされるまで存在するというアプローチの違いはあるが。

主人公のヘレンは自分の父親と子供2人とロンドンに住んでいる。夫のジョンは東欧の戦争状態の激しい地域に派遣され救援活動の仕事についていて普段は家にいない。その日もいつもと同じ様に事は進んでいくはずだった。
しばらく家族の元に帰って来ないジョンの事をヘレンは考え、今までも約束していても帰って来ない夫だったが今度こそ、夫の帰りを待っていた。連絡しても今回も何やら難しい様子。なぜそれにとらわれるかと言うと今週末は彼女の誕生日であった。
しばらく会っていない夫。家族間の繋がりが何となくチグハグになっていくのを恐れているヘレンにしてみれば自分の誕生日と言う事以上に家族間の繋がりをしっくり生かせるためにも彼の帰り、存在は必要と感じていた。
何かを感じたのか、ジョンは「仕事が自分を必要としている!」と言って電話を切るのだが、心の中に何か不安を感じたのだろう。突然、帰ると言い出して帰国の途に着いた。しかし、ここは危険地帯。途中まで国連のスタッフが付いてくれたが
その後はどうなるかわからない。この後、彼は、さまざまな事件に遭遇するのだ。これから彼に起こる事件と家族に起こる事件の関連性、死と隣り合わせの恐怖を描くのに、ヘレンの視点と交互するように描かれていて少しわかりにくいかもしれないが
いつもの朝、ヘレンは娘のボーイフレンドの事で色々と悩み、また、父親はコーヒー1つ満足に入れられない。息子のテリーを学校まで送り、いつもの様に帰ろうとしていた。所がこの日に限って息子のテリーは母親の姿が消えると同時に学校に入らず
その辺りをぶらぶらしている。ヘレンは自分が今どうしていいのかわからない悩みの真っ只中。家庭内の出来事の全てが自分に覆い被さってきている様な感覚。ジョンと一緒に写っている写真を眺めながらヘレンは道路に立ち尽くす。その瞬間
ヘレンは車に跳ねられて重態。その瞬間を見た息子のテリーは心の中に刻み込まれ、その重圧からずーっと逃れられなくなる。つまり、その瞬間を見た後、そのままにしてしまい逃げてしまったからだ。小さいながらも罪悪感に駆られるテリー。
病院に運ばれ、死を家族に告げられる。子供達の祖父であるヘレンの父親はその事をジョンに告げようとしたが、一方、ジョンも危険地帯の中で、大変な思いをしていた。携帯は取り上げられ、ジョンはヘレンの死を知らない。ここからがジョンの
苦難の旅の始まりだった。
ヘレンは目覚める。しかし、それは死後の世界。魂だけが現世にいるのだ。自分自身も何が起きているのかわからない。ジョンの姿を見かけたり、また、暗く沈んでいる家族を見てなぜなのかを考えたり。
これ以降は話がとても複雑で、ヘレンの家族に対する愛情とジョンに会いたいという情熱の為に魂が色々な所に飛んでいく。一方ジョンも、夢の中でヘレンと会い、自分自身の意識もトリップしたりする。しかし、そんな出来事の中で、ヘレンの魂は何とか家族間の繋がり
を持とうというシーンが沢山出てくる。上の娘ケイトと髪を結んであげるシーン。夢に悩ませられている息子のテリーに優しい言葉をかけてやるヘレン。ここで、今まで上手くいかなかった家族生活を埋め合わせするかの様な感じだ。
そして、家で問題が起きた。蛇口が壊れ、水が出しっぱなし。家中水浸しだ。家族総出で掃除をした。そして、全てを元に帰すように…。全てを洗い流すように。
苦労に苦労を重ねて、ジョンがロンドンの家に帰ってくる。ヘレンとジョンは玄関で最愛で最後のキスをする。そして、今まで言えなかった言葉を互いに交わすのである。
そして、ヘレンの魂は安らかになっていくのだった。

この映画の家族を思いやる気持ち。誰を待っていたのか、何をしたかったのか、これを探るのがテーマなのだが、魂のトリップの仕方と、家族各人の夢の様子がリアルなんだけれども、入り乱れて
少し、わかりにくい部分があるかも知れないが、人間の愛の深さを再認識するには良い映画だと思う。
posted by diane at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アンナとロッテ

この作品を見て特に最後はなんて可哀想なんだろう。時代のトリックってなんて残酷なんだろうと感じました。
見ていた人の中には涙ぐむ人も少々。
2002年オランダ映画。2004年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。
作品を見に行った時は公開初日でしたので、「ダヴ」のトリュフチョコレートを頂きました。まだ、食べていないけれど…。
人間の浅ましい部分、打算的な部分。人間を人間と思っていない人達。時代が人々を弄ぶ。この時代、特に、第二次世界大戦前後の時代は色々と翻弄された人は
かなりいるはず。その一例に過ぎないのかもしれないけれど、やはり、なんて時代って、環境って悲しい、それによって本当は互いに愛しているはずなのに、互いに仲良くならなくてはならないのに
恨まなくてはならないなんて残酷。
確かに悪い時代と言ってしまえば簡単だけれどこう言った不条理な戦争の存在、人々の心を何年も死ぬまで苦しめていくもの、こう言った物
を人間は本当に芯から望んでいるんだろうか?
この映画は歴史的事実の中に埋もれた人間の歴史の物語。人間の歴史。ヨーロッパではかなり原作が売れたとの事ですが、表現しがたい数奇な運命、苛酷な人生を歩む事を余儀なくされた双子の姉妹の
劇的である意味、芸術的美しさを持たして描いた一品。
アンナとロッテは双子の姉妹。幸せな毎日を送っていたが、ある日、両親が死に、彼らは両親の葬式もそこそこに別々の家に引き取られていった。
この別々に離して引き取ろうと大人が決めていく所を見ていたら本当に人間て義務なんだろうけれど打算的なんだなと強く感じました。
互いに名を呼び合って別れていくシーンは非常に切ない。
アンナはドイツの農家の家に引き取られ、学校に行く事も許されず毎日、こき使われ、労働の毎日だった。農家が無理してでも引き取りたいと言ったのは奴隷の様にこき使う事の出来る人間が欲しかったんだと思う。
一方、ロッテはオランダの裕福な家庭に養女として引き取られとても愛情深く育てられた。
しかし、離れてしまっても会いたい気持ちは同じ。互いに手紙を書き合うが養っている家の保護者によって、わざと連絡不能の状態にし、互いに相手を忘れさせようとした。
年月は過ぎ去り、ロッテは、進学して大学で音楽と自分の母国語であるドイツ語を勉強していた。アンナは、農家の家の酷い仕打ちから逃れ、メイドの仕事を得て自活の道に進んでいた。
ますます、ドイツの台頭により、ヨーロッパが戦場の気配を強くしていったのもこの時代である。当然ドイツはナチスの影響で反ユダヤの旗を掲げる。
一般のドイツ人達も思想的に感化され始めたのもこのころだ。
ある日、ロッテは養父母たちがわざと手紙を出さないでいた事を知り、自分の養父母に怒りをぶつける。そして、ロッテはドイツの名門貴族の家にメイドとして働くアンナの元へ訪問する。
わずかな時間だがお互いの思い、生死の確認をしあった二人。ロッテは一緒にオランダに来ないかとアンナに話を持ちかけるが、伯爵家に対する恩義からそれを断る。
実はロッテにはオランダで同じ音楽の道を歩んでいた男性と恋人同士の関係にあった。二人で一緒に過ごせる最後の日、ロッテはアンナに一枚の写真を見せる。そこには婚約者の顔があった。
それを見たアンナは思わず「ユダヤ人?」と訊いてしまった。この一言がロッテにとってはショックであった。ロッテは悲しみを抱いたままドイツを去った。その日以来ロッテはアンナに対して何となく拒絶の意思を表していく。
これは政治的に仕方の無い部分だなと私は感じた。ドイツにいるアンナにとってしかも政府の要衝にいる家でメイドをしている身分としてはユダヤ人に対する嫌悪感、そこまで行かなくてもユダヤ人を避けるという言動は仕方の無いものなんだろうと思う。
そして、それを言われたロッテは自分の愛する人を否定されたようでとても悲しい思いだろう。そして、アンナを何となく避けてしまうのも仕方の無い事かも知れない。しかし、アンナはなぜロッテがと腑に落ちないのである。
この政治が人間関係を崩すと言うのは本当に悲しい出来事である。
そして、アンナは機会があってナチスの将校と結婚し、ロッテはユダヤ人の音楽家と結婚し幸せな道をそれぞれ歩んでいた。
ある日、ロッテの婚約者はユダヤ人と言うことで収容所に引き取られる。アンナも夫が戦争で遠くに派遣されるという事で互いに愛する人の帰りをひたすら待った。
互いに戦争終結をそして、一方は反ドイツ・ナチスの思いを募らせ、一方はますますナチスに洗脳されていくのだった。しかし、互いに平和を願う気持ちには変わりは無かった。
悲劇はここからなのだ。
この悲劇は実際に作品を見て理解して欲しい。
特に、ラストの15分は本当に泣けてきます。
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ライフ・イズ・コメデイ! ピーター・セラーズの愛し方

名優が名優を演じる!! これは最高の演技であり、映画である。と私は思っています。今回のこの映画は本当に最高でした。ストーリー自身も、まあ、一人の偉大な人物の伝記ですから、いいのですが演じる人間が
駄目だと全部、崩れてしまう。これはそんな事はなく、主役を勤めたジェフリー・ラッシュの最高の渾身の演技とまるで、彼がピーター・セラーズの様でした。
今、考えるとピーター・セラーズは名優と言われていますが、色々と苦労していたんですね。しかも、かなり若い頃から心臓が悪くてペースメーカーを入れたりして頑張っていたなんて知りませんでした。
でも、彼は余りにも天才過ぎたために神に召されるのもかなり早かったんですね。何しろ54歳の若さだったというのですから。
ピーター・セラーズと言えば「ピンクパンサー・シリーズ」が有名でそれも何作か製作してある。私は不勉強でこれ位しか知らなかったのですが名前だけは知っていた「博士の異常な愛情」「カジノロワイヤル」とかに出演していたんですね。
本当に無知でした。でも、彼は本当にそれらの映画の出演、確かに彼の天才的も言える喜劇の才能でやっていた他の喜劇作品の出演だけで満足していたんでしょうか? 私はこの映画のラストを見て、本当に彼のやりたい映画、出演したい映画は他にあって
たとえ興行的に失敗してもやりたい物はあるような気がするんですね。
確かに彼の喜劇は、大ヒットだったと思います。しかし、彼の才能、希望は違う所にあり、仕方なくやっていたのでは無いでしょうか?
本当にもったいないと思いました。彼は我侭だとか色々と悪意のある噂もありましたけれどそれは彼の才能がスバ抜けていた為に起きた事なのではないでしょうか。
興行的に成功するからと言う目先の金儲けだけを考えて彼に仕事のオファーをしてくる人達。彼の本来の才能が生かせなかったというのは残念です。
しかし、彼がコメデイの一時代を築き、今に至っているという偉大な功績は映画史の中でも燦然と輝くものなのです。
また、彼は、家庭的には余り恵まれてはいなかったんですね。彼の仕事への原動力は常に母親からの応援。
彼が仕事で成功すればするほど彼の家庭生活は悲惨なものになっていく。実際に彼は四回、結婚したとの事ですがどれも余りうまくいかなかったようです。しかし、彼は常に女性を求めていたんですね。母親のみならず他の女性から仕事へのパワーが欲しかったんだと思います。
家庭と仕事のバランス、彼には難しかったんでしょうね。惜しい俳優を亡くしました。
さて、ここで、ピーター・セラーズの役をやったのはジェフリー・ラッシュ。彼は「シャイン」でアカデミー主演男優賞、その他もろもろの賞を総なめにしたとの事ですがやはり、彼の演技というか、
演技にかける情熱。素晴らしいです。まるで生前のピーター・セラーズがいるみたい。彼自身がなりきってしまったんですね。映画のどの部分を見てもジェフリー・ラッシュではなくピーター・セラーズがいたのですから。とにかくそっくり。
映画そのものもとても面白かったです。これは彼の実力以外の何物でもありません。はまり役です。ここまで自分を殺して演技できるのも彼の才能なんでしょう。
共演陣としてはシャーリーズ・セロン。いま、とても人気ですね。色々な映画に出ています。彼女もやはり、アカデミー俳優。素晴らしいです。
映画自身で面白かったのは時代背景の工夫でしょうか?  その時代時代に合わせたセッティングはより、映画を魅力的にしてくれました。
それから、ピーター・セラーズが演じた映画の再現では、その時のフィルムの一部を使ったのでしょうか? 
一番時代を反映するのは音楽。その音楽も時代に即した懐かしいものばかり。何から何までピーター・セラーズの時代、そのものでした。
ストーリーは、いかにしてピーター・セラーズが名声を築くか、そして、仕事と自分の才能、家庭生活のバランス。ここを描くのに苦労したと思います。
かれは下積み生活の長い役者。始めはラジオの人気コメデイ番組の出演をしていた。しかし、彼の希望はこれだけではない。きちんとした役者になる事。しかし、彼のこのキャリアが、容姿が悉く彼のチャンスを潰していく。
しかし、ある日、彼は奇抜な方法でオーディションを受けた所、採用。そこから彼の役者人生が始まった。俳優として英国アカデミー賞最優秀男優賞も受賞する位にまでなったかれは共演者のソフィア・ローレンに惹かれる。ソフィアは彼をたしなめるが彼はますますその気になってしまう。
家庭騒動になった。今までの彼を支えていたのは両親もそうだが妻の存在。そして、子供達。つまり家庭だった。あきれた妻は家を出て、両親だけが彼の精神的支えだった。
ある日占い師が、彼に「孤独は駄目。何人もの美女が彼の前に現れる」と囁かれ、彼はその言葉を信じ、女性との浮名を次々と流す。
彼には、1つ問題があった。英国では人気があるけれどアメリカでは…。ハリウッドで名を売らないと駄目。そんな時に出たのが「ピンクの豹」これが主役以上の人気を得てしまったが自分的には納得いかない。そんな時父親の入院、そして別れがあった。
彼の私生活は乱れた。一方、彼にはキューブリック作品のオファーがあり「博士の異常な愛情」であった。彼はそれに挑み、名演技を披露した。
一方で、彼にはピンクパンサーシリーズのオファーがあった。喜劇から遠ざかりたかった彼は返事が出来ない。渋っている時に、スタジオと組んでいる例の占い師に「B・E」と言う人物に会う。その人を大切にしろ」といわれた。所がここで問題。
彼の前にスウェーデンから来たブリット・エクランド会う。彼女もB・Eだ。彼は誤解し、彼女を口説き落とし終には結婚。新婚旅行で幸せをかみ締めていた彼だがそこで生涯を通じての持病の心臓発作が起きる。さて、彼のキャリアはどうなるのか。
新婚の妻との関係はどうなるのか。ここからが彼の成功でありながら悲劇的な部分なのである。

とにかく、この映画は単純な有名人の伝記映画ではない人生はいつどうなるかわからないというドラマ的な部分を述べているのがポイントである。
ピーター・セラーズ、波乱万丈な人生。その中でどう生きてきたか。それがテーマ。
また、この映画で名演技を披露してくれたジェフリー・ラッシュ(パイレーツ・オブ・カリビアンにも出ている。)。彼の演技も光り輝いていた。
ちなみに原題は「THE LIFE AND DEATH OF PETER SELLERS」
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サスペクト・ゼロ

サスペクト」=容疑者。それが「ゼロ」と言う事は、その犯罪における容疑者が全く捜査線上に出て来ないと言う事。動機や手口なども良くわからず犯罪だけで見れば
見事な芸術的犯罪といえるのかもしれないが犯罪が起きた以上、絶対に犯人はいるのであり、いないということは無い。ただその正体を隠すのが非常に巧みであるという事だ。
これもまた、何とも言えない、人間的に見れば哀れな一種のホラー・ムービーと言えよう。
しかし、今年は何でこんなに沢山この時期にホラームービーが一挙に公開されるのか? 大作がお正月に公開されずに年明けから公開されたのはなぜか? ちょっと疑問が残る。
通常ホラーといえば「夏!」と相場が決まっていたのに、今は「冬」です。変ですね。まあ、こんな事は後回しという事で…。
アメリカと言う国は本当に色々な犯罪が起きますね。一年間の行方不明者の数、そして、迷宮入りの事件の数、ただ事ではありません。しかも、アメリカは国土が広いから幾つもの州に
別れていて、それぞれ独自の行政機関があり、州の法律も違う。当然、警察組織も違うし、やり方や、逮捕の基準等も違うのでしょう。そういった縦割り式の捜査網のループホールを見つけて
州の枠を超えて犯罪は行われる。犯罪に国境は無い。そう言った、やり方の矛盾ややりずらさを無くす為にFBIという国家的警察組織が出来た。
これはアメリカ国内で行われる州を跨いだ広い地域での犯罪捜査を円滑に行うために設けられた組織である。当然、こういった組織がある以上、ある程度の犯罪検挙、または犯罪捜査率を上げなければならない。
そうする為にさまざまなプロジェクトも行われたと伝説的には聞くが、今回の映画もそのプロジェクトに関係していると思われる物である。
少し、神がかりな感じはするが、科学的根拠に基づいて行われたプロジェクト。そのプロジェクトに関係した人物が、いる。プロジェクトは崩壊しても関係者は事と次第によっては抹殺されたりする事もあるだろうが
この場合は放置に近いと思う。やるのなら後始末はきちんとやって欲しいなと思いますが、でも人間を利用しているんですからもう少し気遣いが必要かなと思いました。
メインの出演者は豪華ですね。よく、捜査ものに出演しているアーロン・エッカート。「マトリックス」で特に有名なキャリー=アン・モス。そして、重鎮のベン・キングズリー。特にベン・キングズリーの演技は見事です。
悲哀というか、自分は何なのか、どうしたらいいのか、そして他人と精神同調した時のあの悲しさを表す表情等はとても見る価値大です。
ただ、こういう話はあまりと言う方は怖いので余り、お勧めしません。
ニューメキシコの田舎に左遷されたFBI捜査官のマッケルウェイ。転勤初日から色々な出来事に遭遇する。まず、一件の殺人事件。そして、二件目、三件目。方法や、殺害された人物達に共通点はないけれど1つだけ
例外があった。それはどの死体にも「SUSPECT ZERO」のマークが…。そして、立て続けに資料が彼宛にFAXで送信され続ける。そこで、田舎ではなくダラス支局から捜査官が派遣されてきた。共通点があるために。
その捜査官は過去にマッケルウェイと付き合っていた事もあり、彼の事を良く知っていた。彼女と共に「SUSPECT ZERO」のマークを手がかりに捜査をするのだが何の進展も見られない。ひたすらイライラ感が募るだけであった。
そして、犯行に関連するようなスケッチやメモ、資料がどんどん彼の元へ。誰が送っているのかもわからずひたすら、苦労しているだけ。彼は頭痛を訴える。
そんな時、捜査線上に自称元FBI捜査官と名乗る男、オライアンが浮かび上がる。そして、「サスペクト・ゼロ」ということからこれらの殺害された人物は捜査が進展するにつれて連続殺人犯の犯人だという共通点が出てきた。
今までの捜査で彼らのことは容疑者リストにも載らなかったのになぜオライアンが出来たのか。なぜ、わかったのか。この殺害された人達を殺したのはオライアンなのか? 謎が謎を呼び事件は混迷していく。
そして、なぜ、オライアンはFBIと名乗るのか? そこで「イカロス計画」というのが浮かび上がる。これは過去にあった計画だったがもう、無くなったも同然の封印された物。これはどんな計画なのか? オライアンとこの計画との関係はどうなっているのか?
調べると「イカロス計画」と言うのはある種の特殊な能力を持った人物のを選び彼らを訓練し、能力を伸ばし軍事目的や、迷宮入り事件の捜査に当てるという物だった。どうやらオライアンはその生き残りらしい。しかし彼はそこで鍛えられた能力をどうする事も
出来ずにいたのだった。その中で新たな事件が起ころうとしているオライアンはそれを予知している。
他の捜査官は彼を信じていないし、逆に逮捕したがっているが、マッケルウェイ達は違った。オライアンを交えて新たなる犯罪にどう対処していくのか。オライアンが感じる犠牲者達の悲鳴。オライアンはどうなるのか。どうしたいのか。
最後に関しては、彼らの演技の見所と映画の核心部分なので見ていただきたい。ただ、なぜこれらがわかったのかと新たなる犯人像を掘り下げる所、オライアンの悲哀については特に重要ポイントだと思う。
スリラー、ホラー物の中でも久しぶりのサイコ物。衝撃は大きい。
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マシニスト

まずポスターやチラシの写真に注目したい。ガリガリにやせ細った男の写真と英語のタイトルの書き方のデザイン。何とも不気味な取り合わせだ。
ちなみに、この英語のタイトルの書き方はハングマン・ゲーム。このハングマン・ゲームは映画のストーリー展開の上でも非常に重要な意味を持つ。
それにしても、この男、やせ細って本当に気味が悪い。なぜこの様になってしまったのか。
タイトルの「THE MACHINIST」は工場で働く機械工の意味だが、確かに主人公は工場で働く機械工である。
よくチラシを見てみると一年間睡眠を取っていないと言う。睡眠は人間が人間らしく生きる為の大変重要な生命活動である。人間はせいぜい寝ていなくても11日間が限度だと
言う。一年間と言うとそれをはるかに越え、当然生命の維持に赤信号が点る。
体調だけでない。脳の働き自身も落ちてくる。集中力は欠き、物忘れは激しくなる。ついでに感情コントロールも上手くいかなくなる。
食欲も無くなり、正常な人間的生活ができなくなる。
なぜ、この男は、こんな重度な不眠症に陥ったのか? この謎を解き明かすのがこの映画のテーマである。
しかし、主役のクリスチャン・ベイル。凄まじいですね。この役になりきる為に自分の体を犠牲にしてガリガリにして。この主人公の男を演じる為に約30kg
の減量をしたとか…。他の理由でダイエットする人は良く聞くけれどここまで役に徹して自分を犠牲にするのは凄いと思う。その為に余計にこの映画の主人公の気味悪さが目立った。
確かに画面全体が暗いのだが…。
主人公のトレバーは機械工。毎日決まった時間に出勤し、決まった時間に退社。非常に真面目に勤務していたが実は彼はこの一年間寝ていない。正確に言うと眠っていない。
映画の冒頭はかなり、ショックなシーンが展開されるがいきなりなので余り、観客にとっては始めは何なのだろう? と思う程度だ。ここで、怖いのはこのシーンを見ていたもう一人の男(アイバン)
と呼ばれる男だがこの男に「Who are you?」と尋ねられる所が非常に不気味だ。この言葉も実は重要な意味を持つ。このシーン自体が、映画の後半で起こる内容の伏線になっているのである。
最近、トレバーは自分の体の変化に悩んでいた。回りも彼の異常な痩せ方に危惧を抱いていた。こんな彼だが彼にとっての慰めは毎日空港のカフェに行ってコーヒーとパイをオーダーする。ここが彼のお気に入りの場所。それに
カフェのウェイトレスの女性の笑顔を見てちょっとした安らぎを得るのである。
また、家の近くでは娼婦のスティービーとも付き合いがあり、彼女の所でも何とか安らぎを得て眠りに付こうとするが上手くいかない。
そんな彼だが、物忘れがだんだんひどくなり、このごろではメモに用件を書き冷蔵庫に張っておくのであった。所がこのメモ書きが変えられている。
「Who are you?」と書かれた紙が張ってあったり、後ろ二文字がERで終わるハングマン・ゲームの絵が張ってあったり、心理的にとても不気味な事が起こりっぱなしなのだ。
そんなある日、彼はアイバンと言う男に出会う。この謎の男の存在が今後彼を苦しめ続けるのであった。
仕事のミスも重なり、彼は工場を首になってしまう。アイバンは赤のスポーツ車に乗って彼の近辺をうろつく。彼にしては一体何の用なのか知りたい。彼は自分自身の体を犠牲にして
アイバンの乗っていた車の番号を照会する。しかし、アイバンはせせら笑うだけ。しかもその番号は…。
ある日、彼は空港のカフェのウェートレスとその息子と遊園地に行く。彼女は用事で席を外し、彼女の息子と二人だけで乗り物に乗る事になる。
その乗り物の名前が「ルート666」。普通、「ルート66」ならよく聞くが666? これは昔の映画「オーメン」にも出ていたし聖書の黙示録にも出ている数字。危険な数字である。
ちょっと嫌な思いをするが彼女の息子とその乗り物に乗る事にしたが中が酷い。絶対、子供厳禁の場所だ。余りにも残酷すぎるのだ。
少年は癲癇を起こして倒れてしまう。持病と言うが…。
娼婦のスティービーのところでは探していた写真が見つかった。その前に、彼女とトレバーは未来の話をしていたのだが…。その写真にはアイバンが写っていたのだ。
そして、スティービーをなじるがスティービーからとてもショッキングな事実を聞かされる。それは…。
ついに、かれはある決心をする。そのシーンは冒頭のシーンと重なるのだが、自分が何なのか、アイバンとの関係を知るのだった。そして…。

とにかくこの映画全体は本当に不気味でありまた、人間が極限の状態に置かれるとどうなるのかが如実に語られていてとても怖い。
クリスチャン・ベイル、命を懸けた演技だなと思った。
彼はこれから「バットマン ビギンズ」等でも活躍するであろう。これからが楽しみな俳優である。
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THE JUON/呪怨

もう皆様、ご存知の日本が誇るホラームービー「呪怨」のハリウッドリメイク作品。
元来、ホラーは嫌いではないのだが何か気味悪いので見るのを避けていた。それで元の日本の作品「呪怨」「呪怨2」は劇場版、オリジナルビデオ版全て見ないで
この作品を真っ白な感覚で見た。怖い。何ともいえない不気味さ。本当の原作からしてハリウッドホラーと言うのとは全く雰囲気が違う。
もちろん、元々、日本の作品をハリウッドがリメイク権を取り作ったと言うのもあるだろうが、それ以上に舞台がこれまた日本。ただし、出演者はハリウッドの方。監督も映画クルーも日本人と
なればやはり、底知れないじめじめした感じの恐怖と言うのは拭い切れないと思う。でも、また、それが全くなくなるとこの「呪怨」シリーズの面白みがなくなってしまうので難しい所だと
思う。しかも、この監督は元々の「呪怨」シリーズを自ら監督・脚本してきたとの事。ハリウッド版の製作には抵抗があったのではないだろうかと思いつつ映画を見ていた。
そもそも、また、舞台が日本ならばハリウッド版にする意味は? と、思ったが出演者ひとつ変えるだけで雰囲気は変わる。例えば、今回の呪いの元はやはり、日本の独特の物であるが、出演者が
日本人ではないとすると色々な物の見方がここに入ってくる。 つまり、「日本人ならこう感じるはず」と思い込みがちなのが「こういう見方もあるのだな」と言う部分が製作作品に入ってくる。
それが狙いなのかもしれない。ハリウッドテイストをこの日本の話に入れたらどうなるのか? という実験的な試みである。
この作品の前に「ザ・リング」と言うのがあるがこれもそんな考えの1つで製作されたものなのかも知れない。
まず、ハリウッドテイストの1つにこの映画のタイトルが「THE GRUDGE」になっていると言う事もあるかもしれない。
しかし、あくまでリメイクなので、ストーリーの構成などは最初の「呪怨」にある程度忠実である必要があるとは思う。
ストーリーはあるアメリカ人大学教授夫婦の夫がマンションのベランダから飛び降りて死亡してしまうところから始まる。
そして別なあるアメリカ人の夫婦が、仕事の関係で日本に来る事になり、家を買った。古く、いかにも日本的つくりの家。そこが気に入り買う決心をしたのだった。
しかし、その夫婦には1つ問題があった。年老いた母親がいたのだ。昼間いないので介護ボランティアが必要だった。そこで、介護センターに頼み日本人スタッフの洋子を派遣してもらった。
ある日、いつもの様に洋子が行くと家中が散らかっていて、年老いた女性のみがいた。彼女の世話をしてから、洋子は家の中の掃除に取り掛かった。それから?
突然連絡が取れなくなったので代りに日本の国際大学で福祉を勉強しているカレンに要請が来た。彼女は介護の単位が欲しくて希望を出していた。
彼女が日本に来た理由はボーイフレンドのダグが日本で勉強をしたいというので付いてきたのだった。
カレンがその古い家に行った時はアメリカ人夫婦の存在はなく年老いた女性だけが残されていた。カレンもやはり色々と老女の世話をした後、家の清掃に取り掛かった。
彼女はこの家に来た時からただならぬ雰囲気を感じていた。少年の姿らしきものが目の前を通る…! 調べると押入れに少年が閉じ込められていた。そこで、介護センターにいる、アレックスに
そして、心配してアレックスが家に来ると老女は死に、カレンは恐怖におののいていた。そこで、警察に連絡。そこで英語にも堪能な中川刑事が派遣されてきた。家を捜索すると屋根裏にこの家を購入したアメリカ人夫婦の
死体が…。そして、この家には色々と謎に満ちた点があった。そこで、病院に収容されたカレンに事情聴取。話を聴いているうちに、三年前、その家で起きた戦慄の事件を思い出した。その時も彼が担当だったのだ。
そして、関係者が次々と死亡! その事件を思い出していた。 そして、そのアメリカ人夫婦に妹がいることを知り、連絡を取ろうとする。一方その妹も恐怖の中にいたのだ。そして…。
元気になったカレンはこの事件を調べようとした。三年前の恐怖の事件。その事件の内容を追いかけて見ると、ある大学教授の名前が挙がってきた。それはこの作品の最初に出てきた自殺した大学教授。
ここに、一見バラバラになっているような事柄が連鎖のような輪を描いているのに気づく。
そして、関係者は次々と…。
つまり、関係ないように思われて最初のシーンが映画の終わり近くになって伏線になっているがわかる。映画の作りも連鎖になった輪なのか?
この作品の主演は今はアイドルになっているサラ・ミシェル・ゲラー。その他の出演者にビル・プルマン、ジェイソン・ベアらが名を連ねる。
中川刑事役に石橋 凌。彼の英語は非常に聞きやすかった。多分、ダイアローグコーチは付いているんだと思うが元々、英語は出来る人だと思った。
それにしても人間の怨念は怖いものだ。まさしく呪怨。GRUDGE。
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ビフォア・サンセット

お洒落な街、パリでの何年振りでの偶然の出会い。夕方の飛行機に乗るまでのほんのわずかの時間しかない。二人は、時間を惜しむかのように話し続ける。
しかし、一箇所に落ち着かない。それはきっとタイムリミットまでの後少し、もう少しの感覚がなせる業だと思う。
この映画をずっと見ているだけであっという間にパリの有名どころがスクリーンに登場してくる感じである。一緒に観光している気分が味わえないわけでもない。
とても懐かしい。一番好きな所はノートルダム寺院をバックにしているセーヌ河沿いの古本屋さんがずらっと並んだ通りを二人が歩いていく所。あっという間だから
気づかないかも知れない。
この作品は、私は何の予備知識無しで見に行った作品。従って、この作品が作られる前に前提となる前作があった事は全く知らないで見た。ただ、評判が良いと言う
それだけの事で見に行ったの作品。当然、前作の「恋人までの距離」(原題BEFORE SUNRISE)は見ていない。
しかし、作品の作り方というか構成のポイントがとても面白い。登場人物はたった二人。二人だけの会話で映画が成り立っている。もちろん場面によっては店員とか、運転手とか
必要に応じて登場するが、彼らにはセリフがなく、極端な事を言えばとりたてていなくても良い存在。そして、映画の始めから最後まで、繋ぎも何もない。ひたすら二人のダイアローグ
だけで進められている。つまり、見ている私達も作品のストーリーも同時進行している訳である。
これは本当に珍しい作りの作品だとよくよく見入ってしまった。
この続編「ビフォア・サンセット」の邦題が英語をそのまま使うのであれば前作の題名「恋人までの距離」という邦題よりもやはりそくまま英語を使って「ビフォア・サンライズ」の方が作品同士の対比の意味もあって良かった様な気がする。または、
続編に当たる本作品に全く違うタイトルをつけるとか…。でも難しいですね。ヨーロッパは夏場は昼の時間が長いので夕方と言っても中々、日が落ちません。すると、後わずかしかない時間を有効に使おうと言うイメージの
このまま、使った方がリアリティと緊迫感が維持できるかな。タイトル1つ取っても難しいですね。
出演者は前作と同じでイーサン・ホークとジュリー・デルピー。監督も同じくリチャード・リンクレイター。イーサン・ホークは最近何かと注目されている俳優。ここ、一年間位の間で日本の劇場公開された作品で私が見たのでは
「テープ」と「テイキング・ライヴズ」がある。しかし、まだ、そんなに年齢行っていないと思うんだけれどあの何とも言えないくたびれ掛けた渋さと言うか、独特の雰囲気は何なのかしら?と時には思う。
いずれにしてもよくあんなに長いトークをずーっとやれるほどセリフ覚えていられるなと感心する。
ストーリーは前作にまでバックし、9年前、列車内で会い、ウィーンで下車。何時間もお互いの事を語り合い、やがて時間(早朝)が来て二人は別れる。ただし、半年後に同じ場所で会うことを約束して。
しかし、フランス人のセリーヌは親戚の不幸の関係で、行こうとしていたが行けなかった。一方、アメリカ人のジェシーは約束を果たそうとその場所へ。しかし、逢えるはずもない。
この事の確認は本作品でもダイアローグの中で確認する部分があり、前作を補足している形になる。ここまでが前作の内容。だから前作の英語の原題「BEFORE SUNRISE」は夜明けまでのわずかな時間を語り合いつくす二人が
描かれているはず。
今作品はあれから9年の月日が経った。ジェシーは結婚し今は有名作家。パリの有名書店でのプロモーションの為にパリの地に来たのだった。
一方、セリーヌは報道カメラマンと付き合いはあるのだろうけれど未だに独身。環境保護団体に勤める。
ジェシーがプロモーションをしている本屋にセリーヌはやってくる。セリーヌはパリで暮らしていてこの本屋の常連でポスター等でこの事を知って来たと言う。そのセリーヌに気づくジェシー。サイン会も
吹っ飛ばしてセリーヌを見つけ出し話しかけようとする。しかし、ジェシーは夕方の飛行機でパリを発たなければならない。残された時間はほんのわずか。約1時間半。その間、時間をもらい、セリーヌと再会を喜び合い話しをしようと
する。時間がない為か、話し方はまるでマシンガントークだ。お互いの近況、この9年間の出来事。色々な事柄についての意見の交換。そこのカフェでと言いつつ、その場所に着くまでにかなり話している。そして、色々な小路を歩くのである。
カフェの中でも時間を惜しむかのように話し続ける。そして、カフェをでて別れるまでの間の話しながらの散歩がまたとても良い雰囲気なのである。ロケーションも良い。
ますます、時間の切迫感を感じる。そして、別れの瞬間。だからと言って決してくどくない。お互いさっばりとした感じだ。出来ればまた再会をと言うところか…。
本当に時間の惜しさ、痛ましさを感じさせる作品で何とも言えないいい雰囲気の恋人の二人を感じた。
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ボーン・スプレマシー

あのジェイソン・ボーンが帰ってきた。前作でマット・デイモン自身、自分のイメージを打ち破って作り上げた「ボーン・アイデンティティー」。
それを上回る、迫力とスケールで今回は作られている。ただ、ストーリーの作りが前作の続きと言う形で出来ていて、さらに、二年が経過していると言う
前提で出来た内容なので、前作を見てから、今作品を見る事をお勧めする。
前回はパリがメインの舞台だったが今回はヨーロッパ各地が舞台になっていて本当にスケールがでかいなあと思う。前回を上回るようなカーチェイスはとても
見ものである。しかし、私自身の見解だが、ボーン・スプレマシーを見た後で、ボーン・アイデンティティーと見ると、何となく前作の方が私としては好み
である。
前作では、懐かしのパリの街を見れてとても嬉しかったが今回もヨーロッパの色々な所が画面に映し出され非常に懐かしさを覚えた。
世界各国で絶賛された今作品だが本来はお正月映画レベルだなという気がする。何か今回はお正月映画は余り、それ程の大作がなくどちらかと言えば
分散型小粒映画。その代わりと言っては変だが、お正月明けに大作が次から次へと公開されている。
前作は自分の事は覚えていないスパイだが、命を救われ、彼が生き返り、自分を確かめる所から話が始まった。
今回は、前作の続きから、スタートする。前回の最後で彼は一緒に行動を共にしていたマリーとインドで暮らしていた。相変わらず自分の事は良くわからない。
記憶が途切れる。ただ、CIAエージェントとして活躍していた時の訓練はしっかりと体で覚えているのだ。それに、彼自身やはり、精神的なストレスは大きいのだろう。
いつも悪夢に悩まされ時には肉体的にも犯される時がある。マリーは必死で彼を癒そうとするがなかなか上手くいかない。
そんな時、CIAでは、ビッグプロジェクトが動いていた。組織内の不祥事の一層だ。そこで手がかりを見つけいざ取引と言う時に失敗した。
その時に唯一の手がかりは指紋。ジェイソン・ボーンの指紋だ。指紋照合をすると「トレッドストーン計画」これは前作で出てきたものだが、ここで、アクセス拒否。
上司に問いただすがどうものらりくらり。しかし、CIAの捜査官のパメラ・ランディはボーンの仕業と思い込み、彼を追い回す。逃げている最中、一発の銃弾が愛する
マリーを打ち抜いた。
ボーンはマリーとの幸せな生活を夢見ていた。そんな彼女が殺された。今のボーンは早く自分の記憶を取り戻し、復讐し、しかも自分の本当の過去を知ること。
それだけだった。
一方、CIAのパメラ・ランディは「トレッド・ストーン計画」に興味を持ち、関係責任者、上司でもあるアボットに問いただしていた。アボットとしては自分もその関係者であること。
不祥事に関係している事を必死で隠そうとしていた。あらゆる所から狙われるボーン。さて、どうやって切り抜けるかが今回の注目すべき点である。濡れ衣を着せられたままでいいのか?
ストーリーの最後でパメラに連絡を取るボーンだが、パメラはボーンの資料を集めていた。そこで、本当のボーンはいかなる人物か教えた。
今や、彼女は忌まわしい「トレッドストーン計画」の全貌を知っているのだった。
今回は監督もダグ・リーマンからポール・グリーングラスに代った。もともとの原作ではこの作品は三部作だったらしい。その為か、今回のエンディングは次回作のあることをなんとなく
仄めかしている。
なお、日本語翻訳も前回は戸田奈津子だが今回はアクション物に強い菊池浩司に代っている。
おとなしい演技派のイメージのあったマット・デイモンだが今回の「ボーン・スプレマシー」でますますアクションスターらしい感じが出てきた。
次回はどんな活躍をするのか楽しみな俳優の一人である。

posted by diane at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇場版「テニスの王子様」-二人のサムライ

「まだまだだね。」「油断せずに行こう!」「残念無念まった来週!!」「俺様の美技に酔いな!」
番組を見ているとこれらのセリフが出で来る。と言うのは彼らは中学生でありながら、何やら独特の雰囲気があって、いつも水曜の夜七時を楽しみにしています。
最近は仕事の関係とかで見れない事が多いけれどジャンプコミックスはしっかりと買っている私。 これが、劇場版が作られるとあっては話が別で、絶対見に行かなくちゃと思っていたんです。
ところが、公開から約二週間がたっていながら上映時間はいつも昼間。しかも、土・日の休みの日に行けば全回満席。まあ、特に中学生・高校生に人気がありますから。

私がこの「テニスの王子様」を見ていた時はまだテニススクールに通っていました。しかもレッスンは水曜日の夜。だから、テニプリを見てからでもしっかり行けたのです。しかし、越前リョーマ君は
いつまでたっても中学一年生なんですね。というか、半年の出来事を描くのにどれだけの年月が掛かっているのかなと思っています。

でも、今回も面白いですよ。よくスペシャルをテレビでやっていますが今回はミニチュアサイズではありません。
立派なストーリーになっているんですね。しかし、最後の跡部の登場の仕方はやはり彼らしいです。

映画化という事で彼らの技の表現の仕方もグレードアップ。しかも、なぜか今回はリョーマにお兄さんが居た????????????
という大きな謎を含んでいます。しっかし、青春学園中等部のテニス部諸君はいつも色々と困難にあいますね。

今回は豪華客船に青学の面々は招待される。しかし、それは罠。エキシビションマッチを金持ちの桜吹雪という男に依頼され、青学の生徒達は招待に応じる。その情報をキャッチした跡部は「あ〜ん?」
といつもの調子だが跡部も実は財閥のお坊ちゃん。色々と裏を調べてくれる。

さて、そのエキシビジョンマッチだが、桜吹雪自分のチームを持っている。そして、観客に賭け試合をさせているのだった。そして、オッズが発表されると圧倒的に青学チームの人気が高い。
そこで、八百長試合を言ってくる。それも脅迫して…。

そんな事は不正だと青学チームは正々堂々と戦おうとするが…。

そんな時に表れるのが桜吹雪チーム側にいる「越前リョーガ」。彼はリョーマの兄といっているか果たして? リョーマにはかすかに幼少の時の
オレンジの記憶がある。彼とはどういう関係なのか。この作品ではあまりはっきりとは出てこない。多分、後の作品で現れる事であろう。

さて、今作品には本編の後に跡部からの贈り物〜君に捧げるテニプリ祭り〜が付いている。これもかなり笑える。
なぜ「俺様」の跡部が主催なのか?  よくわからないけれど全てがコメディで、いつもはチョイ役の人も出ているし、かつて、出てきた人達も何気に出てくるオールスターキャストと言うわけだ。

なんだかんだと話は進むがいつもの跡部のセリフ「あん?そうだろ?樺地」といっている跡部の最後の樺地へのメッセージは最高!!!。

テニプリファン諸君!!!  是非見に行こう!!!!
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アレキサンダー

製作費200億円、壮大なスケールで描くスペクタクルとエンターテインメント超大作!という触れ込みの作品。
最近は、よくコリン・ファレルとアンジェリーナ・ジョリーの作品が日本で公開されている。二人とも今が旬の俳優と言えよう。
そして、忘れてはいけないのが、アンソニー・ホプキンスの存在。彼のナレーションで主に映画は進行していく。
アンソニー・ホプキンスと言えば「レクター博士」のシリーズでその独特の恐怖感を観客に植え付けた事で非常に印象深い役者でもある。
しかし、私は彼は「レクター博士」も良いのだがその他の落ち着いた作品が好きだ。特に彼はシェークスピア等にも出演した事のある名優。
彼のきちんとしたナレーションは素晴らしい。作品中は出演しているが、事実上、この作品の内容を上手く進める為のナレーターだ。
彼の話し方はとても良い。落ち着いているし、英語も綺麗で、早いという以外、とてもはっきりとしていてクリアーだ。
さて、アレキサンダー大王(ALEXANDER THE GREAT)は誰でも知っている人物だと思う。彼の業績は、歴史の時間等にも触れてはいるが
どのような人物だったかと言う点においては非常に謎が多い。意外と知られていないのが彼は夭折だったという事だ。その短い人生の中にこれほどの偉業を
成し遂げた人物。やはり敬意に値する。
学生時代に学習した中では、彼はバルカン半島のギリシアの北部にある今でこそとても小さな国マケドニアの王。その王が、一年を発起して自分の届く範囲の世界の場所、未知の場所まで
踏破し、大帝国を築いた事。そして、要所要所に自分の名前をつけた都市アレキサンドリアを作った事。これは自分の東征を守りさらに進軍を有利に進める為の物。当然、これだけの
広大な範囲を配下に置くのだから要所は押さえなければならない。
彼の東征は祖国マケドニアにはじまりエーゲ海はもちろん、地中海東部は当然のこと今で言えばイラク、当時のメソポタミア、ペルシアをも押さえ、アルメニア、トルコ、バビロニア、バクトリア
インド西部、ソグディアナ、カスピ海近辺に至る。そして、シリア、パレスチナを越えエジプトへ。実に広大な地域である。この大帝国には10以上のアレキサンドリアがあるが未だにその名を残しているのはエジプトの
アレキサンドリアだろうか。
今でも言われているが、アレキサンダー大王の東征は現代にも多大な影響が残っている。例えば、旧ソ連のコーカサス地方や中央アジアの小国などでは、アレキサンダーの大帝国を維持する為に
彼がマケドニアから連れてきたギリシア系の影響が随所に見られる。NHKか何かの特集でご覧になった方はお気づきかも知れないが例えば、本場ギリシアにはもう既に消え去った文化や伝統が残っていたり、
民族的な顔立ちにもギリシア系の影響を受けたと思われる様な顔立ちを持った人達が居たり、アレキサンダーの影響は本当に大きかったんだと改めて認識できる次第である。
アレキサンダーは短い生涯の中でどの様な一生を送ったのでしょうか。彼については様々な憶測があります。この映画はその内の1つをクローズアップして取り上げたものと推察されます。
まず、なぜ彼は20歳の時に王位につけたのか。彼を世界征服に駆り立てた物は何か? 彼と母親の関係はどうだったのだろうか?  父親とは?

この映画のエンドロールを見れは゛お分かりになると思いますが、とても名だたる方々が名を連ねています。監督のオリバー・ストーンを始め、音楽のヴァンゲリス。豪華スタッフキャストの集まりとも
言える映画でしょう。
しかし、最近、こういう歴史物多いですね。「トロイ」しかり。
実を言うと私、あんまりコリン・ファレルは好きくないです。
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着信アリ 2

前作の「着信アリ」の続編。
何しろ前作を見ていなかったので事の詳細は知らないがしかし、とても恐ろしいホラーだなと思った。見ていてこれで何とかだなと思っていると次から次へとまた、恐ろしいものが
やってくる。最後まで見た感じではまだ、続編がありそうな感じ。
携帯電話は、今では完璧に普及している。どこを見ても携帯電話を持って通話したり、通話が駄目な所ではメールの打ち込みをしている。それ位社会には完璧に浸透している携帯電話。
それなだけに最近では携帯に纏わる犯罪も多発。有名な所では「振り込め詐欺」かな? 私もそれに似た様なメールをもらいました。
この映画はそういう現代社会のバックグラウンドをがある上に人間の怖さ。結局、人間の奥底に潜む一種のヒステリックなまでの気づいていないかもしれない犯罪への憧憬。それを行うと
どんなしっぺ返しが来るか。それを上手い具合に結びつけた物と思われる。人間社会はある意味、弱肉強食の世界。強い者が弱い者を虐める。その結果、虐待され続けた人間はとんでもない
恐ろしい感情を心の中に秘めている。秘めている時間が長ければ長いほど、また、その憎しみが大きければ大きいほど返ってくる復讐は大きい。その結果、全く関係の無い人にまで影響が出る。
すなわち「恐怖の伝播」。「着信アリ」。最近の携帯は「不在着信表示」だがこれは、その異端に過ぎないのかもしれない。

今回の「着信アリ2」は日本だけではない。舞台を台湾にまで広げている。つまり、事の発端はかなり、昔にまで遡ると言う事だ。今回は台湾のロケ、そして、俳優さん自身も中国語を話さなければ
ならない。恐怖は日本国内だけにのみならず世界にまで広がる。
何気に気づくと「不在着信表示」。そして、何かなと思ってメッセージを見ると発信者は自分。しかも、日付や時刻は約三日後。留守録に入っている声は自分の声。そして、その声は恐怖に駆られている。
最近はTV電話機能のついた携帯もある。そうなると声のみならず画像も付いてくる。つまり、死の瞬間の予告。そして着メロは独特の死の予告メッセージの着メロ。それを受けたら最後、確実に
死はやってくる。なんとも怖い話である。
映画の主役はミムラ。そして、彼女を救う為に色々と活躍する恋人役に吉沢悠。そして、今回は、この事件を追い続けるジャーナリスト役に瀬戸朝香。彼女は中国語も披露してくれる。
ずっと、この不可解な殺人事件を追い求める警察官に石橋蓮司。
今回は、実際にどんな風に話しが展開していくのか、光明は見えるのか、ラストの30分が何とも言えずに怖い話だ。
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きみに読む物語

愛は永遠」と言う事を教えてくれた映画でした。現代社会では枯渇している人間同士の触れ合い、本当の愛情を表した映画だと思います。
今は自分が誰なのかも覚えていない妻を思い出させる為にひたすら与えるだけの愛は本当に素晴らしい。心の底から愛情が深くないと出来ないと思います。
それも、二人が本当に出会ったあの夏の事を思い出させる為に…。
本当の真の銃愛映画と言う事の他にこの映画はもう1つ重大な事をも含んでいます。今後の高齢化社会において益々増えていくであろう高齢者特有の病気「老人性痴呆」。
これと戦う姿。どんな姿に自分のパートナーがなっても決して忘れない。自分達の愛は本当に永遠なのだという事。だから、自分のパートナーがどんなになっても思い出して欲しいと
思っている。また、そのパートナーも自分はいずれはその病気が進行していく事を知っていていずれは何もかも忘れてしまう。そこでまだ自分が確かな内に一番心に残る内容を本にしておく。
(メモと言う形だが)自分がすべてを忘れてもその大切な情熱的な思い出を語って欲しいと…。
愛を語るには年齢は要らない。この二人の間の愛には年齢は無い。しかも、愛は奇跡をも生み出す力がある。それをやってみようとしている物語である。
ついに、奇跡は起きるのだが、しかし、深い深い愛があってこそ。相手を深く思うからこそ、永遠に一緒にいたいと思うからこそ、最後の瞬間まで魂が触れ合ったままでいたいと思うからこそ、
出来る事であり、この愛は医療で判断された「老人性痴呆」という事柄を超えて奇跡が生み出される。魂に働きかけたのだ。これは人間だからできる事。科学では出来ない。癒しは人間同士の関係から
起きると言うのがここで述べられている。人間同士の付き合いが希薄な現代だからこそ、こういう物語が必要だし、私達にもう一度、何が一番大切かを教えてくれる。
また、映画の中で「私最近、絵を描いていない」と言う所があるが彼女にとって絵を描くというのは自分の心を描くこと。それをしていないというのは自分の魂との触れ合いをしていないという事だ。
自分の魂との触れ合いの仕方は色々とあるが、自分の魂と向き合うというのはとても大切。でなければ自分を失うかもしれない。これは誰にでも言える事である。やり方はどうであれ必要である。
晩年、自分の意識のある内に自分の一番楽しかった時を書き綴った本(THE NOTEBOOK)はもう一度、自分の魂と正直に向き合った結果だと思う。
この映画の最後、エンドロールのおしまいには、イメージソングと特典映像が流れる。この映画のイメージソングはCHEMISTRYの「ココロノドア」。ちょっと心憎い冬の歌である。
この曲は完全限定盤新作アルバム「HOT CHEMISTRY」の中に入っている。このアルバムもとても素敵なので機会があったら是非聴いていただきたい。
また、劇場特典映像はそのCHEMISTRYのインタビューが入っているので、彼らのファンには2倍に楽しめる事になる。
老人療養施設に暮らす身なりもきちんとした女性。彼女は「老人性痴呆(この場合はアルツハイマー症)と診断されて老いて最後の時をひっそりと全ての過去を忘れて過ごしていた。ある日、初老の男性が
彼女を訪ねてきた。彼女の調子が良い時に物語を話してやるのだった。それは、彼らの若い時の情熱的な愛の物語だった。
南部の田舎のシーブルック。アリーは裕福な家の娘。ノアはこの地方に住む肉体労働者。アリーはひと夏を過ごす為にここにきたのだった。ノアは一目で彼女を愛してしまう。
アリーもあっと言う間に恋に落ちてしまう。毎晩のように彼らは喧嘩というパターンを繰り返すが彼らの愛はますます深まっていくのだった。ある日、古い家をノアは彼女に見せる。「いつかこれを自分の物にする」。
これがノアが描いていたアリーと過ごす為の夢だった。
しかし、彼女の家の者はかれを馬鹿にし、付き合いを止めさせようとする。やがて彼女は街に戻る。彼女は都会育ち。ノアは田舎の青年。自ずと出自に差があると彼女の周りの人間は考えていたのだ。
ノアの愛はとても深かった。街に帰っても365通もの手紙を彼女宛に書き綴った。しかし、それは彼女の手に渡らない。彼女の母親の邪魔が入ったのだ。そうこうしている内にノアは戦争へ。アリーはカレッジへ。
二人の世界は離れていったのだ。アリーはカレッジに行き元兵士でもある弁護士のロンとの恋に落ちる。彼は南部の富裕な家の出身。彼女の家も問題なく大賛成。結婚話はトントン拍子にすすみ、後は結婚式を
待つだけ。そんな時に、新聞にあった一枚の写真。そこにはノアと修理されたあの古い家が写っていた。彼女は何もかも忘れて、とにかく結婚式前にシーブルックに行きたいと言い、ロンからも了解を得てシーブルックへ。
そんな二人の紆余曲折も有りながらの純愛はとても美しい。この映画のラストシーンはとても感動的です。
是非、見ていただきたい冬の心温まる作品です。
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オペラ座の怪人-3回め-THXシアター

またまた、行ってしまいました。三度目の正直。前回とは違うシネコンです。
公開した週に見ておかないとシネコンではスクリーンが変えられてしまう恐れがあるので…。
今回は音響の比較的良いシネコンに行きました。DTS、SDDS、DOLBY DIGITAL対応の36本のスピーカーの付いたTHXシアターでした。
前回見たシネコンのIMAXシアターと違ってスクリーンが平坦な感じがしたんですが、この映画は何しろミュージカルですから、音楽性重視は当然です。
多分、来週からはここのシネコンではTHXとDLPのシアターでの上映に変わるはずなのでそちらでも見ようかな。そして、もう一館、普通の映画館でも上映
するから、しつこく、行くかもしれないです。
いままでの2回のレビューでこの映画の大まかな感想は述べましたのでそれは割愛して今回、気づいた事を書きます。

音響の良さのせいか、大迫力でした。音もよく響き渡っていました。それなだけに歌の質がはっきりと明確に出ていました。
特に、最後近くで、ファントムとラウル、クリスティーヌの三人の歌の共演ではやはり、ジェラルド・バトラーの質がクリアーになってきました。
他の二人との差が…。ここが一番の彼の悲哀を語り、物語の一番の盛り上がりなのですが、演技や歌以外の表情の表現、セリフ等は上手いと感じました。
しかし、やはり肝心の歌が…。全体的にこの映画の出来が良いのでこれは仕方ない部分ですね。
今頃、サウンドトラックを買おうとしても難しい事。まあ、予約していなかった自分が悪いのですが…。
初回限定盤は殆ど発売当日に完売との事。しかも、通常盤もかなりの売れ行きで、店に置いていません。輸入盤のサウンドトラックを買おうとしても
売れ行きが良くていつ入荷するかわからない状況。残念。
おまけに良く調べると、私はロンドン舞台盤を持っているのですが、これすらも完売。劇団四季バージョンも完売。とにかく「オペラ座の怪人」関係の
資料、サウンドトラックは完売でした。ついでに私は公開初日にすぐにパンフレット買ったんですが、これも完売でした。要するに「オペラ座」関係は
全てSOLD OUTの状態です。DVDの発売の時は絶対に予約入れて間違いなく買おうと思います。
ジェラルド・バトラー、今回はファントム役で頑張っていました。これも彼にとってはきっと良い経験でしょう。
で、今までどんな演技なのか、彼の印象が薄かったので「トゥームレイダー2」をDVDで見直しました。「タイムライン」もしたいのですがこれは
買っていないからなあ。とりあえず両方とも劇場公開で見ていますが…。
で、とりあえず見ると、彼はカッコいいんですね。アクション物が得意なのかな。メイクもしていないし、衣装も違うし、歌も無いから全然別な感じ
がしました。ついでに、これは彼に失礼かも知れませんが、彼は少し太ったかな? なんか恰幅良くなっちゃって。
でも「トゥームレイダー2」の方がとても自然に見えましたけれどね。
今回、この映画に出たという事できっと今後はミュージカル的要素の強い仕事が増えてくると思うんですよね。だからこれから、歌の練習もして、今度
このような映画に出る時はますます、みがきをかけて欲しいと思っています。
何しろリチャード・ギアが「CHICAGO」の後、またミュージカル映画のオファー。「Shall We ダンス ? 」に出ますよね。きっとこんな感じになると
思うんですよ。だから、ジェラルド・バトラーにはまだまだ期待しているのでダンスと歌、頑張って欲しいと思います。
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オペラ座の怪人-2回目-IMAXシアター

ファーストデイスペシャルの今日はもう一度、「オペラ座の怪人」を見てきました。
前回は試写会でホールみたいな所でしたし、スクリーン位置も余りいい物とは言いがたいものでしたね。
それで、今日は実際、どっちのシネコンに行こうか、悩んだんですが、サービスの良い方のシネコンを選びました。
ここは、IMAXシアターでやっているので大スクリーンで見た位置としては、ほぼ真ん中の位置で見たと言って良いでしょう。だから、前回よりは
ずっとスクリーンは見やすかったです。音響はDOLBY SURROUND-EX。まあ、そんなに悪い音響でもないですが、近くにTHXでスクリーンの大きな所
があるので、またきっと見に行く事でしょう。私にとって「オペラ座の怪人」は特別なんですね。だから、今度また、ロンドンに行ったら舞台を見にHER MAJESTY'S THEATREで見てこようと思って。
さて、この映画の字幕は戸田奈津子さんですね。定番人気ミュージカルでしたから、翻訳は非常に難しかったと思います。だから、言葉をそのままに使った部分もありました。
長い映画ですから、途中退席の人もいました。私が、ロンドンの舞台で見た時はファントムが呪いの誓いを立てた所で休憩が入りましたのでその間に用事は済ませました。
一番この映画で気になる謎は果たしてファントムは死んでしまったのか? それとも、行き続けてクリスティーヌの墓に置いてあった花が暗示しているようにまだ生きているのかと言う所でした。
でも、私は今回見て、ファントムは永遠に生き続けると思いました。
相変わらずの絢爛豪華さはありますし、ディテールも細かい。それに舞台では触れる事のできない部分も綺麗に作られていました。
特に「MASQUERADE」の部分は素晴らしい。それから、シャンデリアの様子も良く出来ていると思いますね。
試写会を見た時から気になっていた、音楽について触れたいと思います。やはり、全体的に声楽の精度は舞台から見ると落ちていると感じました。
理由は、映画の場合は舞台よりも美術装飾に力を入れたり演技力が如実にわかりますし、アップシーンもありますからビジュアル的にごまかしはきかないんですね。
しかし、問題の声楽の部分は????????????
例を挙げて言うと、「PRIMA DONNA」の曲で二人の支配人が歌うんですが、片方の支配人は聞かせ所があるのでそこはかなり歌える人というかオペラか何かやっていた方だと
思います。もう一方の方はミュージカルはやった事があるのかもしれませんが、歌唱力というか、声に伸びがないんですね。それはファントム役の
ジェラルド・バトラーにも言えるのかも知れませんが…。
主なキャスティングの中でやっぱりジェラルド・バトラーの歌唱力はちょっと引っかかりました。はっきり言うと彼のは演技は確かで悲哀も十分感じるのですがミュージカルの根源の
歌が、まあ、あの音域は音が取りにくいでしょうが、音が多少下がっていたりする事がありました。ファントム役は演技力とセクシーさが売り物なのである程度カバーは出来るのですが
でも、特に「THE POINT OF NO RETURN」の所ではジェラルド・バトラーの歌唱はエミリー・ロッサムやパトリック・ウィルソンと比べるとちょっと差がありますね。
やはり、舞台経験はあっても声楽の経験が少ないのが残念ですね。
しかし、伝統的にファントム役の人はそんなに歌唱力がある人はあまり出てこないんですね。どちらかと言うと脚本のせいかも知れませんがファントムは悲哀や、愛憎を観客に伝えなくては
ならなくてその為にそれをやるとオーバーアクションになってしまって歌唱部分が引きずられてあまり上手くいかないんですね。だから、あまり、歌唱の上手なファントムは今までに余りお目にかかったことが
ありません。
一方、パトリック・ウイルソンは上手いです。非常に歌いなれている感じがします。最もオフ・ブロードウェイから本場のブロードウェイの舞台に立った人ですから上手くて当たり前と言えば当たり前ですが…。
ただ、ちょっとアメリカン・アクセントが気になって…。
ファントムの演技は骨太さがある程度必要ですから、力強さが要求されてきますから、仕方ないかな。ジェラルド・バトラーは「トゥーム・レイダー2」「タイムライン」で最近の映画界では注目株。しかも
舞台経験は豊富なので演技力は豊富ですから。グラスゴー出身の割には彼は英語が綺麗です。一般にグラスゴーの英語は聞きずらいといわれています。
良かった曲はやはり、舞台でもそうですがクリスティーヌのソロパートですね。特に私は「ANGEL OF MUSIC」が良かったです。
さて次回はいつ見に行こうかな
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ベルリン・フィルと子供たち

ベルリン・フィルハーモニーと言えばクラッシックファンの方にはとてもなじみの深い、そして、伝統と名誉ある管弦楽団というイメージがあると思うのですが
最近では、こんな画期的な試みをしているんですね。特に、モダンの代表的作品、またモダンバレエでも有名な作品であるストラヴィンスキーの「春の祭典」を取り上げ
有望なベルリン在住の出身国も関係なく若者を集めて教育的ダンス・プロジェクトをしているとは、夢にも思いませんでした。
しかも、現在の芸術監督はイギリス出身のサー・サイモン・ラトル。彼の画期的アイディアと音楽に、いや、総合芸術に掛ける情熱はとても素晴らしいものです。
また、厳しい訓練や指導にも関わらずよく、若い人達(だって下は10代前半です。)に根気強く指導しているなあと感心した所です。
彼の音楽を通してコミュニケーションを図りたいと言うとても意欲的な姿を捉えたドキュメンタリー作品だと思います。
ちなみに、この作品は色々な所の映画祭での特別招待作品などになって公開しています。
ちょっと映画を見て驚いたのは最初と最後にロックミュージックが入るのですが(ラップっぽい)、ドイツ語なのでいつもの英語の感覚とちょっと違うんですね。
それもとても新鮮でした。ベルリンのロックシーンと言えば一時期、ヨーロッパのロックの代表的存在になった事もあるのですが、最近、ドイツ語の曲を聴いていなかったので
良かったです。
そして、大半の子供たちがクラッシックにはなじみが無い。まして、子供ですから扱いにくかった事も沢山あっただろうと想像付きます。
約250名の子供達の内で映画の中では特に三人の子供に焦点が当たるのですが、彼らのリハーサルの出来・不出来で一喜一憂する姿。そして、疑心と確信、不安と自信をさまよいながら
成長していく姿はとても感動しました。
今まで、ベルリン・フィルと言うとすぐ、「カラヤン」とか「フルトヴェンクラー」等の巨匠のイメージが強かったのですが今回のこのドキュメンタリー映画を見て新しいベルリン・フィルの音、特に
ラトルとの組み合わせの音楽をもう少し聴いてみたいと思いました。
そういえば、「ジルベスタ・コンサート」の様子が確か、放送されたはずなのに見逃してしまいました。何かの折に見てみたいと思います。
posted by diane at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Ray レイ

この作品は今やアカデミー賞有力候補として、かなり注目されている。先日のゴールデン・グローブ賞の「ミュージカル・コメディ部門」で主演男優賞でジェイミー・フォックスが受賞
している。
それ以前にも、偉大な音楽業界の大御所として、そして、盲目の天才ミュージシャン RAY CHARLES 彼の名前は有名で、それだけでもこの映画に興味のある人はかなりいたと思われる。
特に、R&B、JAZZ、SOUL、HIP & POPS、カントリー、ロック等など、挙げたら切りが無い位に彼の音楽は多大な影響を与え続けてきた。その人物を演じると言う事は多大な苦労がこの主役の人物には
かかっていたと思う。
余り、この分野の音楽は得意ではない私でも彼の名は知っており、映画の中で使われた彼の曲はどこかで聴いた曲が多かった。それぐらい彼の音楽は至る所で愛され使われ続けているいる。
この映画の企画は何年も前からあり、ジェイミー・フォックスはレイ・チャールズ自身がオーディションして決定したと聞いている。そして、この映画は製作されたのだが、彼自身は公開直前の
ほんの数ヶ月前に亡くなり、この映画は結果的に彼へのトリビュート作品となった。偉大なるレイ・チャールズの冥福を祈る。
作品はレイ・チャールズが目が見えなくなる少し前から始まる。彼は幼少の時は差別の多い南部の貧しい家で育った。まだ、彼の目が見えている時に彼は弟を失っている。この事実はこの映画では
とても大切なレイ・チャールズがなぜそういう行動をとったかと言う事の全ての伏線になっている。
彼は厳しい母親に育てられ「盲目でも馬鹿ではない。自分の足でしっかりと立つ事」を躾けられて育った。彼は苦労人である。黒人であるが故の差別、盲目であるが為に騙そうとする人達。そういう人達にも
打ち勝って彼は、現在の地位を築いた。しかし、彼は音楽という才能を神様からもらったと同時に彼の苦悩は始まるのだった。ミュージシャンとして認めてもらうまでの彼の長い下積み生活。音楽がより、ハイに成る為に手を出してしまった
彼。しかし、彼には、事実かどうかわからないが「弟を見殺しにしてしまった」という心のトラウマとの闘いがあり、これが彼の一番の苦悩であったと思う。作品の随所にそのシーンがちりばめられる。
彼の名が高まるに連れその思いは強く、薬から離れる事ができなくなるのだ。
また、もう1つの彼の音楽の原動力は女性関係である。彼は普段、隙を見せる事ができない生活を送っていたせいか女性の前だはまるで借りてきた猫のようだ。彼だって人間。いくら、母親の言いつけと言えども
甘えたい時はあると思う。彼は父親の話をしたが(家庭が3つあった)、彼はそんな父親の様にはなりたくないと思っていたけれど女性関係はかなり派手で色々な女性と付き合っていたようだ。子供も出来ているみたいだし。
しかし、家族を捨てる事は決してなかった。女性関係に甘い彼でも、妻を捨てる様な事は決してしなかった。かなりヘヴィなジャンキーな彼だったが家族、そして、天賦の才能を唯一示せる音楽の前には薬を絶つ決意をし、
実行する。大変な精神力だ。しかし、それを振り切る為には彼の場合、心のトラウマ戦う必要があった。それをも自分で克服していった。
しかし、彼の音楽は人生の歌。彼の音楽は彼そのものなのだ。彼の細かい人生の軌跡は映画を見てわかって欲しい。
レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスは本当に素晴らしい俳優だ。彼を認識したのはつい最近の事だがトム・クルーズと共演の「コラテラル」でアカデミー助演男優賞のノミネート。当作品では主演男優賞のノミネート。
実力派である。また、演技に掛ける真摯な姿勢。これを抜きにしてこの映画は語れない。もしレイ・チャールズ自身がこの結果、この映画自身を見たらきっと大変喜んだに違いない。
彼を指名したのは何よりレイ・チャールズ自身。そして、色々と彼に自分自身を教えたのもレイ・チャールズ自身である。だから、ジェイミー・フォックスはレイ・チャールズの分身と言ってよいであろう。
最高の演技者だ。
そして、レイ・チャールズ自身の偉大な功績。彼と一緒にセッションを組んだり会って話をしたりしたミュージシャンは彼の事を光栄に思い、今後の音楽活動により一層磨きが掛かると思う。そう、思いたい。実際、現在もう既になを残している
ミュージシャン自身がレイ・チャールズへのオマージュを述べているのだ。やはり、彼は偉大だ。
この映画を見た後、私は本当に勉強不足で申し訳ないが、この映画のサウンドトラックを買い聴いた。何か懐かしい香りがした。とても良い。
こうやって改めてじっくり聴くと本当に彼の音楽の質の高さが理解できる。彼を失ったのは音楽業界での損失だ。
また、レイ・チャールズと言えばサザン・オールスターズの「いとしのエリー」を歌った事でも日本では特別人気がある。彼の遺作の「ジーニアス」では収録されている。
音楽だけではない。彼は南部の黒人文化の支えでもあったであろう。1960年代は南部は考えられないが白人と同一の権利がなく、隔離されていた。これは区別ではない。差別だ。そして、それに抵抗して彼は、南部の黒人達に勇気と希望と
最後には、自分達の文化を根付かせたといってよいと思う。
あの名曲「我が心のジョージア」が1979年にジョージア州の州歌になり、彼の帰郷が許された時、それは成り立ったと言えよう。この時代はたしか、ジョージア州出身のジミー・カーターが大統領だった時だ。
レイ・チャールズ。アメリカの真髄の音楽を身をもって表現した偉大な盲目の天才ミュージシャン。彼の名は永遠だ。
また、この映画で彼を演じきったジェイミー・フォックスにも拍手を送りたい。

レイ・チャールズ スーパー・ベスト 〜オリジナル・サウンド・トラック: Ray 〜
メス・アラウンド
アイヴ・ガット・ア・ウーマン
ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー(ライヴ)
こぼれる涙
ザ・ライト・タイム
メリー・アン
ハード・タイムス
ホワッド・アイ・セイ(ライヴ)
我が心のジョージア
ヒット・ザ・ロード・ジャック
アンチェイン・マイ・ハート
愛さずにはいられない(ライヴ・イン・ジャパン)
ボーン・トゥ・ルーズ
バイ・バイ、 ラヴ
ユー・ドント・ノウ・ミー(ライヴ)
レット・ザ・グッド・タイムス・ロール(ライヴ・イン・ジャパン)
我が心のジョージア(ライヴ・イン・ジャパン)

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スパイ・バウンド

モニカ・ベルッチ主演のスパイ物フランス映画。共演にヴァンサン・カッセル。夫婦共演と言う事でも少し話題になっていたが…。
最近のモニカ・ベルッチは色々な映画に出演し、演技の幅を広げている。イタリア人だが、ハリウッド映画、イギリス映画、夫がフランス人と言う事もあってかフランス映画の
出演が多いのも否めない。そういう彼女の久々の映画。彼女は、モデルから女優に転進と言うだけあって、さすがにスタイルも良く美貌もある。イタリアの至宝とも呼ばれた。そのせいか映画の中で数々の地味ではあるが
何気なく出てくるフランスのブランドファッションを粋に着こなしている。
ただ、今までとは違うのは彼女はどちらかと言えば彼女自身の美貌を売りに出したような役柄が多かったのに対し、今回は、彼女のスパイという役柄もあるのか随分、雰囲気が違う。
この辺りは、映画自身を見れば十分感じ取れる所であろう。ここでは、彼女の華麗なスパイとしての演技を楽しみたい。
今回のこの映画は実際にあった「『虹の戦士号』爆破事件」という実在の事件をベースにした作品。共演者には現在のフランス映画界の実力者が出演している。俳優・女優だけでなくスタッフにもかなりの
実力者達が名を連ねている。フランスとしてはかなりの力を入れた作品と言う事が出来ると思うが、この手のテーマの作品はやはり、ハリウッド物が得意としているせいか、少し、影が薄い物とならざるを
得ないのは少し残念である。また、ハリウッド物の場合はスパイ物などは敵、味方の区別、何を目的としているのか等が比較的明確。フランス映画のこの作品もかなりいい所まで来ているとは思うが
余り得意ではないのかちょっと押しが甘い様な感がある気がする。しかし、最近のフランス映画を見ていると今までの伝統的な感じの作品からの脱皮を目指しているのか、「クリムゾン・リバー」の様なサスペンス物や
アクション物が増えてきた。また、一時の物凄い暗い鈍重な感じの物だけでは無くなって来たというイメージがある。
しかし、今回のスパイ物は単なるスパイアクションだけでなく、やはり、そのスパイに心理的バックグラウンドがあるためか単なるスパイ活劇という感じではない。
出演者の心理的描写の描き方にはフランス映画はとても上手いと思う。
ちなみに「『虹の戦士号』爆破事件」というのは、1985年にニュージーランド海域で起きた事件で、フランスの核実験に反対していたグリーンピースの船である「虹の戦士」号が爆破され、沈没した。
犯人としてフランスの情報組織の二人が逮捕されて、二人(夫婦を装った男女)は、結局、仏領ポリネシアの島に送られる事でニュージーランドと合意したとの事だが、この二つの国の関係には確執が残ったと言う。
今回の作品にも船を爆破すると言うシーンが設けられているが、ここの部分はこの事件をベースにしたとされている。
この作品の最初の部分はなかなか良くわからなかった。ある男が情報のつまったチップを飲み込んだまま敵に殺されるのだがこの情報を元に作戦が計画される。
しかし、この作戦はなぜ必要なのか、この情報の入ったチップとの関係はとなると描写が不足している感がある。
とりあえずこの作戦の実行をジョルジュ(ヴァンサン・カッセル)率いるチームに任される事になった。しかし、このチームの唯一の女性メンバーのリザ(モニカ・ベルッチ)はこの様なスパイの生活に疲れ、今回の任務を以って引退を
決意していた。しかも、その決意を任務に入る前に本部に話していたという。そうなれば本部の態度が変わるのは当然だ。
ジョルジュたちはとりあえず、モロッコで任務に取り掛かった。とりあえず、リザとジョルジュは夫婦と言う事で入国。しかし、彼女持っているパスポートの国籍が違う。スイスだ。
チームは敵側のもつ船を爆破すると言う任務を実行。これで任務は終了。彼らはモロッコから無事離れるはずだった。しかし、彼女だけは、ヘロイン密輸の容疑を掛けられ、実際に彼女のバッグからヘロインが見つかった。
異変は察知したが今は身動きの取れないジョルジュはパリに戻り、上司に尋ねるが休暇を取る様に逆に言われる始末。一方リザはカサブランカで刑務所入り。そこで弁護士と称する人物から、所内にいるある囚人を殺すように
指令があった。つまり、リザは陥れられたのだった。つまり、投獄。上部からの指令に逆らったら何をされるかわからない。かといって、もう、スパイの任務はしたくない彼女は悩む。一方、ジョルジュは何とか、彼女を取り戻そうと
するが…。
非常に大々的に作られた作品であるが、ある意味、心理描写にも力が入った作品とも言えるが、これがもし、ハリウッド作品ならば別なアプローチで製作されていたであろうと思う。
なお、この作品の原題は「AGENTS SECRETS」である。
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ボン・ヴォヤージュ

2004年のセザール賞受賞のフランス映画。最近、フランス映画で話題になっているイザベル・アジャーニが主役になっている。
実は私は彼女の映画はこれが初めて見た作品である。つい最近、彼女の「イザベル・アジャーニの惑い」と言うのが、公開になっていたが、見損なっていたが
しかし、この作品は見る事が出来た。初めて彼女を見たが非常に魅惑的で、魅了される感じ。お洒落で、いかにもパリが似合うという感じの女優である。
とても、小悪魔的な役どころが似合う雰囲気を持っているようだ。この作品でもやはり、彼女のこの小悪魔的な要素はしっかりと発揮され、それがこの映画の魅力
ともなっている。
この作品は現在のフランス映画界のスターが揃っている映画だと言われている。共演者にはジェラ−ル・ドパルデュー、グレゴリー・デランジェール、ヴィルジニー・ルドワイヤン
が主な共演者。また、監督には「シラノ・ド・ベルジュラック」で有名なジャン=ポール・ラプノー。スタッフだけでも一流と言われる人達である。
また、この映画の見所としてはファッションが上げられるであろう。この映画の時代は1940年だが、ファッションは1930年代後期のパリのファッションデザインや流行を
参考に、多分、超一流のメゾンが関わっていると思われる。映画の内容で、当時の上流社会と呼ばれる人達がこの映画には多数登場してくるので必然的に
当時のパリの流行のファッションと言うものを出してこなければならないし、また今で言う「セレブ」達の集まりなので、当然、メゾンのファッションが出で来る。
時代背景は、第二次世界大戦の初期、ドイツ軍がフランス侵略し、パリ陥落。その前に、パリの上流階級の人達はボルドーに逃げる。日本的に言うと疎開。
しかし、ボルドーでも彼らは華やかな生活をしているし、この混乱の中でも高級な手袋や、バッグなどが手に入ったパリである。やはり、一般市民と上流階級の
人達の間では開きがあるのかな。実際、イザベル・アジャーニ演じるヴィヴィアンヌという女優もパリの高級アパルトマンに住み、インテリアはアール・デコの
雰囲気が漂う。彼女の映画の中で着用している服が一番良い。また、着ている服も彼女の小悪魔的な要素を醸し出すのに一枚かんでいる。
お洒落なパリの中、彼女の小悪魔的な魅力で色々な人が彼女に魅了されていく様子は混乱期なだけに余計に滑稽である。まるで、嘘の様に彼女の思う様に事が進んでいくのだから
信じられないと言う点で苦笑してしまう。彼女は本当に可愛らしい人だ。色々な人を魅了していく。その中で生きてきて今もそう、これからもそうなのであろうと言う事が映画では
暗示される。また、映画の時節柄、ドイツとの戦いのというか、フランスの抵抗を示すが如くの国家的秘密をいかに守っていくかも面白い所である。
時は1940年、ドイツのフランス侵攻直前、女優のヴィヴィアンヌ(イザベル・アジャーニ)はしつこくつきまとうストーカーの様な男を殺してしまう。どうしようもなくなって慌てた彼女は
かつての知り合いの若き小説家のオジェ(グレゴリー・デランジェール)に連絡を取り、助けを求める。スキャンダルを恐れる彼女は警察に連絡しないでくれと頼み、オジェは死体を車に入れて
運ぶ途中で事故を起こし、警察に逮捕されるが、真相は語らなかった。数ヵ月後、パリはドイツ軍の侵攻により陥落。人々、政府はボルドーに逃げる。一方、オジェも刑務所から、上手い具合に
逃げる事が出来た。そして、ヴィヴィアンヌを追ってボルドーへ。
一方、ヴィヴィアンヌはフランスの大臣の愛人となり、やはりボルドーへ。
オジェは途中、列車の中で、カミーユ(ヴィルジニー・ルドワイヤン)と知り合い、カミーユが手伝っている教授のおかげで何とかボルドーに来る事が出来た。実はカミーユと教授は国家的な
大きな秘密を抱えていたのだ。ボルドーの町は大混乱。色々な人が来て、居場所を確保しようとしていた。オジェはようやくヴィヴィアンヌに合う事が出来たが彼女の態度は実にそっけない。
しかし、彼が彼女のせいで逮捕されていたと聞き混乱し、色々と言い訳をし翻弄されるオジェ。しかし、この様子を伺っていた英国人ジャーナリストがいた。彼は実は彼女に好意を持っており、
さらに、大きな秘密があった。彼はドイツ軍のスパイであった。
さて、オジェとカミーユ、ヴィヴィアンヌ。ヴィヴィアンヌ、大臣、英国人ジャーナリスト、オジェ。この複雑な人物関係の中、彼女はどう凌いで生きていくのか、オジェは彼女に翻弄されっぱなしなのか。
大臣との関係はどうなるのか…。これらの絡みがこの映画の見所であり、ヴィヴィアンヌの生きる力が描き出されるのである。
パリから騒乱のボルドーへ。時代が大きく変わろうとしているその瞬間。愛ははじまり、また、揺れて行く。激怒いの時代。彼女は強く愛しいかに生き抜いていくか…。

この映画はミニシアター系で全国一斉公開とはならずシャンテ・シネを中心として順次公開作品である。
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パッチギ!

最近の潮流なのか、韓流ブームのせいなのか、日本映画の中で朝鮮半島の関係者の話題をテーマにする映画が増えてきた感じがする。近隣の国なので当たり前と言えば当たり前ですが…。
この映画を見るまで知らなかったんですが、あの「イムジン河」の歌は放送停止、発行停止だったんですね。
まるっきり知りませんでした。以前に、ハングル語ですが、NHKの何かの特集で聴いた事がありますが日本語バージョンは、初めてでした。
この映画は1960年代の後半が舞台になっていますが、流行なのかな。昨年は「69」と言う映画が公開になりました。ちょうど描いている時期は大体一緒ですね。
現実の社会ではなく、映画の中だし、その時代の事は歴史の一部としてしか、認識していないのですが、映画を見ていると当時の高校生って良くも悪くも現代の高校生よりとても考え方が
大人っぽいし、とても元気があったんだなあと思います。今の高校生にあれだけの元気と言うか、覇気と言うのかあるかと言えば非常に疑問。
ハングルの人達と日本人との間の深い溝。これはなかなか、取り除くのは難しいのかな。この音楽、「イムジン河」は南北に分かれた祖国を思う曲なんだろうけれど、日本に住んでいる
在日の方々と日本人の間にも大きな「イムジン河」がある様な気がしました。今でこそ、韓国と日本の間では、色々な大きなイベントがあったり、互いにアーティストの交流があったりして
かなり互いの溝は縮まって来た様な気がしますが根本的な部分は未だに解決していませんよね。この映画は、その「なぜ? 」と言う大きな部分は触れていないけれども今でも通用する
社会的テーマを持っているんですね
超えようとしても超えられない、その何か一種のフラストレーションみたいなものが描かれているのがこの映画の見所だと思うのです。その中に青春あり、恋愛あり、友情あり。
そのどれの中にも「イムジン河」は存在し続けるけれどいつかはそれを渡って行けるかもしれないという可能性をも述べた映画だと思います。
舞台は京都。1960年代後半。いつの時代にも先頭を走っている高校生はいてそのグループ同士が目が合ってしまった朝鮮学校の生徒と普通の日本の高校生。始めは些細な争いだったけれど
争いはだんだんとエスカレート。その中である日本の高校生は休戦を求めて朝鮮学校を訪れる。その高校生の一人、康介は音楽室から聞こえてくる音楽「イムジン河」の音に誘われて覗くとある一人の少女に会う。
その子に一目で心を奪われてしまった。一方、休戦の方は、朝鮮学校の生徒に凄まれて逃げてしまう。
そんな時、康介は、ある日、楽器店で、坂崎と言う人に出会い、何気に手にしたギターで「イムジン河」を弾いて見た。坂崎は康介に興味を示し、その曲の事を、もっと教えてくれた。
康介にとって、彼はとてもスケールの大きな人間なのだ。一方、康介はますます、彼女と仲良くしたいが為に朝鮮語を覚え、ギターを坂崎に習い、彼女をコンサートに誘おうとするが、彼女はその日は予定が
入っていた。実は彼女は、朝鮮学校の番長的存在のアンソンの妹でそのアンソンは帰国し、その帰国の祝いの宴会だった。康介は逆に彼女の方から、誘われると「行く! 」と返事をしてその宴会に参加する。
そこで、康介は彼女とギターとフルートの合奏で「イムジン河」の演奏。康介はその中に入り、彼女ともとても仲良しになる事が出来た。
ある日、康介は川沿いで演奏している彼女と出会い、対岸からずぶぬれになりながらも、彼女の所へ。そこで告白。彼女の方からはとても、真剣な質問が返ってきたが彼は一言も答えられなかった。
相変わらず、朝鮮学校の生徒との争いは続く。親善の為のサッカー試合も結局はけんかになり中止。
そして、アンソンの付き合っている女の子は妊娠。でもアンソンに言えないでいる。友人の女性は、アンソンのところへ行き、事の次第を告げる。
そして、初めて、アンソンは事実を知るのだった。
ここからがストーリーは急展開。本当の意味の「イムジン河」はどんな事なのか? この人達の関係はどうなるのかは映画を見て知って欲しい。

この映画を理解するには多少、日本の史実の知識が必要かも知れないが、いつの時代にもはちきれんばかりの元気な人達がいて、恋愛に友情にと頑張っている姿がある。
これはユニバーサルな課題であり、何もこの映画の時代に限った事ではないと思う。しかし、この映画は日本の若い人達が一番元気であったであろう頃の覇気とそれから、現在の日本人が認識を
余りしない事実を上手くミックスして述べた映画であると思いました。
いつかは、この「イムジン河」。超えられるといいなと感じました。
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レイクサイドマーダーケース

この映画を見た時になにか底知れない怖さを感じました。それは、最初から最後まで。特に、最後のシーン。殺された人の顔が出るんですけれどあれが一番怖い。
それにしても人間てここまで恐ろしくなれるものなんですね。親は子供の為に何でもやると言っているけれど、本当に子供の為ならばそこで殺人事件が起きようが、
不誠実な事が起きようが、その不誠実さを正す為に子供に教えるのではなく、自分たち自身がそれをやってしまう。それも子供の為。子供は親の鏡。つまり、子供は
親を常に見ている。子供の為と言ってやっている行為はつまりは自分達の親の為でもある。
この話のきっかけは「お受験」。受験戦争真っ盛りの日本では、「お受験」は一大事。いかに有名な学校に入るか、いかに物凄い学校を出るか、今の日本の受験はそうである。
幼稚園から「お受験」は始まる。当然、大学、大学院もそうだ。今は不景気で仕事を得るのにも資格があった方が良い。そうするとまた、別な意味の「お受験」があるのだ。
この「お受験」はある意味、日本の一つの産業を編み出し、それは今や、かなり大きなものへと進化している。普通の外国の方、一般人には理解できないらしい。しかし、
アメリカやフランスにだって「お受験」は存在する。特に名門の私立の学校に行こうとすれば。韓国等では、日本以上に「お受験」が盛んだし、中国の様な国では
幼い時から才能の有る子の発掘に国自ら、力を入れている。
日本の場合は、どうだろうか? 雑誌か何かに載っていたが、日本の場合は「確かにどこの大学を卒業したかはどこの国でも重要だが、日本の場合は少し違う。就職する時でも
何でも、人を判断する時に何を大学でどう勉強したかでなく、某大学の某学部の某学科を出たという事が大切なのだ。本人の才能、向き不向きや業績は関係ない。」と述べていた。
この映画の最大の背景は「お受験」の為に親たちが有名な塾講師を雇い、合宿をし、「お受験」に勝てば、社会の勝利者の道が開けると信じ、子供たちを「お受験」に向かわせる
という事だ。しかも、この講師もまた「お受験」戦争に巻き込まれた中で育ってきた。何か「お受験」と言う物に現代社会のひずみを感じる。

原作はベストセラー作家・東野圭吾の本格的ミステリーホラー小説「レイクサイド」。これは発売後たちまちベストセラーになったそうだ。
映画化するにあたってかなり、変更している部分があるらしいが、おそらく原作も、この映画以上の新感覚のミステリーなんだろうな。本当に怖い。とても綺麗な湖の別荘を舞台に
展開する緊張しっぱなしの謎。それもなかなか解けない。サスペンスというか何かはっきりではないがこの映画の結末を見て、謎がある程度解明された時には背筋に怖い物が
走った。現代社会がこうならば…ならば未来は? 誰もが心の奥底で秘密を持っている。それは暴かれたくない。暴かれるべきではない。ならばどうするか?
背筋が凍る。
出演者は主人公の役所広司。その妻には薬師丸ひろ子。そして、同じく、この合宿に参加している夫婦、鶴見辰吾とその妻に杉田かおる(この二人はその昔「金八先生」でとてもセンセーション
を巻き起こしたカップル)。そして、なかなか器用であっさり演じながらそのあっさりとした演技が怖い柄本 明とその妻の黒田福美。役所の愛人役で登場の眞野裕子。また、最近、
エリート塾講師役には色々な役柄に精力的に取り組む豊川悦司。彼はこの映画の中である意味キーパーソンでもある。とても怪しい雰囲気をこの作品に加えている。
中学受験を控えた子供の「お受験」合宿に向かう主人公並木俊介(役所広司)は忙しいアートディレクター。妻の美奈子(薬師丸ひろ子)とは、今、別居中。娘の舞華は美奈子の連れ子。
そうだとしても、今、別居中と言う事が知られれば、親子面接の際、舞華には不利になる。無理しても仲の良い夫婦を演じなければならない。映画を見ればわかるが実はこの舞華。
良い子では有るが実はかなり恐ろしい子である事がわかる。湖畔の別荘にこの夫婦と子を含め、3組の親子が集まる。しかもこの別荘の提供者は藤間智晴(柄本 明)の持ち物。
そこにエリート塾講師津久見(豊川悦司)。並木は、舞華の事は考えているとは言うもののどうも考えているようには思えない美奈子。そして、「お受験」を少々、馬鹿にしてかかっている?
のは服装や態度で何となくわかる。
そんな時、並木の元に仕事絡みの女性(眞野裕子)が訪ねてくる。実はこれは並木の愛人だがどうやら津久見とも面識があるらしい。彼女は帰ろうとしたが津久見と話している内に近くの
ホテルに滞在する事にした。そんな時、その並木の愛人が殺された。自分が殺したと言う美奈子。警察を呼ぼうと言う並木。スキャンダルを恐れる親たち。どうやら色々と矛盾点があるらしい。
スキャンダルを恐れる親たちは結託して湖にその死体を沈める事にした。そして、事件を無い物にしようとする。
この親達の葛藤、動き、発言や言動は面白く興味深いがよくよく考えるととても怖い物がある。恐ろしい。人間とは本質的に恐ろしい存在なのだという事が改めて認識させられた。
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試写会で見た「オペラ座の怪人」

今日は公開前だが、試写会に偶然行ける事になり、見てきました。多分、私の事だから、また、きちんと公開されたら見に行く様な気がします。じゃ無くて
絶対、行くなあと思います。(笑)
この映画は前宣伝でも言われている通り、アンドリュー・ロイド・ウェバーの作曲・脚本・製作の映画。もちろん、これは、何年も前から世界各地での舞台で
有名なミュージカルの映画化。ミュージカルでこんなにロングランと言うのもなかなか珍しいのだが音楽が良いし、ストーリーも素敵だし演出も良いと来れば
きっとチケットが手に入れば行きたくなると思います。日本では劇団四季がやっていますね。私はロンドンのHER MAJESTY'S THEATREで何年か前に見ました。
映画を見てその時の事を思い出しました。ついでにその時、ハイライトCDを買っていたので、何日か前から公開前に聴こうと思って聴いていました。
映画の中では舞台で使われた曲は殆ど同じでした。違うのはクリスティーヌがはじめて歌う時に、舞台版では「発声練習かな?」とも思えるような部分がありましたが
映画版ではありませんでした。
音楽のアンドリュー・ロイド・ウェバーがこのミュージカルは自分にとって特別で作品を映像の形で残しておきたかったと思うのも当然だなと感じました。

映画は舞台と違ってかなり、細かい撮影や裏舞台等も出さなければならないのでしょうけれどもきちんとディテールも作られていてまた、映画ならではのSFXなどの
効果も使えるのでかなり綺麗な映像に仕上がっていたと思います。エンドロールの部分は多分あれは新曲かも知れませんが舞台では演奏されていなかったと思います。
問題のあのシャンデリアはスワロフスキー製。とても豪華で美しい。
映画の一シーンで、カップルがスワロフスキーの商品を売っている店のシーンがあったんですがそれがなにやら暗示しているようです。
演じている俳優さん自身に軽く触れるとファントムの役をやっている人はジェラルド・バトラー。ちょっと骨太の感じな存在感と声量はあるのだけれどそれほど歌が上手いとは
思わなかったのは私だけかな? しかし、とてもセクシーな感じですね。彼は。グラスゴー出身で、映画にもよく出ているみたい。「トゥーム・レイダー2」「タイムライン」
とかにも出てたらしいです。なかなか、ファントムの愛しているんだけれどねじれた愛。彼の情熱や苦しみの部分が、クリスティーヌによってマスク
を取られる時に特に表れていました。 クリスティーヌ役のエミー・ロッサムはニューヨーク生まれ。幼少の時からオペラ等の舞台に立っていて、歌は上手です。
イギリス式の発音に慣れるのに大変だっただろうな。ラウル役のパトリック・ウィルソンは良く知らないけれど話し方や発音の仕方でアメリカ人かなと思ったらやはり
そうでした。無理して余りイギリス式に直さなかったみたいです。ただ、重要な歌の部分は、かなり矯正されていた感じがしました。
ルルー原作の「オペラ座の怪人」は何度も映画化されています。ただ今回の様なミュージカルではありません。また、舞台の方もこの「ロイド・ウェバー版」
だけではなくて「ケン・ヒル版」というのがあってこれも何度も舞台上演されています。
1870年のパリ。オペラ座では支配人が変わったり、その他色々な事件が起きていた。これはファントムの仕業と噂されていたが何もわからない。
その中で、リハーサル中に突然の事故。プリマドンナが出演できなくなり代役探し。そこでクリスティーヌに回ってきた。
いよいよ、初演で、そこで幼馴染の若い貴族のラウルに再会。その再会に喜んでいる姿を見たファントムはクリスティーヌを地下深くの自分の居場所に連れて行った。
今まで、実はファントムは影ながらクリスティーヌの音楽の影の個人教師をしていた。クリスティーヌは音楽家だった父親が生前よく「音楽の天使が来る」という
言葉を信じ、ファントムが亡くなった「音楽の天使」と信じて彼を慕っていたが、連れて行かれた地下の場所で仮面で隠した彼の正体をみて、驚く。
そこから、物語は急激に展開する。
今日見たこの作品は一般ホールで見たので改めて一般のもう少し音響効果のある映画館で見たいと思っています。。
また、この作品のサウンドトラックは2タイプあって限定版の方は映画を完全収録しているらしいです。
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シルヴィア

久々にシリアス物のグゥィネス・パルトロウの作品を見ました。ちょっとこの所、コメディ系の映画が多かった彼女。ミニシアター系の映画ではある物の
彼女の本当の演技力をここで見る事が出来た。この作品はグゥィネスだからこそ出来たと思っています。「恋に落ちたシェークスピア」でアカデミー賞
を受賞した彼女。ここで本当の彼女の風格あるアカデミー女優らしい演技を見た。
彼女の演じるシルヴィア・ブラスはアメリカ生まれの女流詩人であるが生前は詩人としては余り名が出ず、夫の名声は高かったが彼女は作品が書けない
というジレンマに陥っためか、とても作品が少なく、また、詩の作品自体も迫力あるものとなっている。彼女は桂冠詩人の夫テッド・ヒューズと結婚
したが夫の作品が賞賛され、自分がされない事による焦り、そして、夫の浮気疑惑等に疲れてしまい、最後には心身ともに疲れ、自殺をした。
彼女は後に亡くなって20年後位にピューリツァー賞を受賞している。彼女の作品は、今では大学などでも夫のテッド・ヒューズの作品と共に試作研究の
一貫で使用される事がある。彼女の長編小説「ベル・ジャー」は今でも「ライ麦畑でつかまえて」の女の子版として読まれている。
シルヴィア・プラスが青春期を迎えた時代、アメリカは特に、女性の選択肢がなかった。知性を持った女性でさえ、「家庭に帰り、良妻賢母」が求められた
1950年代である。また、彼女はとても精神的に繊細。自殺未遂もしているし、父親を早くに亡くしているという事で、家庭的に愛に、特に父親の愛情に飢えている
と言えよう。
今回、グゥィネス・パルトロウ自身も父親を亡くしたばかりの出演で、悲しみにくれていて最初、この作品の出演をキャンセルしようとしていた位だと
聞く。しかし、悲しみを埋めるのはやはり仕事、しかも自分と同じ様な感覚を共有しているシルヴィア・プラスに共感を覚え、出演を決めたという。
ここに出ている出演者はとても面白い。夫役は「エリザベス」「ホワイト・オランダー」「ロード・トゥ・パーディション」に出演していたダニエル・クレイグ。
シルヴィア・プラスの良き理解者として出演している名優の故リチャード・ハリスの息子のジャレッド・ハリス、晩年、同じアパートに住んでいた住人の
役のマイケル・ガンボン。そして、何よりもグゥィネス・パルトロウの実の母親、プライス・ダナーが、やはり母親役で出ています。母親と並んで撮影された
グゥィネスはとても母親の面影が残っています。これもまた面白い話題の1つ。
この映画は、シルヴィアが英国に留学しており、結婚生活の大半をイングランドで過ごしていたという事で英国で撮影されています。
例えば、彼女が留学していたケンブリッジ。ケム川のバンティングの様子が出ているのですがとても綺麗。懐かしいです。キングスカレッジの大聖堂
が移っているのを見た時にはとても感激しました。また、結婚してイングランドに戻りしばらくしてからデボンシャーに移るのですが、ムーア(荒れ野)のシーン
はとても懐かしく、デボンシャーで有名なクロテッドクリームを付けたスコーンでお茶をしたかった位です。とても懐かしい。
話は、彼女がスミス・カレッジを卒業しフルブライト奨学金を得てケンブリッジに留学していた所から始まります。才色兼備なアメリカ娘として人気があった彼女は
テッド・ヒューズの詩を読み、とても惹かれ強い感動を受けて会いたくなる。ある日、パーティーで偶然出会い、それが彼女にとって夭折の詩人を生み出して
しまうテッド・ヒューズ本人に出会い、とても惹かれた。それ以来、二人の交際は続き、シルヴィアはテッドの原稿の手伝いをするほど。ある日の
詩の朗読会でテッドは自分の持論をシルヴィアに語り、その晩、彼らは…。その時、シルヴィアは自分の自殺未遂の件を話す。
やがてテッドの作品「雨中の鷹」が賞を獲得し喜び合う二人。結婚し、彼らはアメリカに渡った。アメリカで歓迎パーティのときシルヴィアの母から絶対に
彼女を幸せにして欲しい。見捨てないで欲しいと言われる。母親はテッドに不安と恐れを感じたのだった。
シルヴィアは大学で教職の仕事につくが、思いの外、仕事はハード。それに、テッドが浮気をしているのではないかと疑いだす。その夜、二人は喧嘩。実はテッドもアメリカでは
執筆活動が上手く進んでいなかった。このテッドの女性問題というのはシルヴィアを生涯悩ます事になります。
イングランドに戻った二人。二人に娘が出来る。テッドは詩人として名声を確立していく中でシルヴィアは子育ての中での執筆活動。しかも、書けないでいた。
これは相当な焦りとなった。しかもシルヴィアの作品を認める出版・批評ジャーナリストは一人だけ。
この中でまたテッドの女性問題が浮かび上がる。彼らは田舎に居を構え、落ち着いた中でシルヴィアの詩作環境を整えようとする。現在のロンドンの家は
貸す事にしデボンシャーに引っ越す事にした。借り手はやはり、詩人夫妻。この夫妻の妻が後に問題となる。
デボンシャーで詩作と育児、家事と忙殺されるシルヴィア。しかし、詩は書けない。
ある日、この夫妻が、デボンのこの夫妻を訪ねる。この時、シルヴィアは夫とこの夫妻の妻アッシアとのただならぬ関係に気づくのであった。
しばらくして、テッドが留守にした時、この二人の浮気を証拠付けるものが発見された。シルヴィアは泣きながら、燃やす。
やがて、疲れきったシルヴィアはテッドと別れ、初めてテッドの事を気にかけなくても良い自分に自由を感じた。次々と詩を書く彼女。そのどれもが傑作で
あった。しかし、売れない。
ロンドンに戻った彼女は厳しい冬、金銭的にも苦しい中、子供を抱えて生活していた。階下の親切な老人の存在は彼女の慰めとなった。
やがて、テッドも彼女にまだ未練がある事がわかったがアッシアを捨てるわけにも行かない。
生活できなくなったシルヴィアは夫と仲直りをし、元の二人に戻ろうと未来のプランを肉体関係をしながらも語る。ところがテッドの返事は冷たかった。
アッシアが妊娠。テッドは彼女を捨てられない。愛している。しかし、またも両てんびんにかけようとするテッド。しかし、この事実はシルヴィアを徹底的に打ちのめした。
心身共に疲れたシルヴィア。彼女の取った行動は…?
なかなか、目の離せないシーンが続く。グゥィネス・パルトロウの演技が輝るこの作品はシネ・スイッチ銀座他、全国順次公開予定。

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ネバーランド

人間、夢を見る事、良いですね。大切ですね。子供ではないですけど大人でも純真な子供の時の気持ちを持ち続ける事。これは非常に大切ですね。
さて、この映画は、「ピーター・パン」の原作者のジェームズ・バリがなぜこの作品が生まれたかと言う事を実話を元に描いています。多少、事実と
設定が違うようですが…。でも、この映画を見て涙した観客はかなりいたと思います。涙まで行かなくても心にぐっとくる何か温かい物、感じた方、
多いと思います。これはジョニー・デップの感動作品と言っていいと思います。ついこの前、上映していた「シークレット・ウィンドウ」ともまた、
一味、雰囲気の違う作品です。「シークレット・ウィンドウ」もなかなか興味深い作品でした。彼が出演した映画、「シザーハンズ」それから間が
あきますが、「パイレーツ・オブ・カリビアン」から公開されている彼の映画は殆ど見たと思いますが…。「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」
はちょっと別ですが…。彼は最近とても活躍しています。目が離せない俳優だと思います。今回もアカデミーの期待がされています。
また、共演のケイト・ウィンスレットは「タイタニック」で有名ですがしっかりとより大人の魅力をつけた女優に成長したと思います。
しっかりした、良い演技でした。
また、ピーター・パンの名前にもなったピーターの役をした少年の演技も良いですね。どこかで書かれていましたが第二のハーレイ・ジョエル・オスメント君
とまで言われています。あの涙一杯の顔、忘れられません。
また、ダスティン・ホフマンも出演していました。
ところで、このジェームズ・バリはよく犬の散歩をかねてケンジントン・ガーデンズにいくのですが、ここにはケンジントン宮殿があり、故ダイアナ元皇太子妃
の関連の博物館にもなっています。とても広い公園です。私は、一度時間を過ぎてしまってロックされて、脱出するのに苦労した事があります。とても綺麗な公園
です。サーペンタインの池の近くにはピーター・パンの銅像もあります。私は広すぎてまだ、ここまでたどり着いていないのですが…。
昨年は冬に「ピーター・パン」の実写の映画が公開になりました。今、DVDで販売になっています。なぜ、今、ピーターパンなのか。
このピーターパンの劇場上映がされて昨年でちょうど100年。それがあるからです。
ジェームズ・バリはスコットランドの出身。スコットランドはエジンバラを除いて言葉にかなり強烈なアクセントを持っています。これを会得したジョニー・デップ
は凄いですね。なかなか難しいんですよ。夏のスコットランドは最高です。何年か前にスコットランドをかなり回りましたが、とても良かったです。
この映画を見たらまた、イギリス、行きたくなりました。もし、ロンドンで、また、「ピーター・パン」の再演がありましたら是非見てみたいです。
ジェームズ・バリは子供好き。子供と一緒に遊ぶんです。また、そういうことがあるせいか彼には悪い噂が色々とありました。一番大きいのは
「ピーター・パン症候群」という言い方でしょうか。こういうのに「ポリアンナ症候群」というのもあるのですが、これらの言い方は作品を
極端に侮辱し、作者に対して非常に失礼な言い方だと思います。確かに、そういう傾向の人がいるかも知れませんが病気扱い、仮に病気だとしても
これらの名前をつけるのは抵抗を私は感じます。
ネバーランド。ここは奇跡が起こる場所。想像上の素晴らしい場所。幻想の場所、理想郷。信じていれば必ず行けるとされる場所。
永遠に自分が夢見る事の出来る場所。人間はいかにしてそんな場所にいけるのか。永遠の課題でしょう。
ジェームズ・バリ当事はスランプ中。書いた作品が不評で初日から最悪の状態。批評も最悪。そんな時、彼はいつものようにケンジントン・ガーデンズ
に散歩に行った。そこで、ある一家に出会った。子供達は遊び、楽しそうにしていた。ところが一人だけ兄弟の遊びに加わらない。なんとか、しようと
色々と振りをしたり演技をしたりして子供達と仲良くなった。そして、再会の約束をもした。
聞けば一家の主人は亡くなったばかり。収入も無く、子供達はたくさんおり、色々と苦労している様子。特にピーターは父親が亡くなってから気難しくなっていた。
しかし、母親はその苦労を他人には見せない。
その話を帰宅して妻に話すと、一家を夕食に招こうという事になった。妻は社交界に出入りし何とか、認めてもらいたいために母親の実母に近づいてきっかけを
見出そうとしていた。なぜなら、その実母は社交界では名の知れた人物で顔も広い。親しくなって社交界で認めてもらおうと思っていたのだ。
さて、ディナーは実現したが、一家の母の実母は彼女を余り相手にしない所か、ジェームズ・バリの行動にまで、大人が子供と遊ぶなんてとさげすんでしまったのだ。
彼の妻にとってはこのディナーは最悪の気分。しかし、それは実母の彼女に対する冷たい仕打ちだけでなく、ジェームズ・バリが一家と親しくなる事が嫌だったのである。
社会的に噂にもなるし、自分がはずされた気分になったのである。しかし、バリにはわからない。
夫婦間の関係が悪くなるにつれて益々外に出て、子供達と接していくバリ。彼は子供達の中のピーターという子の中に自分を見つけ親しくなっていく。
そんな折、彼は一家を郊外の別荘に招き、一家を悪い噂から守ろうとする。彼自身幸福であった。しかし、問題があった。一家の母親が病気になってしまったのだ。
そんな一家を助けようとするが一家の実母に良く思われず妻からも信頼されず彼自身困ったのだ。子供達と遊ぶ事が彼のイマジネーションを掻き立てる。
だんだんと彼女の病気は悪化する一方。そんな時、彼のピーターパンの初演があった。一家を招待したが発作を起こし一家は行けなかった。
ただ一人、ピーターだけが行った。作品は拍手喝采。招待された子供達も楽しんだ。
そんなある日、彼は以前から母親から「ネバーランドはどんな所?」という質問に答えるために彼女の自宅で身に上演した。そして…。

これは本当に良い作品でした。心温まるハートウォーミングストーリー。新春。感動の涙を受け取りませんか?


posted by diane at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オーシャンズ12

またまた、あの「オーシャンズ11」がやってきた。相変わらずの豪華キャスト。そして、相変わらずのデカイ仕事をやってのける彼ら。しかし、今回は
少し、状況が違っている様だ。まず、オーシャン(ジョージ・クルーニー)と前作では謎の女(実は以前に夫婦だったという設定でテリー・ベネディクトの女だった)として出ていた
彼女テス(ジュリア・ロバーツ)が再度結婚している!!!!
しかも、あんまり大きな役どころがもらえなかったライナス(マット・デイモン)はダニー・オーシャンの右腕のラスティーに「今度は重要な役にさせてほしい」
などと訴える。相変わらずしつこい悪役のテリー・ベネディクト(アンディ・ガルシア)も彼らに付きまとう。おまけにユーロポールの捜査官(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)とラスティーの不思議な関係。
これらが非常に錯綜していてわかりにくくなっているなあと感じた。。
舞台はアメリカを離れ、ヨーロッパのアムステルダム。ところが、撮影開始となるのはいいが、出演者の一人である、ジュリア・ロバーツの妊娠がわかり、初めと脚本および
原案が変わったとの事。これだけ、豪華スターが集まれば色々と物事が変わる。
しかも、ジュリア・ロバーツがジュリア・ロバーツを演じなければならない所もあり、しかもユーロポールの捜査官だったはずのキャサリン・ゼタ=ジョーンズも今後はもしかしたら?
それに、さらに、大物がカメオ出演してくれる? と様々な話題提供のがあり、前作をさらにスケールアップした今回は…。

前回、オーシャンズ11に上手い事、お金を取られたテリー・ベネディクト。復讐の為にメンバー一人ひとりを訪問し、金を二週間以内に返せと要求。
そこで、メンバーが集まった。怯える者もいればやってやろうと言う者ありと参加態度はそれぞれバラバラなのだが殺されてしまってはたまらない。しかし、アメリカ国内では
彼らは有名すぎるので海外でという事で、マツイという謎の人物(この人物もラストの大ドンデン返しの時に重要)に相談。そこで、アムステルダムに飛び、第一の作戦をするが失敗。
(実はこの第一の作戦の時、私自身疲れていたんですね。毎日映画見ていてしかも、この日は4本見るので。思わず短時間ですが眠ってしまいました。だからどんな作戦でどう失敗したかよくわかりません。)
おまけに彼らを追うユーロポールの捜査官。彼女はラスティーと関係があり、ラスティーに過去に振られているとか…。彼女に追われ、オーシャン達はアムステルダムを一時撤退。しかも彼女の執拗な
追跡。彼女の執拗な追跡は実は、ラスティーが彼女にあった時、携帯を盗まれていたから。
一方、第一の作戦を失敗した彼ら。オーシャンは誰のせいで失敗したかを突き止めた。話あったが、逆に「世界一の大泥棒」の名声を決める話を逆に持ちかけられ、同じ物をねらって
ローマへ。ローマでパリから移送される美術品の「豪華な卵」を盗む事で合意。早速、取り掛かる。
しかし、このことはすべて捜査官に筒抜けになっていた。なんとか、盗み出そうとするグループのメンバーが次々と捕まる。ここで、必要とした残りのメンバーは考える。
まだ、アメリカに残っているテスの力を借りようと呼ぶ。その際のテスの自分のカメオをやる時のシーンが見ものです。それだけではありません。ここでなんと、
あの大物俳優が自分自身でカメオ出演。彼のこの時の存在は大きいですよ。
さて、ここで、捜査官は実は上司の許可なくして行動に出たという事で、今度は終われる身に…。しかし、オーシャンたちを捕まえたい彼女。ラスティーと彼女の関係はどうなるんでしょうか?
そして、グループはどうなるの? 誰が「世界一の大泥棒」?
これがすべてわかった時の結末は? ここでどうでるのか、オーシャンたち…。

今回は私も途中で少し眠ってしまったせいもあり、ちょっと完璧に話を把握していない部分があるんですね。また、スケールが大きくなったことで話が交錯し過ぎて
わかりにくくなっています。大きな仕事をやり遂げた彼らは凄いんだけれど、私自身の感想としては結末の爽快感は、前作の方が上だなと感じました。
ところで、大物俳優のカメオ出演。誰でしょう? あの人ですよ。(アクションで有名。最近はなるべくアクション物以外にも取り組んでいます。
最近は何に出たかな? 「ティアーズ・オブ・ザ・サン」とか…。)
posted by diane at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北の零年

日本の映画としては、かなり力を入れて製作されたのだろうと思う。一種の大河ドラマの様な雰囲気をも持つこの作品はやはり、上映時間が非常に長い。
未だに自然の宝庫として名高い北海道を舞台に自然溢れる画像が、スクリーンに広がる。この風景は北海道のどこかなと始めは考えたが、後でわかったが
色々な所で道内各地色々な所で撮影されているが特に日高地方の静内が舞台だという事が映画を見ていてわかった。現在サラブレッドの原産地として名高い
日高地方だけれど過去にこういう先人達の苦労、それから隠された史実があったんだという事もフィクションといえども納得させる。また、アイヌ人が出てくるが
この辺りは未だに引きずるアイヌ・ウタリの人達の問題も抱えている。大きな劇場の大スクリーンでTHXサウンドの良く聞いた所でこの映画を見る事が出来たのは
とてもよかった。観客層は比較的、年齢の高い方が多かった様に思える。
もう1つ、この映画で言えるのは、配役の人達がとても豪華であるという事。まず、主演の吉永小百合。私は彼女の映画は殆ど見た事も無く多少、
昔の映画のフラッシュという形でしか見た事がない。しかし、日本映画史上、彼女の存在は重要であり、とても綺麗で、未だに現役で活躍なさっているのは
とても素晴らしいと思うし、この役は彼女だからこそ、楚々とした清楚な日本女性から、開拓に生き、逆境にも負けずに、自分の信念「夢見る力がある限り、
きっと何かが私達を助けてくれる」に基づいて行動した
女性を演じる事が出来たのではないかと、思っている。また、他の配役としては、渡辺 謙。今やハリウッド映画にも出演し期待されている人物。
この映画に出て、「バットマン」シリーズにも出演というのはかなりタイトなスケジュールだったと思う。しかし、刀の似合う人だ。
最近の日本映画にはよく出演している香川照之。彼も目が離せない人物。本当によく出演している。主役ではないが映画の中でのキーとなる役どころを
彼独特のセンスで演じてくれる。他には「踊る大捜査線」シリーズでも欠かせない人物に柳葉敏郎。それから、豊川悦司。渋い演技を見せてくれる
石橋蓮司、平田 満など。配役の事を言い出したら切りが無いくらいだ。これだけでもこの映画のスケールの大きさがわかる。
また、監督はついこの間まで話題に上っていた「世界の中心で愛を叫ぶ」の行定 勲。その他、7000人のエキストラ。オープンセットの作り。衣装の
細かな縫製等、スタッフに至るまで凄い。
さかのぼれば話は淡路島にまで至る。詳しい事情はこの映画だけではわからないが、淡路島はどうやら徳島藩の一部であり、特殊な事情に
おかれていたらしい。そこで明治維新。新政府とのやり取りの中で何かの諍いがあったらしく、ここの淡路にいた者は北海道に移住しなければ
ならない事情になったらしい。良くわからないが、当時の北海道は本当に開拓の時代。同じ様な事情で、または、何かのいわくがあって移住してきた者
は多数いたであろう。今でこそ、政令指定都市、約190万の人口を抱える札幌でさえ、当時は単なるど田舎の街にしかすぎなかったのではないか。
話は彼らに戻るが半月にも上る長旅の後、ようやく彼らは北海道にたどり着く。曰くはともあれ、先遣隊もいた中で、「未開の地に自分達の理想の国を作ろう」
と、移住してきた面々は思い頑張っていた。しかし、北海道は未開、知られざる北の大地。自然の怖さが彼らに襲い掛かる。なかなか、実りを見せないのだ。
自然環境が違いすぎ、農法や品種を考えなければならない。そこに第二陣の船の難破。待ち焦がれていた彼らの殿様にも見捨てられた様な形の彼らは腹をくくって
ここに生きていく決意をしなければならない。しかも、この時代は明治政府の立ち上げの時な為に色々な制度が出来る。ここも例外ではない。そんな時、怪しい商人
が彼らに近づく。ある意味彼がいなければやっていけなかった彼らはこの商人の言うがまま。一方、実りの無いここでは新しい品種の米が必要となり、渡辺 謙扮する
ここでの武士たちのリーダー格が札幌へ発つ。ところが、行方不明になり消息が消える。そんなとき、彼の妻である吉永小百合扮するヒロインは周りの
そしりも辛かろうに、一生懸命頑張って、立派な牧場を作り上げていくのだった。そこには、アイヌの民と一緒に生活する豊川悦司扮する元会津藩
の武士の手助けや、北海道の酪農では忘れてはならないエドウィン・ダンなどの助けで牧場経営も農場も軌道に乗り始める。そんな時、彼女の牧場に軍馬の徴用命令が
下る。それを今や静内の戸長となった怪しい先ほどの商人が伝える。今や彼はかつては上の身分の者であった武士たちまで顎で使っているのだ。
この命令を一度は断るが、そうこうしている内に開拓使の使節がやってくる。その人物は…。
多少、フィクションの部分や誇張もあるが北海道の開拓、自然の大きさを知るには良いと思う。
久々の日本映画史上のスケールの大きい大作だと思う。
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東京タワー

「冷静と情熱のあいだ」で売れた江国香織原作の「東京タワー」。この作品は黒木 瞳が年下の男性と恋に落ちると言う事でテレビ・雑誌・ラジオ
などで前評判の高かった作品です。前評判通り、私の行ったシネコンでは毎回、早々と満席になりました。チケット一枚買うのも大変。
まず、始めの方で使用されるノラ・ジョーンズの曲。とても印象的でした。この曲の雰囲気がこの映画全体を支配していた様な感じでした。
それから、最後に山下達郎の曲が使われていて、何となく今後の二組の「年上の女と年下の男」という組み合わせの将来的な見通しを暗示させる
様な曲だと思います。
音楽のみならず、この映画はとてもお洒落に出来ています。ハイセンスな感じが要求されてきます。
たとえば、ロケーションに至っては常にどこかで東京タワーがどちらかと言えば夜景で撮影した部分が大きかったかな?
葉山やパリは無理ですが、それでも、パリのシーンはエッフェル塔が入っていました。
それから、特に黒木 瞳が関わる世界は比較的有名人が集まる場所やシーン。その為、とても素敵な場所(普通なら滅多に行けない)様なところ。
次にファッション。黒木 瞳のイメージと役のイメージのせいか、非常に高級感漂うファッショナブルな雰囲気。そして、スタイリッシュ。これが素敵。
全体的に特に黒木 瞳のカップルを描くシーンではとても知的なインパクトを与える。知的のみならず芸術的な部分もある。例えば、もう一組
の寺島しのぶの方はフラメンコを踊る。これも練習がかなり必要で、運動能力、ダンスの素質、芸術性等かなり質的に優美で高級感溢れる感じ。
どちらのカップルの男性もジャニーズ系。もちろんルックスもセンスも申し分ない。風景にしても人物の撮影の仕方もとてもファンタスティック。
特に東京タワーが夜のシーンでどちらのカップルの場合も象徴的に出てきていてそれが夢見心地な世界になる様に撮影されています。上手い使われ方。

そういう外観的部分だけでなく、カップルの特徴もはっきりと対照的だなと感じます。黒木 瞳カップルは「知的」「透明」「静寂」「幼稚性」。
一方、寺島しのぶの方は「野生的」「本能的」「カラフル」「赤」「情熱的」をとても強く感じました。
これは、ストーリーからすれば当然、感じなければならない物なんです。
高校での同級生、透と耕二。この二人は今、大学生であるが、それぞれ年上の女性と付き合っている。どちらも比較的裕福な家庭らしい。
きっかけはそれぞれ違うが…。
透は母親に連れられて詩史(黒木 瞳)の店へ。透は母親に過保護に過剰に愛されて育ってきた。雰囲気で一瞬にして落ちてしまった。
詩史からの午後四時頃の電話を待つ毎日。自宅で詩史の好む物に囲まれてすごしている。この部屋でも東京タワーが見える。彼の生活は大学生
の顔以外すべてが詩史次第で動いている様だ。いつもは約束をし、どこか洒落たレストランなどで食事をしたりして過ごすのだが三年も過ぎれば
もっと一緒にいたいと思う様になってくる。ある週末、詩史は透を自分の葉山の別荘に招待する。そこへ予期せず夫が…。そして、しばらくして
透は詩史の夫から呼び出しを受け、詩史について話をする。そして、透に絶望感を与える。また、母親も、詩史の家のパーティの準備の時に現れて
詩史にくぎをさす。そして、電話の連絡も途絶え、しばらくして、透はパリへ。そうして、詩史は…。
一方、耕二は透と比べると人付き合いが広い。耕二には既に彼女がいる。ある日、彼はバイト先の駐車場で貴美子(寺島しのぶ)に会う。車の駐車
が苦手な貴美子の代わりに止めてあげた耕二はそれ以来、貴美子と付き合い始める。主婦業に忙しい彼女は夕食までのひと時、彼と不定期に会い
つかの間の一瞬を楽しむのであった。実は彼女は家庭生活では幸福感が満たされていないのだった。互いに惹かれる物を感じそのままずるずる。
実は、透は耕二の事を心配し貴美子との付き合いを止める様に言うのだった。透は高校生時代、クラスメイトの吉田という女子生徒の母親と関係を
持ち、吉田にみられ、家族ぐるみで問題になったことがあるからだ。同窓会で吉田と会い、それから吉田は執拗に耕二に付きまとう。そんな中、耕二
は貴美子との関係に疲れてきていた。感情のままストレートに来る彼女。どうしていいかわからない耕二。そんな中、ある日、バーで耕二は付き合って
いた彼女と吉田がバイト先で同席して困っている最中、貴美子が現れ、思いをぶつける。もう、どうしようも無いのだ。付き合っていた彼女にも
振られ、いつの間にか吉田にも愛想をつかされ、自分のバイト料で買った車を乗り回していた。偶然、貴美子の出ているフラメンコの発表会に
花束を持って現れた耕二。車で帰る時、突然、貴美子が現れた…。

どちらのカップルも山下達郎のの曲が暗示するように、ノラ・ジョーンズの様なまったりとした世界から抜け出して結論を出して自分の心に
整理をつけたがっているようだ。今後、この二つのカップルがどう決着をつけていくのかが観客の推測する所となっている。
posted by diane at 20:58| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

舞台よりすてきな生活

ロバート・レッドフォード製作総指揮の作品。しかし、監督は彼ではありません。でも、この作品はとてもユーモアとウィットに富んでいて
何気に「くすっ!」と笑えた映画でした。原題は「HOW TO KILL YOUR NEIGHBOUR'S DOG (隣の家の犬を殺す方法)」なんて、物騒なんですが、
その為か、邦題は全く違う物になっていますが、この原題も、映画のストーリー展開上、必要な事柄なんですね。最後まで見ているとわかります。
この作品は元々、テアトル系の作品ですが順次全国公開されていきます。笑いの要素があちらこちらに散らばっている為に観客の皆さんの
笑いのポイントが多少違っているのも面白かったかな。
まず、L.A.に住んでいる劇作家の英国人と言う設定です。そして、英国人と言う事を多少強調しないとこの作品の面白さが多少減りますので、
せっかくのカリフォルニアが舞台でも冬の設定です。そして、これは監督とか、演出の方の考えなのでしょうか。一般のアメリカの方の英国人の
イメージがよくタバコを吸う、ビールを好むと思っているのか、主人公がいらいらしだすと、やたらとタバコを吹かしているんですね。
実際、そうなのかも知れませんが…。
そして、英国人の劇作家ということで周りの人が有名な作品を次々と言っていくのですがこれが全部、アンドリュー・ロイド=ウェーパーの作品
名ばかりです。とにかく彼は世界的に有名だと言う事でしょう。もうすぐ「オペラ座の怪人」の映画公開になりますね。彼が作曲・脚本担当していますから
元々のロンドンのシアターでやっているものに近いと思います。
この英国人の劇作家の役はケネス・ブラナーがやっています。彼は元々舞台俳優なんですが、最近は、映画にも良く出演されているようです。
有名所では、ハリポタシリーズの第二作目「ハリー・ポッターと秘密の部屋」ですね。彼は、新しい魔術(?????)の教師として出てきますが、
あそこでも随分とユーモアを利かせて出演していました。また、ハリポタはイギリスが舞台、今度のこの映画はアメリカという事のせいかな。
イギリス英語っぽさがハリポタ程ではないんですね。逆に後で(笑えるんだが)彼の偽者役をやっている人の方がはっきりとイギリス英語だなと
感じます。
さて、この作品はL.A.に住んでいる英国人の劇作家。過去は色々と取り沙汰されて賞を受けたり、よく、喝采されていましたが、ここの所は
超スランプ中。特に子供の所の描写が書けない。彼は元来子供が苦手。当然、作品も堅く、スムーズじゃない。しかも、最近は彼の妻が「子供がほしい」
と言って、彼にプレッシャーを与えるものだから余計に子供に関しては敏感。当然、夜の性生活も上手くいかない。ちょっと不眠気味。
しかも、最近になって、隣の家で犬を飼い始めた。夜になると鳴き出すので、彼としてはうるさくて寝られやしない。できれば殺してやりたい
とまで考えている。そこで、仕方なく夜の散歩に出る様になった。
最近、近所では彼の名声をあがめてなのかねたんでなのか精神異常者なのか、彼の偽者が現れ、名を騙り、近所に迷惑をかけている。
夜に、散歩に出ると警察に同行されて妻に本人確認される始末。しかし、初めはこの偽者を迷惑がっていたが、実は夜中の散歩の良い相棒になっていくのだつた。
一方、近所では離婚したばかりと言う娘連れの母親が越してきた。この子が彼には最初は疎ましい存在だったが、彼の作品の子供の描写という点で
彼女と接触するにつれ、良い影響を与える。そして、この女の子は障害を抱えていたために両親が何もさせていなかったせいか友達もなく、内気だった
が、この夫婦と付き合う様になってから、水泳したり、ダンスしたりで明るくなっていくのだった。
ある日、彼女のダンスを母親の前で披露させていた時、彼女が何度もミスをするので恥ずかしいと感じ、止めさせようとした。
そこで母親と夫婦の言い争い。一番心にダメージを持ったのは女の子。その後、この子はこの夫婦との付き合いを禁じられる。
ある日、この女の子の母親が、前夫との間に縁りが戻り、女の子との別れの時がやってきた。別れる時、彼らの間には何ともいえない友情の様な
物が芽生えていた。そんな時のある夜、寝ている時に突如として銃声が…。すると、隣の犬が死んでいる。彼は警察に…。
大きな声で笑えるコメディも良いけれどこの様に随所に問題を孕んだコメディタッチの粋なセンス。これを精一杯楽しんだ映画だと思う。
posted by diane at 20:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

TAXI NY

今年になって見た笑えてしかも爽快でカッコイイ娯楽映画と言って良いと思う。今年のお正月娯楽映画は「カンフー・ハッスル」に始まったが
これも、超娯楽映画。しかもあのリュック・ベッソン原案の映画とくれば見たくもなる。元々はフランスで作られてシリーズ化されたと言う事
だが、実は、リュック・ベッソン関係の映画では、私自身は余り見ていない。有名な所では「グラン・ブルー」「フィフス・エレメント」位かな。
だから、フランス版「TAXi」は見ていない。
しかし、映画は監督や製作者の名前で見る物ではないので作品そのもので見ると私は結構、面白かった。
まず、タクシードライバー役のクィーン・ラティファ。彼女は面白くいい役者だ。最近の有名な作品では、「シカゴ」の女看守役。そして、一昨年
公開の「女神が家にやってきた」。これがとても印象的。そして、彼女は、良い歌手でもある。その彼女が最近はこういうコメディに出ていて
とても面白いアクセントの利いた作品に出演している。相棒役の方は実は、私はあまりよく知らないのだがコメディアンとして人気上昇中との事。
そして、どこかで見た事あるなあと思っていたら銀行強盗団の女ボスの女優。実はスーパーモデル。そー言えば確かにラルフ・ローレンのポスターで
見た事あるなあと思いました。しかも、彼女は、レオナルド・ディカプリオと交際しているとか。そして、やはり、モデルだけあってとても
スタイルが良いなあと思ったのは私だけではないはず。別に偏見はありませんが私自身の意見としてヨーロッパは別かもしれませんが、一般に
北アメリカやオーストラリアあたりの人って意外とヒップとかウェストの辺りが大きいのですが彼女はとてもスラッとしていてとてもかっこいいなあ
と思ったのは私だけではないと思います。
おまけにかっこいい車。BMW。いいですね。とても良い。お値段高いだろうなあ。等と思ってしまいました。
それから、タクシーに使われた車の凄い改造。びっくりしました。これがまた、おもしろいんですね。かっこいい。カーチェイス。ところがそれでも
フランス版の映画と比べるとカーアクションの部分が少ないとの事。そうなのかな?
タクシードライバーとしての免許をもらったばかりの彼女はこのスーパータクシーでお仕事中、突然、ドジばかりしていて、モトカノにも警察官として
地位も先を越され、しかも、車の運転は超下手の刑事と偶然遭遇。彼は、銀行強盗の犯人を追跡しようとして彼女のタクシーに乗り込む。そこで、
犯人の強盗団のBMWを追跡してくれと彼女に頼む。そこから、彼らの面白い関係が始まる。犯人をスーパータクシーで追跡する彼女は車もさることながら
将来はレースに出たいと思っているくらい。だから抜群のドライビングテクニックを見せてくれる。もちろん、ここは、カーアクションの部分
なので犯人側の車も良い足回りの車だ。この刑事はがんばろうと力む余りにいつもドジばかり。彼女もかなり切れていたし、せっかくの彼氏との
デートもこの刑事のおかげですっぽかす羽目になってしまった。二人ともとにかく上手く行かない事に落ち込んでいたが、そうしているうちに
とにかく犯人を捕まえれば良いのだと言う事で意気投合。犯人はブラジルから来た超美人4人のグループ。何回も銀行強盗を繰り返していたが
この凸凹コンビはそれなりに頑張り、犯人像の割り出し、追い詰めるところまで行く。そこで、ニュー・ヨーク中をタクシーとBMWのカーチェイス。
最後はやはり、土地勘のある二人か…?

という事で、ハラハラ、ドキドキの信じられないドジ、カーアクション。そのスリル感を楽しめた娯楽映画でした。
posted by diane at 20:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巴里の恋愛協奏曲(コンチェルト)

編フランス語の映画で、一部アメリカ人の役の人が多少怪しげな英語を使うくらいのミニシアター映画。シャンテ・シネ以外では現在は全国でも
一館か二館位しか上映していない作品。
英語による、ミュージカル映画は何度か見ていたがフランス語の歌と歌かセリフなのか完全に区別が付かないのがふんだんにある映画は始めて。
これは、分類上はオペレッタと言う物らしいのですが私としてはそんな難しい言葉を当てはめるよりパリ風ミュージカルと言った方が良いかもしれません。
オペレッタは絶対に悲劇に終わらずハッピーエンドで終わるのが特徴。また、映画の中の歌等も、生録音が通例だそうで。
なんというか、騒々しい面白い映画ですね。結局、一人の女性が中心なんですが、この女性の回りにいる男性達が皆、彼女と関わりがあり、彼女に関心がある。
できれば物にしたいと言う所でしょうか? そこにまた微妙に女性たちが絡まり、話は複雑な喜劇に。
で、最後は三人の女性がきちんと三人の男性のさやの中に美味く納まるという。なんともはや忙しい映画だなと思いました。
舞台は多分、1920年代のパリ。女性のファッションに特徴がありますから多分そうだと思います。特に帽子が面白かったですね。
当時としては中流の上の家の人達なのかな? 車を持っているとか、独身男性が女性を誘い込むアパートの内装とか見ていたらそうかもしれません。
ファッションと美術装飾品は見ていて素敵だなと思いました。
監督はフランスの巨匠アラン・レネ。この映画には原作があり、実際に1925年にパリでロングランヒットしたオペレッタの映画化だそうで、
セザール賞も三部門受賞しているとか。
この話の喜劇的なややこしさも特徴なんでしょうね。
posted by diane at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サイドウェイ

本作品は第77回アカデミー賞で脚色賞を受賞している。

私はこの作品は、ワインを主にした映画だと思っていたがそうではなかった。実はとても含蓄のある深い作品である。

人間には色々な人生がある。これはワインと一緒。色々な種類があり、育て方にも種類によっては良くも悪くもなる。環境ばかりではなくその種の持っている特性によっては色々と味も変化していくのである。ある意味、ワインと人間の人生って同じ部分があるのかもしれない。

作品の中に「ワインは日ごとに熟成して複雑になっていく。ピークを迎えるその日まで。ピークを境にワインはゆっくりと坂を下り始める。」という部分があるが、ピークを境にいかに折り始めるかはその人自身にかかっていると思われる。

本作はワインで有名なカリフォルニアが舞台。色々なワインを試しながら本当の自分を見つけるための「寄り道(SIDEWAYS)」これは決して無駄ではない。むしろ、ワインと同様、人間もいかに生きてきたかの軌跡を作るかの様。ワインもピークを過ぎたかといって乱暴に扱われてはそこの味わいも無い。人間にもワインにも寄り道は必要なんだと思っている。しかし、ここに出てくる二人組はまだ熟成の段階には至っていないのだろう。彼らの人生はこれからだ。現在の状況は良くなくても心の底では未だに希望を持っている。その希望がある限り、熟成はまだまだなのである。ピークはまだ。彼らは、ピークに至るまでの紆余曲折での悩みに翻弄されて心に余裕が必要なだけ。それがSIDEWAYS。

まだ、見ていないが、この作品の主役は「アメリカン・スプレンダー」のポール・ジアマッティ。彼の駄目男ぶりの演技は面白い。

この二人組は主人公マイルズ(ポール・ジアマッティ)とその親友の物語。親友のジャックは後、一週間で結婚。今まで色々と女性遍歴があったがついに年貢の納め時。身を固める事にした。一方、マイルズは逆に離婚歴があり、以前の妻が忘れられない。表面上は忘れたフリをしていても未だに気にかけている状態だ。そんな二人が、ジャックの独身最後の記念のワインツアーに出かけた。ジャックは以前は人気のタレント。マイルズは作家になりたくてもがいているがいつも出版社から断りが来て生計の為に中学校の英語教師をしている。マイルズはしかし、マニアックと言えるほどのワイン通。映画の中で見せるマイルズのワインの講釈はとても興味深い。
ジャックは独身最後の旅なので自由を満喫したい。マイルズは心の痛手と元来のやさしさで女性に対して非常に弱気。今回のツアーもワインとゴルフのみのツアーにしようとしていたが、行く先々で出会う出来事や人物にあって気落ちしていく一方。ジャックはそんなマイルズに見るに見かねて色々と仕掛けていく。そんな時、マイルズは素敵な女性とであった。盛りを過ぎた駄目男が彼女との出会いをきっかけに変わっていく目的が変わった旅路。自分探しの旅路になる。大きな寄り道。日本では難しいかも知れないが、アメリカならではの人生の再発見。


いったい人生のピークって誰が決めるんだろう。この映画では自分たちが決め付けているような気がしたが、まだまだ一般社会では偏見的見方で勝手に人のピークのレッテルを貼ってしまう。人生のピークはその人の人生が終わった時に始めてわかるもの。ワインだって盛りを過ぎたといわれたって状態さえ良ければピークは持続する。また、下がり方も変わる。
人間だってワインだって同じ。
自分の心に日を灯す旅、目的で無かったけれど本当の自分を見つける様になる旅、そんな旅があっても良いのではないかな?

特に馬車馬の如く働いてきた日本人には別な人生観を見せてくれる旅。結局は元の生活に戻っても、心にはきっと何かが残るはず、ちょっとした寄り道は悪くない。

そんな社会がこないかな。疲れ切った人間には必要なSIDEWAYS。私たちの生活に一番必要な物だと思いました。


しかし、カリフォルニアワインおいしそうに見えました。私はお酒は全く駄目なのでいつも悲しい思いをしているのですが、良いですね。
ワインは人の食卓にちょっとした豊かさをくれる飲み物。私も飲めれば良いのにな。

だからいつもスコットランドに行っても醸造所に行ってもティスティングすら出なくて残念。
オーストラリアに行っても実はワインの有名な生産地なんだけれど私は飲めない。これまた、残念。
posted by diane at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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