2005年08月31日

タッチ・オブ・スパイス

家族愛の大切さと政治的な絡みで家族が一緒にいられないという状況、そして、悲しみや別れ、誰にでもあるその様な感情は、ちょっとしたユーモアやセンスで乗り切れる事もある。
この映画はそれらを料理に例えてある意味教えている様な気がした。ギリシアやトルコなどの料理、別にそこだけとは限らないがどんな料理にもスパイスは必要。人生にとってのスパイスはそのユーモアやセンスなんだということ。
一度、覚えた家族の味。これは万国共通で、どこの家庭でも少しずつ違う。それもスパイスのさじ加減。それが人生の厚みと言うか、人間の器というかそれを、表していると私はこの映画から感じ取った。
もう一つ、この映画で忘れてはならないのは戦争によって一番悲しい思いをするのは普通の人々。一般市民である。私はあまりよく知らなかったのだが東地中海において、トルコとギリシアの間にはつい最近まで、色々な確執があったと言うこと。政治に翻弄されて生きていく市民の中には、政治という名目で別れ別れにならなければならない状態になっているということ。
一緒に、隣近所に住んでいたのに、宗教が違う、民族が違う、出自が違う等などの理由で差別されたり追放されたり、果てにはその国一国の主権の取り合いまでに発展し、幼馴染と別れ、育った場所とも離れ、もしかすると、時代における政治状況の違いにより、国籍が違うと言う理由で別れ別れにされてしまう事も大幅にあると言う事。
なぜ人間は争わなければならないのか?ユーモアやセンスや愛情というちょっとしたスパイスでうまくいかないものなのだろうか?
私はこの映画はそんな単純だけれど深みのある内容をユーモアを散りばめて描写していると思う。
この映画のバックグラウンドとして一番大きいのはトルコとギリシアの関係である。隣同士の国でありながら、イスタンブールを挟んでこの二国はちょうどアジアとヨーロッパの境目に位置する。どちらも歴史の古い国である。人々の交流もかなりある。そのため、特に、イスタンブール(映画ではトルコ領に住んでいたギリシア人はこの街をコンスタンチノープルと呼んでいてこの街への郷愁を忘れない)の街ではギリシア系住民の居住もかなりある。そして、歴史のトリックのせいか、そのギリシア系住民の中には過去の諍いの結果、トルコ国籍の取得を義務付けられた人もいたはず。最近では、キプロスにおける紛争もあったはずである。また、トルコは歴史からして、雑多な民族構成になっており一番大きい問題としてはクルド人問題が挙げられるであろう。それらの事実を踏まえて作られたのが本作品である。
映画の舞台は1950年代に遡る。トルコ・ギリシア間の争いが激しかった頃だ。予備知識としてその後の60年代にはアフリカ諸国がイギリス・フランスなどの宗主国からの植民地独立を求める運動が盛んになり、独立を勝ち得た国々も多かった事も事実である。ただ、未だに政治的に不安定な国も多く内戦や、隣国との戦争が絶えないのが現状だ。当時のトルコ・ギリシアも他のヨーロッパ列強の影響が強く、対宗主国、そして、ある意味民族自決権に関わっていると言っても過言ではない。
映画の構成は場面ごとにテーマが付けられまるで料理のコースの様になっている。これもまた面白い興味深いところである。人生は料理のようなものでスパイスいかんで幾らでも変わると言った所か?
オープニングは現代。おじいちゃんがトルコから、ギリシアにやってくる。今や宇宙物理学研究者の間で有名になったファニスは幼い時から料理が得意だったが、おじいちゃんの為にとおじいちゃんに習ったスパイスを効かせた料理を作っていた。そこへおじいちゃんが病気との知らせ。ここで、物語は1950年代に戻る。
トルコのコンスタンチノープル(イスタンブール)のおじいちゃんの屋根裏部屋は様々なスパイスがあり、少年ファニスの遊び場だった。おじいちゃんはトルコに住むギリシア系住民が使うスパイスを売る店を営んでいた。おじいちゃんから習う伝統料理の事、スパイスの知識、それだけではない豊富な知識など皆おじいちゃんから習っていた。時にはそれを家で実験しては問題を起こしたりする事もあった。幼馴染の少女サイメとの淡い初恋。幼いファニスにとっては忘れがたい事だった。また、毎週日曜日には親族が集まり、大宴会となる。それも伝統であった。
そんな時、トルコ−ギリシア間でキプロス問題が起き、トルコ領内に住むギリシア人の強制退去が始まった。おじいちゃんはトルコ国籍、サイメもそうだった。ファニスの一家はギリシアへ戻らなければならない。
トルコからギリシアに移住したファニス一家。所が当のファニスは学校、ギリシアそのものに馴染めず料理にのめりこむ毎日。おじいちゃんとサイメが来ると言う連絡があったが結局は来なくなってしまった。心配した両親はファニスが台所に入るのを禁じる事になった。
しばらくして、サイメが引っ越したと聞いたファニスはサイメに会いたいというので家出を企てる。しかし、失敗。ボーイスカウトに入れられる。そこでも慰問先での売春宿での問題が起き、父親はファニスにギリシアへの愛国心を育てる様にと言われるのだった。学校に行っていた時からそうだが、長い間故国を離れて生活していると様々な面で習慣の違いが出る。また、その為の不幸な結果として差別されたりするのだった。トルコからやってきたギリシア人はトルコ人と呼ばれ、差別されていたのだ。
そんな時、色々と各地を放浪し、色々なことをファニスに教えていた叔父さんが結婚することになった。そのときファニスはホテルの厨房で働いていた。おじいちゃんが来るかもしれないという淡い希望を持ったファニス。所がおじさんの相手は料理の下手なギリシア人女性。ファニスがその紹介の場での料理を任されたのだがわざととんでもない料理を作り、結婚話を壊した。
ファニスの父はそこで怒りをぶちまけた。「おじいちゃんはあの場所が好きなんだ。特別なんだ」と。
そして、また、舞台は現代へ。ファニスは幼い時から一度も来なかったコンスタンチノープルに来た。おじいちゃんは重態。そしてついに…。
そのとき、サイメと再会した。サイメは今別居中。そして、ファニスは自分の人生に大切な物を発見した。そして、この街に職を得る決心をしたが…。
面白いのは、幼い時のサイメとファニスの会話はギリシア語かトルコ語だったのに、現代の時代になってからの二人の会話は、英語で進んでいく。英語で話すというのがまるで二人の別離を暗示していて幼い時代は終わった事を告げているようだった。
参考までにこの作品は本年度第77回アカデミー賞外国語映画賞、ギリシア代表作品である。ちなみに日本代表は「誰も知らない」である。


posted by diane at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。