2005年08月31日

ユートピア

最近、よく思うのだが、「未来が見える」とか「人の見えない何かが見える」「死後の世界」という類の一種のサイコ・サスペンスが多い様な気がする。
この話もやはり見えてしまう人間の苦しみや、その特殊な能力を持つ故に苛まれる運命。あるのかも知れないけれど、近年こういう映画が洋の東西を問わずに
製作され、公開されるというのは流行なのか?  それとも、我々人間が未来に何かの不安を感じ、それをこういう形に表しているのか、とても不思議な感じがする。
あまり、見えすぎても怖いのだろうな。
この作品は2003年のスペイン・フランス合作映画。
この映画のタイトルの「ユートピア」は意味的に言えば「理想郷」。我々はそれを目指して戦い、悩みもし、憧れ、想像し、苦難にも耐えるのだが、果たしてあるのだろうか?
この作品の最後では「きっとある」と言っているがそうだろうか。
予知能力のある人達のグループ「ユートピア」。未来が見え過ぎると見えなくても良い事まで見えてしまい、それが悪夢となる。このグループはそうした見える事を悪夢に変え無いようにする、未来を予言しても良い方面に生かす
と言うのがこのグループの目的。
このグループに入っているアドリアンはマドリッドで毎日、悪夢に悩まされ続けていた。それは、警察の敷地が爆破され、ちょうどそこに居合わせた母子が巻き添えで命を落とすというものだった。それを予言にしに警察に行ったのだが
警察はまともに受け取らない。ちょうどその時その事故が起きた。
6年後、アドリアンはグループとの接点も絶ち、ひっそりと暮らしていたが、ある日、突然かつてのユートピアの仲間が、彼の元を訪ねた。仲間のリーダー的存在のサミュエルが病気で大変な状態にあることを告げる。
彼は、急いでサミュエルのいるサラマンカに向かいサミュエルに会う。サミュエルはこの能力のために世間に馴染めないでいたアドリアンを迎え入れてくれてアドリアンは「ユートピア」というグループの中で能力を伸ばしていた。
サムュエルは彼に「予知能力を悪夢に変えるな」というのだった。つまりアドリアンは現在、自分の能力を持て余し、その能力のために大勢の人間が死んでいくのだが何も出来ない自分に歯がゆさを感じ、それに苛まれていたのだった。
アドリアンは予知の夢の中で死んでいく子供を抱いた一人の女性が南米にいる姿が目の前にちらついて仕方が無かった。サミュエルは彼に、彼の為だけでなく、彼女の為にも、探し出せというのだった。実は彼女の名前はアンヘラで
スペインでは裕福な家庭の一人娘だという。彼女は南米でボランティア活動をしている時にカルト的ゲリラ集団に拉致誘拐され、マインドコントロールを受けて、そこの一員として活動していた。
一方、6年前警察で爆破事件で家族を失い、片目になってしまった刑事のエルヴェはアンヘラの母親から捜索願いを受けていた。彼は事実、こういう拉致被害者の救済の仕事を警察内でしていた。
そこで、アンヘラの動向を調べ始める。アドリアンは能力やわずかな情報で、アンヘラがスペイン国内にいる事をつかみ、彼女に接触を図る。彼女に見つかって銃口を向けられたアドリアンは「君のためだ。ここから逃げろ」と言うだけだったが
マインドコントロールを受けている彼女は彼を信じる事が出来ない。そんな所にゲリラのリーダーが現れ、彼を捕まえる。捕まえられた彼とアンヘラは少しずつ言葉を交わしながら心を通わすのであった。しかし、リーダーは彼の処刑を決めていた。
何となくグループのやり方に不信感を抱いていたアンヘラは処刑の場で偽り、アドリアンを助けるのであった。そして、彼女自身も脱退しようとした。アドリアン達はテロリスト達から狙われる立場になった。
アンヘラはアドリアンの元へと行き、安らぎの場を見つけようとする。アドリアンは、少しずつアンヘラに心を開き、自分の能力の事、自分のグループ「ユートピア」の事を語ろうとする。
そんな時、警察のエルヴェはアンヘラとアドリアンが一緒であることを突き止め、彼らを捕まえようと追い回し始める。そして、激しいカーチェイス。その後…。

予言をする時の様子はどの映画でもなんか手がかりとなる様な物を壁等に一杯に張り、予言の様子を紙に書くのだなと思った。
なんか、本当にこんな感じの映画が多いような気がするが気のせいか?
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キス・オブ・ライフ

003年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式招待作品。
人間が突然、死を迎えた時という内容の映画は沢山あるが、これもまた、死を迎えた時、自分の周りの愛する人達への思いの強さというのを表現している映画だなと感じた。
実際、この映画で死んだ主人公のヘレンは自分自身、死んだという状況を受け入れる事が出来ずに魂が現世に残っていく。
子供と言うのはなんて敏感なのだろう。彼女の魂の気配を感じて、色々な動きを見せる。
しかし、人間は実際に死を目の当たりにするまで、極めて日常的な当たり前の事がどんなに大切なのかと言う事を気づかないでいる事が非常に多い。その意味でこの映画はとても意義のあるものだと思う。
それを、我々に再認識させてくれるから。
でも、この映画は、この非日常的な「死」と言うのは実は家族のどのメンバーにも目の前にぶら下がっている物なのだ。映画の始めの方で家族の普通の生活を営んでいるシーンがあるが、何気ないシーンなので
見過ごしがちであるが、実はこの映画全体のトーンを決めていると言っていいと思う。ここでも、既に各メンバーが自分達自身が死と隣り合わせにいる事をさりげなく描いているのだが、皆、誰も気づいていない。
ここで言う各メンバーが「死」が目の前にぶら下がっていると言うのは家族5人のうち、主人公である母の存在は「死」を実際に迎え、祖父は人間には必ずしも逃れられない老化による「死」、夫は危険な地帯に仕事で出かけていて常に「死」と
隣り合わせ。子供達2人のうち、特に下の男の子は実際に母の死の現場を見てしまう。でも、こんなに「死」がこの家族を、現実の我々を取り巻いていても普段は何も考えない所が怖いところである。
家族、今、日本では崩壊の危機にあると言われているが、その絆の深さ、一番、会いたい人一番大切な人に、いざと言うときに誰に最後のキスを送りたいのかと言う事を実際の死を以って描いていると思う。
これは、一昨年、日本で公開された「死ぬまでにしたい10のこと」と何となく繋がりを感じる。最もこの作品は主人公は「死」を見据えて自分の大切な事を整理し行っていくことだが、「キス・オブ・ライフ」は「実際に死んでから自分に
遣り残した物を感じて魂は現世に残り、それが果たされるまで存在するというアプローチの違いはあるが。

主人公のヘレンは自分の父親と子供2人とロンドンに住んでいる。夫のジョンは東欧の戦争状態の激しい地域に派遣され救援活動の仕事についていて普段は家にいない。その日もいつもと同じ様に事は進んでいくはずだった。
しばらく家族の元に帰って来ないジョンの事をヘレンは考え、今までも約束していても帰って来ない夫だったが今度こそ、夫の帰りを待っていた。連絡しても今回も何やら難しい様子。なぜそれにとらわれるかと言うと今週末は彼女の誕生日であった。
しばらく会っていない夫。家族間の繋がりが何となくチグハグになっていくのを恐れているヘレンにしてみれば自分の誕生日と言う事以上に家族間の繋がりをしっくり生かせるためにも彼の帰り、存在は必要と感じていた。
何かを感じたのか、ジョンは「仕事が自分を必要としている!」と言って電話を切るのだが、心の中に何か不安を感じたのだろう。突然、帰ると言い出して帰国の途に着いた。しかし、ここは危険地帯。途中まで国連のスタッフが付いてくれたが
その後はどうなるかわからない。この後、彼は、さまざまな事件に遭遇するのだ。これから彼に起こる事件と家族に起こる事件の関連性、死と隣り合わせの恐怖を描くのに、ヘレンの視点と交互するように描かれていて少しわかりにくいかもしれないが
いつもの朝、ヘレンは娘のボーイフレンドの事で色々と悩み、また、父親はコーヒー1つ満足に入れられない。息子のテリーを学校まで送り、いつもの様に帰ろうとしていた。所がこの日に限って息子のテリーは母親の姿が消えると同時に学校に入らず
その辺りをぶらぶらしている。ヘレンは自分が今どうしていいのかわからない悩みの真っ只中。家庭内の出来事の全てが自分に覆い被さってきている様な感覚。ジョンと一緒に写っている写真を眺めながらヘレンは道路に立ち尽くす。その瞬間
ヘレンは車に跳ねられて重態。その瞬間を見た息子のテリーは心の中に刻み込まれ、その重圧からずーっと逃れられなくなる。つまり、その瞬間を見た後、そのままにしてしまい逃げてしまったからだ。小さいながらも罪悪感に駆られるテリー。
病院に運ばれ、死を家族に告げられる。子供達の祖父であるヘレンの父親はその事をジョンに告げようとしたが、一方、ジョンも危険地帯の中で、大変な思いをしていた。携帯は取り上げられ、ジョンはヘレンの死を知らない。ここからがジョンの
苦難の旅の始まりだった。
ヘレンは目覚める。しかし、それは死後の世界。魂だけが現世にいるのだ。自分自身も何が起きているのかわからない。ジョンの姿を見かけたり、また、暗く沈んでいる家族を見てなぜなのかを考えたり。
これ以降は話がとても複雑で、ヘレンの家族に対する愛情とジョンに会いたいという情熱の為に魂が色々な所に飛んでいく。一方ジョンも、夢の中でヘレンと会い、自分自身の意識もトリップしたりする。しかし、そんな出来事の中で、ヘレンの魂は何とか家族間の繋がり
を持とうというシーンが沢山出てくる。上の娘ケイトと髪を結んであげるシーン。夢に悩ませられている息子のテリーに優しい言葉をかけてやるヘレン。ここで、今まで上手くいかなかった家族生活を埋め合わせするかの様な感じだ。
そして、家で問題が起きた。蛇口が壊れ、水が出しっぱなし。家中水浸しだ。家族総出で掃除をした。そして、全てを元に帰すように…。全てを洗い流すように。
苦労に苦労を重ねて、ジョンがロンドンの家に帰ってくる。ヘレンとジョンは玄関で最愛で最後のキスをする。そして、今まで言えなかった言葉を互いに交わすのである。
そして、ヘレンの魂は安らかになっていくのだった。

この映画の家族を思いやる気持ち。誰を待っていたのか、何をしたかったのか、これを探るのがテーマなのだが、魂のトリップの仕方と、家族各人の夢の様子がリアルなんだけれども、入り乱れて
少し、わかりにくい部分があるかも知れないが、人間の愛の深さを再認識するには良い映画だと思う。
posted by diane at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アンナとロッテ

この作品を見て特に最後はなんて可哀想なんだろう。時代のトリックってなんて残酷なんだろうと感じました。
見ていた人の中には涙ぐむ人も少々。
2002年オランダ映画。2004年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。
作品を見に行った時は公開初日でしたので、「ダヴ」のトリュフチョコレートを頂きました。まだ、食べていないけれど…。
人間の浅ましい部分、打算的な部分。人間を人間と思っていない人達。時代が人々を弄ぶ。この時代、特に、第二次世界大戦前後の時代は色々と翻弄された人は
かなりいるはず。その一例に過ぎないのかもしれないけれど、やはり、なんて時代って、環境って悲しい、それによって本当は互いに愛しているはずなのに、互いに仲良くならなくてはならないのに
恨まなくてはならないなんて残酷。
確かに悪い時代と言ってしまえば簡単だけれどこう言った不条理な戦争の存在、人々の心を何年も死ぬまで苦しめていくもの、こう言った物
を人間は本当に芯から望んでいるんだろうか?
この映画は歴史的事実の中に埋もれた人間の歴史の物語。人間の歴史。ヨーロッパではかなり原作が売れたとの事ですが、表現しがたい数奇な運命、苛酷な人生を歩む事を余儀なくされた双子の姉妹の
劇的である意味、芸術的美しさを持たして描いた一品。
アンナとロッテは双子の姉妹。幸せな毎日を送っていたが、ある日、両親が死に、彼らは両親の葬式もそこそこに別々の家に引き取られていった。
この別々に離して引き取ろうと大人が決めていく所を見ていたら本当に人間て義務なんだろうけれど打算的なんだなと強く感じました。
互いに名を呼び合って別れていくシーンは非常に切ない。
アンナはドイツの農家の家に引き取られ、学校に行く事も許されず毎日、こき使われ、労働の毎日だった。農家が無理してでも引き取りたいと言ったのは奴隷の様にこき使う事の出来る人間が欲しかったんだと思う。
一方、ロッテはオランダの裕福な家庭に養女として引き取られとても愛情深く育てられた。
しかし、離れてしまっても会いたい気持ちは同じ。互いに手紙を書き合うが養っている家の保護者によって、わざと連絡不能の状態にし、互いに相手を忘れさせようとした。
年月は過ぎ去り、ロッテは、進学して大学で音楽と自分の母国語であるドイツ語を勉強していた。アンナは、農家の家の酷い仕打ちから逃れ、メイドの仕事を得て自活の道に進んでいた。
ますます、ドイツの台頭により、ヨーロッパが戦場の気配を強くしていったのもこの時代である。当然ドイツはナチスの影響で反ユダヤの旗を掲げる。
一般のドイツ人達も思想的に感化され始めたのもこのころだ。
ある日、ロッテは養父母たちがわざと手紙を出さないでいた事を知り、自分の養父母に怒りをぶつける。そして、ロッテはドイツの名門貴族の家にメイドとして働くアンナの元へ訪問する。
わずかな時間だがお互いの思い、生死の確認をしあった二人。ロッテは一緒にオランダに来ないかとアンナに話を持ちかけるが、伯爵家に対する恩義からそれを断る。
実はロッテにはオランダで同じ音楽の道を歩んでいた男性と恋人同士の関係にあった。二人で一緒に過ごせる最後の日、ロッテはアンナに一枚の写真を見せる。そこには婚約者の顔があった。
それを見たアンナは思わず「ユダヤ人?」と訊いてしまった。この一言がロッテにとってはショックであった。ロッテは悲しみを抱いたままドイツを去った。その日以来ロッテはアンナに対して何となく拒絶の意思を表していく。
これは政治的に仕方の無い部分だなと私は感じた。ドイツにいるアンナにとってしかも政府の要衝にいる家でメイドをしている身分としてはユダヤ人に対する嫌悪感、そこまで行かなくてもユダヤ人を避けるという言動は仕方の無いものなんだろうと思う。
そして、それを言われたロッテは自分の愛する人を否定されたようでとても悲しい思いだろう。そして、アンナを何となく避けてしまうのも仕方の無い事かも知れない。しかし、アンナはなぜロッテがと腑に落ちないのである。
この政治が人間関係を崩すと言うのは本当に悲しい出来事である。
そして、アンナは機会があってナチスの将校と結婚し、ロッテはユダヤ人の音楽家と結婚し幸せな道をそれぞれ歩んでいた。
ある日、ロッテの婚約者はユダヤ人と言うことで収容所に引き取られる。アンナも夫が戦争で遠くに派遣されるという事で互いに愛する人の帰りをひたすら待った。
互いに戦争終結をそして、一方は反ドイツ・ナチスの思いを募らせ、一方はますますナチスに洗脳されていくのだった。しかし、互いに平和を願う気持ちには変わりは無かった。
悲劇はここからなのだ。
この悲劇は実際に作品を見て理解して欲しい。
特に、ラストの15分は本当に泣けてきます。
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ライフ・イズ・コメデイ! ピーター・セラーズの愛し方

名優が名優を演じる!! これは最高の演技であり、映画である。と私は思っています。今回のこの映画は本当に最高でした。ストーリー自身も、まあ、一人の偉大な人物の伝記ですから、いいのですが演じる人間が
駄目だと全部、崩れてしまう。これはそんな事はなく、主役を勤めたジェフリー・ラッシュの最高の渾身の演技とまるで、彼がピーター・セラーズの様でした。
今、考えるとピーター・セラーズは名優と言われていますが、色々と苦労していたんですね。しかも、かなり若い頃から心臓が悪くてペースメーカーを入れたりして頑張っていたなんて知りませんでした。
でも、彼は余りにも天才過ぎたために神に召されるのもかなり早かったんですね。何しろ54歳の若さだったというのですから。
ピーター・セラーズと言えば「ピンクパンサー・シリーズ」が有名でそれも何作か製作してある。私は不勉強でこれ位しか知らなかったのですが名前だけは知っていた「博士の異常な愛情」「カジノロワイヤル」とかに出演していたんですね。
本当に無知でした。でも、彼は本当にそれらの映画の出演、確かに彼の天才的も言える喜劇の才能でやっていた他の喜劇作品の出演だけで満足していたんでしょうか? 私はこの映画のラストを見て、本当に彼のやりたい映画、出演したい映画は他にあって
たとえ興行的に失敗してもやりたい物はあるような気がするんですね。
確かに彼の喜劇は、大ヒットだったと思います。しかし、彼の才能、希望は違う所にあり、仕方なくやっていたのでは無いでしょうか?
本当にもったいないと思いました。彼は我侭だとか色々と悪意のある噂もありましたけれどそれは彼の才能がスバ抜けていた為に起きた事なのではないでしょうか。
興行的に成功するからと言う目先の金儲けだけを考えて彼に仕事のオファーをしてくる人達。彼の本来の才能が生かせなかったというのは残念です。
しかし、彼がコメデイの一時代を築き、今に至っているという偉大な功績は映画史の中でも燦然と輝くものなのです。
また、彼は、家庭的には余り恵まれてはいなかったんですね。彼の仕事への原動力は常に母親からの応援。
彼が仕事で成功すればするほど彼の家庭生活は悲惨なものになっていく。実際に彼は四回、結婚したとの事ですがどれも余りうまくいかなかったようです。しかし、彼は常に女性を求めていたんですね。母親のみならず他の女性から仕事へのパワーが欲しかったんだと思います。
家庭と仕事のバランス、彼には難しかったんでしょうね。惜しい俳優を亡くしました。
さて、ここで、ピーター・セラーズの役をやったのはジェフリー・ラッシュ。彼は「シャイン」でアカデミー主演男優賞、その他もろもろの賞を総なめにしたとの事ですがやはり、彼の演技というか、
演技にかける情熱。素晴らしいです。まるで生前のピーター・セラーズがいるみたい。彼自身がなりきってしまったんですね。映画のどの部分を見てもジェフリー・ラッシュではなくピーター・セラーズがいたのですから。とにかくそっくり。
映画そのものもとても面白かったです。これは彼の実力以外の何物でもありません。はまり役です。ここまで自分を殺して演技できるのも彼の才能なんでしょう。
共演陣としてはシャーリーズ・セロン。いま、とても人気ですね。色々な映画に出ています。彼女もやはり、アカデミー俳優。素晴らしいです。
映画自身で面白かったのは時代背景の工夫でしょうか?  その時代時代に合わせたセッティングはより、映画を魅力的にしてくれました。
それから、ピーター・セラーズが演じた映画の再現では、その時のフィルムの一部を使ったのでしょうか? 
一番時代を反映するのは音楽。その音楽も時代に即した懐かしいものばかり。何から何までピーター・セラーズの時代、そのものでした。
ストーリーは、いかにしてピーター・セラーズが名声を築くか、そして、仕事と自分の才能、家庭生活のバランス。ここを描くのに苦労したと思います。
かれは下積み生活の長い役者。始めはラジオの人気コメデイ番組の出演をしていた。しかし、彼の希望はこれだけではない。きちんとした役者になる事。しかし、彼のこのキャリアが、容姿が悉く彼のチャンスを潰していく。
しかし、ある日、彼は奇抜な方法でオーディションを受けた所、採用。そこから彼の役者人生が始まった。俳優として英国アカデミー賞最優秀男優賞も受賞する位にまでなったかれは共演者のソフィア・ローレンに惹かれる。ソフィアは彼をたしなめるが彼はますますその気になってしまう。
家庭騒動になった。今までの彼を支えていたのは両親もそうだが妻の存在。そして、子供達。つまり家庭だった。あきれた妻は家を出て、両親だけが彼の精神的支えだった。
ある日占い師が、彼に「孤独は駄目。何人もの美女が彼の前に現れる」と囁かれ、彼はその言葉を信じ、女性との浮名を次々と流す。
彼には、1つ問題があった。英国では人気があるけれどアメリカでは…。ハリウッドで名を売らないと駄目。そんな時に出たのが「ピンクの豹」これが主役以上の人気を得てしまったが自分的には納得いかない。そんな時父親の入院、そして別れがあった。
彼の私生活は乱れた。一方、彼にはキューブリック作品のオファーがあり「博士の異常な愛情」であった。彼はそれに挑み、名演技を披露した。
一方で、彼にはピンクパンサーシリーズのオファーがあった。喜劇から遠ざかりたかった彼は返事が出来ない。渋っている時に、スタジオと組んでいる例の占い師に「B・E」と言う人物に会う。その人を大切にしろ」といわれた。所がここで問題。
彼の前にスウェーデンから来たブリット・エクランド会う。彼女もB・Eだ。彼は誤解し、彼女を口説き落とし終には結婚。新婚旅行で幸せをかみ締めていた彼だがそこで生涯を通じての持病の心臓発作が起きる。さて、彼のキャリアはどうなるのか。
新婚の妻との関係はどうなるのか。ここからが彼の成功でありながら悲劇的な部分なのである。

とにかく、この映画は単純な有名人の伝記映画ではない人生はいつどうなるかわからないというドラマ的な部分を述べているのがポイントである。
ピーター・セラーズ、波乱万丈な人生。その中でどう生きてきたか。それがテーマ。
また、この映画で名演技を披露してくれたジェフリー・ラッシュ(パイレーツ・オブ・カリビアンにも出ている。)。彼の演技も光り輝いていた。
ちなみに原題は「THE LIFE AND DEATH OF PETER SELLERS」
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サスペクト・ゼロ

サスペクト」=容疑者。それが「ゼロ」と言う事は、その犯罪における容疑者が全く捜査線上に出て来ないと言う事。動機や手口なども良くわからず犯罪だけで見れば
見事な芸術的犯罪といえるのかもしれないが犯罪が起きた以上、絶対に犯人はいるのであり、いないということは無い。ただその正体を隠すのが非常に巧みであるという事だ。
これもまた、何とも言えない、人間的に見れば哀れな一種のホラー・ムービーと言えよう。
しかし、今年は何でこんなに沢山この時期にホラームービーが一挙に公開されるのか? 大作がお正月に公開されずに年明けから公開されたのはなぜか? ちょっと疑問が残る。
通常ホラーといえば「夏!」と相場が決まっていたのに、今は「冬」です。変ですね。まあ、こんな事は後回しという事で…。
アメリカと言う国は本当に色々な犯罪が起きますね。一年間の行方不明者の数、そして、迷宮入りの事件の数、ただ事ではありません。しかも、アメリカは国土が広いから幾つもの州に
別れていて、それぞれ独自の行政機関があり、州の法律も違う。当然、警察組織も違うし、やり方や、逮捕の基準等も違うのでしょう。そういった縦割り式の捜査網のループホールを見つけて
州の枠を超えて犯罪は行われる。犯罪に国境は無い。そう言った、やり方の矛盾ややりずらさを無くす為にFBIという国家的警察組織が出来た。
これはアメリカ国内で行われる州を跨いだ広い地域での犯罪捜査を円滑に行うために設けられた組織である。当然、こういった組織がある以上、ある程度の犯罪検挙、または犯罪捜査率を上げなければならない。
そうする為にさまざまなプロジェクトも行われたと伝説的には聞くが、今回の映画もそのプロジェクトに関係していると思われる物である。
少し、神がかりな感じはするが、科学的根拠に基づいて行われたプロジェクト。そのプロジェクトに関係した人物が、いる。プロジェクトは崩壊しても関係者は事と次第によっては抹殺されたりする事もあるだろうが
この場合は放置に近いと思う。やるのなら後始末はきちんとやって欲しいなと思いますが、でも人間を利用しているんですからもう少し気遣いが必要かなと思いました。
メインの出演者は豪華ですね。よく、捜査ものに出演しているアーロン・エッカート。「マトリックス」で特に有名なキャリー=アン・モス。そして、重鎮のベン・キングズリー。特にベン・キングズリーの演技は見事です。
悲哀というか、自分は何なのか、どうしたらいいのか、そして他人と精神同調した時のあの悲しさを表す表情等はとても見る価値大です。
ただ、こういう話はあまりと言う方は怖いので余り、お勧めしません。
ニューメキシコの田舎に左遷されたFBI捜査官のマッケルウェイ。転勤初日から色々な出来事に遭遇する。まず、一件の殺人事件。そして、二件目、三件目。方法や、殺害された人物達に共通点はないけれど1つだけ
例外があった。それはどの死体にも「SUSPECT ZERO」のマークが…。そして、立て続けに資料が彼宛にFAXで送信され続ける。そこで、田舎ではなくダラス支局から捜査官が派遣されてきた。共通点があるために。
その捜査官は過去にマッケルウェイと付き合っていた事もあり、彼の事を良く知っていた。彼女と共に「SUSPECT ZERO」のマークを手がかりに捜査をするのだが何の進展も見られない。ひたすらイライラ感が募るだけであった。
そして、犯行に関連するようなスケッチやメモ、資料がどんどん彼の元へ。誰が送っているのかもわからずひたすら、苦労しているだけ。彼は頭痛を訴える。
そんな時、捜査線上に自称元FBI捜査官と名乗る男、オライアンが浮かび上がる。そして、「サスペクト・ゼロ」ということからこれらの殺害された人物は捜査が進展するにつれて連続殺人犯の犯人だという共通点が出てきた。
今までの捜査で彼らのことは容疑者リストにも載らなかったのになぜオライアンが出来たのか。なぜ、わかったのか。この殺害された人達を殺したのはオライアンなのか? 謎が謎を呼び事件は混迷していく。
そして、なぜ、オライアンはFBIと名乗るのか? そこで「イカロス計画」というのが浮かび上がる。これは過去にあった計画だったがもう、無くなったも同然の封印された物。これはどんな計画なのか? オライアンとこの計画との関係はどうなっているのか?
調べると「イカロス計画」と言うのはある種の特殊な能力を持った人物のを選び彼らを訓練し、能力を伸ばし軍事目的や、迷宮入り事件の捜査に当てるという物だった。どうやらオライアンはその生き残りらしい。しかし彼はそこで鍛えられた能力をどうする事も
出来ずにいたのだった。その中で新たな事件が起ころうとしているオライアンはそれを予知している。
他の捜査官は彼を信じていないし、逆に逮捕したがっているが、マッケルウェイ達は違った。オライアンを交えて新たなる犯罪にどう対処していくのか。オライアンが感じる犠牲者達の悲鳴。オライアンはどうなるのか。どうしたいのか。
最後に関しては、彼らの演技の見所と映画の核心部分なので見ていただきたい。ただ、なぜこれらがわかったのかと新たなる犯人像を掘り下げる所、オライアンの悲哀については特に重要ポイントだと思う。
スリラー、ホラー物の中でも久しぶりのサイコ物。衝撃は大きい。
posted by diane at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マシニスト

まずポスターやチラシの写真に注目したい。ガリガリにやせ細った男の写真と英語のタイトルの書き方のデザイン。何とも不気味な取り合わせだ。
ちなみに、この英語のタイトルの書き方はハングマン・ゲーム。このハングマン・ゲームは映画のストーリー展開の上でも非常に重要な意味を持つ。
それにしても、この男、やせ細って本当に気味が悪い。なぜこの様になってしまったのか。
タイトルの「THE MACHINIST」は工場で働く機械工の意味だが、確かに主人公は工場で働く機械工である。
よくチラシを見てみると一年間睡眠を取っていないと言う。睡眠は人間が人間らしく生きる為の大変重要な生命活動である。人間はせいぜい寝ていなくても11日間が限度だと
言う。一年間と言うとそれをはるかに越え、当然生命の維持に赤信号が点る。
体調だけでない。脳の働き自身も落ちてくる。集中力は欠き、物忘れは激しくなる。ついでに感情コントロールも上手くいかなくなる。
食欲も無くなり、正常な人間的生活ができなくなる。
なぜ、この男は、こんな重度な不眠症に陥ったのか? この謎を解き明かすのがこの映画のテーマである。
しかし、主役のクリスチャン・ベイル。凄まじいですね。この役になりきる為に自分の体を犠牲にしてガリガリにして。この主人公の男を演じる為に約30kg
の減量をしたとか…。他の理由でダイエットする人は良く聞くけれどここまで役に徹して自分を犠牲にするのは凄いと思う。その為に余計にこの映画の主人公の気味悪さが目立った。
確かに画面全体が暗いのだが…。
主人公のトレバーは機械工。毎日決まった時間に出勤し、決まった時間に退社。非常に真面目に勤務していたが実は彼はこの一年間寝ていない。正確に言うと眠っていない。
映画の冒頭はかなり、ショックなシーンが展開されるがいきなりなので余り、観客にとっては始めは何なのだろう? と思う程度だ。ここで、怖いのはこのシーンを見ていたもう一人の男(アイバン)
と呼ばれる男だがこの男に「Who are you?」と尋ねられる所が非常に不気味だ。この言葉も実は重要な意味を持つ。このシーン自体が、映画の後半で起こる内容の伏線になっているのである。
最近、トレバーは自分の体の変化に悩んでいた。回りも彼の異常な痩せ方に危惧を抱いていた。こんな彼だが彼にとっての慰めは毎日空港のカフェに行ってコーヒーとパイをオーダーする。ここが彼のお気に入りの場所。それに
カフェのウェイトレスの女性の笑顔を見てちょっとした安らぎを得るのである。
また、家の近くでは娼婦のスティービーとも付き合いがあり、彼女の所でも何とか安らぎを得て眠りに付こうとするが上手くいかない。
そんな彼だが、物忘れがだんだんひどくなり、このごろではメモに用件を書き冷蔵庫に張っておくのであった。所がこのメモ書きが変えられている。
「Who are you?」と書かれた紙が張ってあったり、後ろ二文字がERで終わるハングマン・ゲームの絵が張ってあったり、心理的にとても不気味な事が起こりっぱなしなのだ。
そんなある日、彼はアイバンと言う男に出会う。この謎の男の存在が今後彼を苦しめ続けるのであった。
仕事のミスも重なり、彼は工場を首になってしまう。アイバンは赤のスポーツ車に乗って彼の近辺をうろつく。彼にしては一体何の用なのか知りたい。彼は自分自身の体を犠牲にして
アイバンの乗っていた車の番号を照会する。しかし、アイバンはせせら笑うだけ。しかもその番号は…。
ある日、彼は空港のカフェのウェートレスとその息子と遊園地に行く。彼女は用事で席を外し、彼女の息子と二人だけで乗り物に乗る事になる。
その乗り物の名前が「ルート666」。普通、「ルート66」ならよく聞くが666? これは昔の映画「オーメン」にも出ていたし聖書の黙示録にも出ている数字。危険な数字である。
ちょっと嫌な思いをするが彼女の息子とその乗り物に乗る事にしたが中が酷い。絶対、子供厳禁の場所だ。余りにも残酷すぎるのだ。
少年は癲癇を起こして倒れてしまう。持病と言うが…。
娼婦のスティービーのところでは探していた写真が見つかった。その前に、彼女とトレバーは未来の話をしていたのだが…。その写真にはアイバンが写っていたのだ。
そして、スティービーをなじるがスティービーからとてもショッキングな事実を聞かされる。それは…。
ついに、かれはある決心をする。そのシーンは冒頭のシーンと重なるのだが、自分が何なのか、アイバンとの関係を知るのだった。そして…。

とにかくこの映画全体は本当に不気味でありまた、人間が極限の状態に置かれるとどうなるのかが如実に語られていてとても怖い。
クリスチャン・ベイル、命を懸けた演技だなと思った。
彼はこれから「バットマン ビギンズ」等でも活躍するであろう。これからが楽しみな俳優である。
posted by diane at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

THE JUON/呪怨

もう皆様、ご存知の日本が誇るホラームービー「呪怨」のハリウッドリメイク作品。
元来、ホラーは嫌いではないのだが何か気味悪いので見るのを避けていた。それで元の日本の作品「呪怨」「呪怨2」は劇場版、オリジナルビデオ版全て見ないで
この作品を真っ白な感覚で見た。怖い。何ともいえない不気味さ。本当の原作からしてハリウッドホラーと言うのとは全く雰囲気が違う。
もちろん、元々、日本の作品をハリウッドがリメイク権を取り作ったと言うのもあるだろうが、それ以上に舞台がこれまた日本。ただし、出演者はハリウッドの方。監督も映画クルーも日本人と
なればやはり、底知れないじめじめした感じの恐怖と言うのは拭い切れないと思う。でも、また、それが全くなくなるとこの「呪怨」シリーズの面白みがなくなってしまうので難しい所だと
思う。しかも、この監督は元々の「呪怨」シリーズを自ら監督・脚本してきたとの事。ハリウッド版の製作には抵抗があったのではないだろうかと思いつつ映画を見ていた。
そもそも、また、舞台が日本ならばハリウッド版にする意味は? と、思ったが出演者ひとつ変えるだけで雰囲気は変わる。例えば、今回の呪いの元はやはり、日本の独特の物であるが、出演者が
日本人ではないとすると色々な物の見方がここに入ってくる。 つまり、「日本人ならこう感じるはず」と思い込みがちなのが「こういう見方もあるのだな」と言う部分が製作作品に入ってくる。
それが狙いなのかもしれない。ハリウッドテイストをこの日本の話に入れたらどうなるのか? という実験的な試みである。
この作品の前に「ザ・リング」と言うのがあるがこれもそんな考えの1つで製作されたものなのかも知れない。
まず、ハリウッドテイストの1つにこの映画のタイトルが「THE GRUDGE」になっていると言う事もあるかもしれない。
しかし、あくまでリメイクなので、ストーリーの構成などは最初の「呪怨」にある程度忠実である必要があるとは思う。
ストーリーはあるアメリカ人大学教授夫婦の夫がマンションのベランダから飛び降りて死亡してしまうところから始まる。
そして別なあるアメリカ人の夫婦が、仕事の関係で日本に来る事になり、家を買った。古く、いかにも日本的つくりの家。そこが気に入り買う決心をしたのだった。
しかし、その夫婦には1つ問題があった。年老いた母親がいたのだ。昼間いないので介護ボランティアが必要だった。そこで、介護センターに頼み日本人スタッフの洋子を派遣してもらった。
ある日、いつもの様に洋子が行くと家中が散らかっていて、年老いた女性のみがいた。彼女の世話をしてから、洋子は家の中の掃除に取り掛かった。それから?
突然連絡が取れなくなったので代りに日本の国際大学で福祉を勉強しているカレンに要請が来た。彼女は介護の単位が欲しくて希望を出していた。
彼女が日本に来た理由はボーイフレンドのダグが日本で勉強をしたいというので付いてきたのだった。
カレンがその古い家に行った時はアメリカ人夫婦の存在はなく年老いた女性だけが残されていた。カレンもやはり色々と老女の世話をした後、家の清掃に取り掛かった。
彼女はこの家に来た時からただならぬ雰囲気を感じていた。少年の姿らしきものが目の前を通る…! 調べると押入れに少年が閉じ込められていた。そこで、介護センターにいる、アレックスに
そして、心配してアレックスが家に来ると老女は死に、カレンは恐怖におののいていた。そこで、警察に連絡。そこで英語にも堪能な中川刑事が派遣されてきた。家を捜索すると屋根裏にこの家を購入したアメリカ人夫婦の
死体が…。そして、この家には色々と謎に満ちた点があった。そこで、病院に収容されたカレンに事情聴取。話を聴いているうちに、三年前、その家で起きた戦慄の事件を思い出した。その時も彼が担当だったのだ。
そして、関係者が次々と死亡! その事件を思い出していた。 そして、そのアメリカ人夫婦に妹がいることを知り、連絡を取ろうとする。一方その妹も恐怖の中にいたのだ。そして…。
元気になったカレンはこの事件を調べようとした。三年前の恐怖の事件。その事件の内容を追いかけて見ると、ある大学教授の名前が挙がってきた。それはこの作品の最初に出てきた自殺した大学教授。
ここに、一見バラバラになっているような事柄が連鎖のような輪を描いているのに気づく。
そして、関係者は次々と…。
つまり、関係ないように思われて最初のシーンが映画の終わり近くになって伏線になっているがわかる。映画の作りも連鎖になった輪なのか?
この作品の主演は今はアイドルになっているサラ・ミシェル・ゲラー。その他の出演者にビル・プルマン、ジェイソン・ベアらが名を連ねる。
中川刑事役に石橋 凌。彼の英語は非常に聞きやすかった。多分、ダイアローグコーチは付いているんだと思うが元々、英語は出来る人だと思った。
それにしても人間の怨念は怖いものだ。まさしく呪怨。GRUDGE。
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ビフォア・サンセット

お洒落な街、パリでの何年振りでの偶然の出会い。夕方の飛行機に乗るまでのほんのわずかの時間しかない。二人は、時間を惜しむかのように話し続ける。
しかし、一箇所に落ち着かない。それはきっとタイムリミットまでの後少し、もう少しの感覚がなせる業だと思う。
この映画をずっと見ているだけであっという間にパリの有名どころがスクリーンに登場してくる感じである。一緒に観光している気分が味わえないわけでもない。
とても懐かしい。一番好きな所はノートルダム寺院をバックにしているセーヌ河沿いの古本屋さんがずらっと並んだ通りを二人が歩いていく所。あっという間だから
気づかないかも知れない。
この作品は、私は何の予備知識無しで見に行った作品。従って、この作品が作られる前に前提となる前作があった事は全く知らないで見た。ただ、評判が良いと言う
それだけの事で見に行ったの作品。当然、前作の「恋人までの距離」(原題BEFORE SUNRISE)は見ていない。
しかし、作品の作り方というか構成のポイントがとても面白い。登場人物はたった二人。二人だけの会話で映画が成り立っている。もちろん場面によっては店員とか、運転手とか
必要に応じて登場するが、彼らにはセリフがなく、極端な事を言えばとりたてていなくても良い存在。そして、映画の始めから最後まで、繋ぎも何もない。ひたすら二人のダイアローグ
だけで進められている。つまり、見ている私達も作品のストーリーも同時進行している訳である。
これは本当に珍しい作りの作品だとよくよく見入ってしまった。
この続編「ビフォア・サンセット」の邦題が英語をそのまま使うのであれば前作の題名「恋人までの距離」という邦題よりもやはりそくまま英語を使って「ビフォア・サンライズ」の方が作品同士の対比の意味もあって良かった様な気がする。または、
続編に当たる本作品に全く違うタイトルをつけるとか…。でも難しいですね。ヨーロッパは夏場は昼の時間が長いので夕方と言っても中々、日が落ちません。すると、後わずかしかない時間を有効に使おうと言うイメージの
このまま、使った方がリアリティと緊迫感が維持できるかな。タイトル1つ取っても難しいですね。
出演者は前作と同じでイーサン・ホークとジュリー・デルピー。監督も同じくリチャード・リンクレイター。イーサン・ホークは最近何かと注目されている俳優。ここ、一年間位の間で日本の劇場公開された作品で私が見たのでは
「テープ」と「テイキング・ライヴズ」がある。しかし、まだ、そんなに年齢行っていないと思うんだけれどあの何とも言えないくたびれ掛けた渋さと言うか、独特の雰囲気は何なのかしら?と時には思う。
いずれにしてもよくあんなに長いトークをずーっとやれるほどセリフ覚えていられるなと感心する。
ストーリーは前作にまでバックし、9年前、列車内で会い、ウィーンで下車。何時間もお互いの事を語り合い、やがて時間(早朝)が来て二人は別れる。ただし、半年後に同じ場所で会うことを約束して。
しかし、フランス人のセリーヌは親戚の不幸の関係で、行こうとしていたが行けなかった。一方、アメリカ人のジェシーは約束を果たそうとその場所へ。しかし、逢えるはずもない。
この事の確認は本作品でもダイアローグの中で確認する部分があり、前作を補足している形になる。ここまでが前作の内容。だから前作の英語の原題「BEFORE SUNRISE」は夜明けまでのわずかな時間を語り合いつくす二人が
描かれているはず。
今作品はあれから9年の月日が経った。ジェシーは結婚し今は有名作家。パリの有名書店でのプロモーションの為にパリの地に来たのだった。
一方、セリーヌは報道カメラマンと付き合いはあるのだろうけれど未だに独身。環境保護団体に勤める。
ジェシーがプロモーションをしている本屋にセリーヌはやってくる。セリーヌはパリで暮らしていてこの本屋の常連でポスター等でこの事を知って来たと言う。そのセリーヌに気づくジェシー。サイン会も
吹っ飛ばしてセリーヌを見つけ出し話しかけようとする。しかし、ジェシーは夕方の飛行機でパリを発たなければならない。残された時間はほんのわずか。約1時間半。その間、時間をもらい、セリーヌと再会を喜び合い話しをしようと
する。時間がない為か、話し方はまるでマシンガントークだ。お互いの近況、この9年間の出来事。色々な事柄についての意見の交換。そこのカフェでと言いつつ、その場所に着くまでにかなり話している。そして、色々な小路を歩くのである。
カフェの中でも時間を惜しむかのように話し続ける。そして、カフェをでて別れるまでの間の話しながらの散歩がまたとても良い雰囲気なのである。ロケーションも良い。
ますます、時間の切迫感を感じる。そして、別れの瞬間。だからと言って決してくどくない。お互いさっばりとした感じだ。出来ればまた再会をと言うところか…。
本当に時間の惜しさ、痛ましさを感じさせる作品で何とも言えないいい雰囲気の恋人の二人を感じた。
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ボーン・スプレマシー

あのジェイソン・ボーンが帰ってきた。前作でマット・デイモン自身、自分のイメージを打ち破って作り上げた「ボーン・アイデンティティー」。
それを上回る、迫力とスケールで今回は作られている。ただ、ストーリーの作りが前作の続きと言う形で出来ていて、さらに、二年が経過していると言う
前提で出来た内容なので、前作を見てから、今作品を見る事をお勧めする。
前回はパリがメインの舞台だったが今回はヨーロッパ各地が舞台になっていて本当にスケールがでかいなあと思う。前回を上回るようなカーチェイスはとても
見ものである。しかし、私自身の見解だが、ボーン・スプレマシーを見た後で、ボーン・アイデンティティーと見ると、何となく前作の方が私としては好み
である。
前作では、懐かしのパリの街を見れてとても嬉しかったが今回もヨーロッパの色々な所が画面に映し出され非常に懐かしさを覚えた。
世界各国で絶賛された今作品だが本来はお正月映画レベルだなという気がする。何か今回はお正月映画は余り、それ程の大作がなくどちらかと言えば
分散型小粒映画。その代わりと言っては変だが、お正月明けに大作が次から次へと公開されている。
前作は自分の事は覚えていないスパイだが、命を救われ、彼が生き返り、自分を確かめる所から話が始まった。
今回は、前作の続きから、スタートする。前回の最後で彼は一緒に行動を共にしていたマリーとインドで暮らしていた。相変わらず自分の事は良くわからない。
記憶が途切れる。ただ、CIAエージェントとして活躍していた時の訓練はしっかりと体で覚えているのだ。それに、彼自身やはり、精神的なストレスは大きいのだろう。
いつも悪夢に悩まされ時には肉体的にも犯される時がある。マリーは必死で彼を癒そうとするがなかなか上手くいかない。
そんな時、CIAでは、ビッグプロジェクトが動いていた。組織内の不祥事の一層だ。そこで手がかりを見つけいざ取引と言う時に失敗した。
その時に唯一の手がかりは指紋。ジェイソン・ボーンの指紋だ。指紋照合をすると「トレッドストーン計画」これは前作で出てきたものだが、ここで、アクセス拒否。
上司に問いただすがどうものらりくらり。しかし、CIAの捜査官のパメラ・ランディはボーンの仕業と思い込み、彼を追い回す。逃げている最中、一発の銃弾が愛する
マリーを打ち抜いた。
ボーンはマリーとの幸せな生活を夢見ていた。そんな彼女が殺された。今のボーンは早く自分の記憶を取り戻し、復讐し、しかも自分の本当の過去を知ること。
それだけだった。
一方、CIAのパメラ・ランディは「トレッド・ストーン計画」に興味を持ち、関係責任者、上司でもあるアボットに問いただしていた。アボットとしては自分もその関係者であること。
不祥事に関係している事を必死で隠そうとしていた。あらゆる所から狙われるボーン。さて、どうやって切り抜けるかが今回の注目すべき点である。濡れ衣を着せられたままでいいのか?
ストーリーの最後でパメラに連絡を取るボーンだが、パメラはボーンの資料を集めていた。そこで、本当のボーンはいかなる人物か教えた。
今や、彼女は忌まわしい「トレッドストーン計画」の全貌を知っているのだった。
今回は監督もダグ・リーマンからポール・グリーングラスに代った。もともとの原作ではこの作品は三部作だったらしい。その為か、今回のエンディングは次回作のあることをなんとなく
仄めかしている。
なお、日本語翻訳も前回は戸田奈津子だが今回はアクション物に強い菊池浩司に代っている。
おとなしい演技派のイメージのあったマット・デイモンだが今回の「ボーン・スプレマシー」でますますアクションスターらしい感じが出てきた。
次回はどんな活躍をするのか楽しみな俳優の一人である。

posted by diane at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劇場版「テニスの王子様」-二人のサムライ

「まだまだだね。」「油断せずに行こう!」「残念無念まった来週!!」「俺様の美技に酔いな!」
番組を見ているとこれらのセリフが出で来る。と言うのは彼らは中学生でありながら、何やら独特の雰囲気があって、いつも水曜の夜七時を楽しみにしています。
最近は仕事の関係とかで見れない事が多いけれどジャンプコミックスはしっかりと買っている私。 これが、劇場版が作られるとあっては話が別で、絶対見に行かなくちゃと思っていたんです。
ところが、公開から約二週間がたっていながら上映時間はいつも昼間。しかも、土・日の休みの日に行けば全回満席。まあ、特に中学生・高校生に人気がありますから。

私がこの「テニスの王子様」を見ていた時はまだテニススクールに通っていました。しかもレッスンは水曜日の夜。だから、テニプリを見てからでもしっかり行けたのです。しかし、越前リョーマ君は
いつまでたっても中学一年生なんですね。というか、半年の出来事を描くのにどれだけの年月が掛かっているのかなと思っています。

でも、今回も面白いですよ。よくスペシャルをテレビでやっていますが今回はミニチュアサイズではありません。
立派なストーリーになっているんですね。しかし、最後の跡部の登場の仕方はやはり彼らしいです。

映画化という事で彼らの技の表現の仕方もグレードアップ。しかも、なぜか今回はリョーマにお兄さんが居た????????????
という大きな謎を含んでいます。しっかし、青春学園中等部のテニス部諸君はいつも色々と困難にあいますね。

今回は豪華客船に青学の面々は招待される。しかし、それは罠。エキシビションマッチを金持ちの桜吹雪という男に依頼され、青学の生徒達は招待に応じる。その情報をキャッチした跡部は「あ〜ん?」
といつもの調子だが跡部も実は財閥のお坊ちゃん。色々と裏を調べてくれる。

さて、そのエキシビジョンマッチだが、桜吹雪自分のチームを持っている。そして、観客に賭け試合をさせているのだった。そして、オッズが発表されると圧倒的に青学チームの人気が高い。
そこで、八百長試合を言ってくる。それも脅迫して…。

そんな事は不正だと青学チームは正々堂々と戦おうとするが…。

そんな時に表れるのが桜吹雪チーム側にいる「越前リョーガ」。彼はリョーマの兄といっているか果たして? リョーマにはかすかに幼少の時の
オレンジの記憶がある。彼とはどういう関係なのか。この作品ではあまりはっきりとは出てこない。多分、後の作品で現れる事であろう。

さて、今作品には本編の後に跡部からの贈り物〜君に捧げるテニプリ祭り〜が付いている。これもかなり笑える。
なぜ「俺様」の跡部が主催なのか?  よくわからないけれど全てがコメディで、いつもはチョイ役の人も出ているし、かつて、出てきた人達も何気に出てくるオールスターキャストと言うわけだ。

なんだかんだと話は進むがいつもの跡部のセリフ「あん?そうだろ?樺地」といっている跡部の最後の樺地へのメッセージは最高!!!。

テニプリファン諸君!!!  是非見に行こう!!!!
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アレキサンダー

製作費200億円、壮大なスケールで描くスペクタクルとエンターテインメント超大作!という触れ込みの作品。
最近は、よくコリン・ファレルとアンジェリーナ・ジョリーの作品が日本で公開されている。二人とも今が旬の俳優と言えよう。
そして、忘れてはいけないのが、アンソニー・ホプキンスの存在。彼のナレーションで主に映画は進行していく。
アンソニー・ホプキンスと言えば「レクター博士」のシリーズでその独特の恐怖感を観客に植え付けた事で非常に印象深い役者でもある。
しかし、私は彼は「レクター博士」も良いのだがその他の落ち着いた作品が好きだ。特に彼はシェークスピア等にも出演した事のある名優。
彼のきちんとしたナレーションは素晴らしい。作品中は出演しているが、事実上、この作品の内容を上手く進める為のナレーターだ。
彼の話し方はとても良い。落ち着いているし、英語も綺麗で、早いという以外、とてもはっきりとしていてクリアーだ。
さて、アレキサンダー大王(ALEXANDER THE GREAT)は誰でも知っている人物だと思う。彼の業績は、歴史の時間等にも触れてはいるが
どのような人物だったかと言う点においては非常に謎が多い。意外と知られていないのが彼は夭折だったという事だ。その短い人生の中にこれほどの偉業を
成し遂げた人物。やはり敬意に値する。
学生時代に学習した中では、彼はバルカン半島のギリシアの北部にある今でこそとても小さな国マケドニアの王。その王が、一年を発起して自分の届く範囲の世界の場所、未知の場所まで
踏破し、大帝国を築いた事。そして、要所要所に自分の名前をつけた都市アレキサンドリアを作った事。これは自分の東征を守りさらに進軍を有利に進める為の物。当然、これだけの
広大な範囲を配下に置くのだから要所は押さえなければならない。
彼の東征は祖国マケドニアにはじまりエーゲ海はもちろん、地中海東部は当然のこと今で言えばイラク、当時のメソポタミア、ペルシアをも押さえ、アルメニア、トルコ、バビロニア、バクトリア
インド西部、ソグディアナ、カスピ海近辺に至る。そして、シリア、パレスチナを越えエジプトへ。実に広大な地域である。この大帝国には10以上のアレキサンドリアがあるが未だにその名を残しているのはエジプトの
アレキサンドリアだろうか。
今でも言われているが、アレキサンダー大王の東征は現代にも多大な影響が残っている。例えば、旧ソ連のコーカサス地方や中央アジアの小国などでは、アレキサンダーの大帝国を維持する為に
彼がマケドニアから連れてきたギリシア系の影響が随所に見られる。NHKか何かの特集でご覧になった方はお気づきかも知れないが例えば、本場ギリシアにはもう既に消え去った文化や伝統が残っていたり、
民族的な顔立ちにもギリシア系の影響を受けたと思われる様な顔立ちを持った人達が居たり、アレキサンダーの影響は本当に大きかったんだと改めて認識できる次第である。
アレキサンダーは短い生涯の中でどの様な一生を送ったのでしょうか。彼については様々な憶測があります。この映画はその内の1つをクローズアップして取り上げたものと推察されます。
まず、なぜ彼は20歳の時に王位につけたのか。彼を世界征服に駆り立てた物は何か? 彼と母親の関係はどうだったのだろうか?  父親とは?

この映画のエンドロールを見れは゛お分かりになると思いますが、とても名だたる方々が名を連ねています。監督のオリバー・ストーンを始め、音楽のヴァンゲリス。豪華スタッフキャストの集まりとも
言える映画でしょう。
しかし、最近、こういう歴史物多いですね。「トロイ」しかり。
実を言うと私、あんまりコリン・ファレルは好きくないです。
posted by diane at 21:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

着信アリ 2

前作の「着信アリ」の続編。
何しろ前作を見ていなかったので事の詳細は知らないがしかし、とても恐ろしいホラーだなと思った。見ていてこれで何とかだなと思っていると次から次へとまた、恐ろしいものが
やってくる。最後まで見た感じではまだ、続編がありそうな感じ。
携帯電話は、今では完璧に普及している。どこを見ても携帯電話を持って通話したり、通話が駄目な所ではメールの打ち込みをしている。それ位社会には完璧に浸透している携帯電話。
それなだけに最近では携帯に纏わる犯罪も多発。有名な所では「振り込め詐欺」かな? 私もそれに似た様なメールをもらいました。
この映画はそういう現代社会のバックグラウンドをがある上に人間の怖さ。結局、人間の奥底に潜む一種のヒステリックなまでの気づいていないかもしれない犯罪への憧憬。それを行うと
どんなしっぺ返しが来るか。それを上手い具合に結びつけた物と思われる。人間社会はある意味、弱肉強食の世界。強い者が弱い者を虐める。その結果、虐待され続けた人間はとんでもない
恐ろしい感情を心の中に秘めている。秘めている時間が長ければ長いほど、また、その憎しみが大きければ大きいほど返ってくる復讐は大きい。その結果、全く関係の無い人にまで影響が出る。
すなわち「恐怖の伝播」。「着信アリ」。最近の携帯は「不在着信表示」だがこれは、その異端に過ぎないのかもしれない。

今回の「着信アリ2」は日本だけではない。舞台を台湾にまで広げている。つまり、事の発端はかなり、昔にまで遡ると言う事だ。今回は台湾のロケ、そして、俳優さん自身も中国語を話さなければ
ならない。恐怖は日本国内だけにのみならず世界にまで広がる。
何気に気づくと「不在着信表示」。そして、何かなと思ってメッセージを見ると発信者は自分。しかも、日付や時刻は約三日後。留守録に入っている声は自分の声。そして、その声は恐怖に駆られている。
最近はTV電話機能のついた携帯もある。そうなると声のみならず画像も付いてくる。つまり、死の瞬間の予告。そして着メロは独特の死の予告メッセージの着メロ。それを受けたら最後、確実に
死はやってくる。なんとも怖い話である。
映画の主役はミムラ。そして、彼女を救う為に色々と活躍する恋人役に吉沢悠。そして、今回は、この事件を追い続けるジャーナリスト役に瀬戸朝香。彼女は中国語も披露してくれる。
ずっと、この不可解な殺人事件を追い求める警察官に石橋蓮司。
今回は、実際にどんな風に話しが展開していくのか、光明は見えるのか、ラストの30分が何とも言えずに怖い話だ。
posted by diane at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

きみに読む物語

愛は永遠」と言う事を教えてくれた映画でした。現代社会では枯渇している人間同士の触れ合い、本当の愛情を表した映画だと思います。
今は自分が誰なのかも覚えていない妻を思い出させる為にひたすら与えるだけの愛は本当に素晴らしい。心の底から愛情が深くないと出来ないと思います。
それも、二人が本当に出会ったあの夏の事を思い出させる為に…。
本当の真の銃愛映画と言う事の他にこの映画はもう1つ重大な事をも含んでいます。今後の高齢化社会において益々増えていくであろう高齢者特有の病気「老人性痴呆」。
これと戦う姿。どんな姿に自分のパートナーがなっても決して忘れない。自分達の愛は本当に永遠なのだという事。だから、自分のパートナーがどんなになっても思い出して欲しいと
思っている。また、そのパートナーも自分はいずれはその病気が進行していく事を知っていていずれは何もかも忘れてしまう。そこでまだ自分が確かな内に一番心に残る内容を本にしておく。
(メモと言う形だが)自分がすべてを忘れてもその大切な情熱的な思い出を語って欲しいと…。
愛を語るには年齢は要らない。この二人の間の愛には年齢は無い。しかも、愛は奇跡をも生み出す力がある。それをやってみようとしている物語である。
ついに、奇跡は起きるのだが、しかし、深い深い愛があってこそ。相手を深く思うからこそ、永遠に一緒にいたいと思うからこそ、最後の瞬間まで魂が触れ合ったままでいたいと思うからこそ、
出来る事であり、この愛は医療で判断された「老人性痴呆」という事柄を超えて奇跡が生み出される。魂に働きかけたのだ。これは人間だからできる事。科学では出来ない。癒しは人間同士の関係から
起きると言うのがここで述べられている。人間同士の付き合いが希薄な現代だからこそ、こういう物語が必要だし、私達にもう一度、何が一番大切かを教えてくれる。
また、映画の中で「私最近、絵を描いていない」と言う所があるが彼女にとって絵を描くというのは自分の心を描くこと。それをしていないというのは自分の魂との触れ合いをしていないという事だ。
自分の魂との触れ合いの仕方は色々とあるが、自分の魂と向き合うというのはとても大切。でなければ自分を失うかもしれない。これは誰にでも言える事である。やり方はどうであれ必要である。
晩年、自分の意識のある内に自分の一番楽しかった時を書き綴った本(THE NOTEBOOK)はもう一度、自分の魂と正直に向き合った結果だと思う。
この映画の最後、エンドロールのおしまいには、イメージソングと特典映像が流れる。この映画のイメージソングはCHEMISTRYの「ココロノドア」。ちょっと心憎い冬の歌である。
この曲は完全限定盤新作アルバム「HOT CHEMISTRY」の中に入っている。このアルバムもとても素敵なので機会があったら是非聴いていただきたい。
また、劇場特典映像はそのCHEMISTRYのインタビューが入っているので、彼らのファンには2倍に楽しめる事になる。
老人療養施設に暮らす身なりもきちんとした女性。彼女は「老人性痴呆(この場合はアルツハイマー症)と診断されて老いて最後の時をひっそりと全ての過去を忘れて過ごしていた。ある日、初老の男性が
彼女を訪ねてきた。彼女の調子が良い時に物語を話してやるのだった。それは、彼らの若い時の情熱的な愛の物語だった。
南部の田舎のシーブルック。アリーは裕福な家の娘。ノアはこの地方に住む肉体労働者。アリーはひと夏を過ごす為にここにきたのだった。ノアは一目で彼女を愛してしまう。
アリーもあっと言う間に恋に落ちてしまう。毎晩のように彼らは喧嘩というパターンを繰り返すが彼らの愛はますます深まっていくのだった。ある日、古い家をノアは彼女に見せる。「いつかこれを自分の物にする」。
これがノアが描いていたアリーと過ごす為の夢だった。
しかし、彼女の家の者はかれを馬鹿にし、付き合いを止めさせようとする。やがて彼女は街に戻る。彼女は都会育ち。ノアは田舎の青年。自ずと出自に差があると彼女の周りの人間は考えていたのだ。
ノアの愛はとても深かった。街に帰っても365通もの手紙を彼女宛に書き綴った。しかし、それは彼女の手に渡らない。彼女の母親の邪魔が入ったのだ。そうこうしている内にノアは戦争へ。アリーはカレッジへ。
二人の世界は離れていったのだ。アリーはカレッジに行き元兵士でもある弁護士のロンとの恋に落ちる。彼は南部の富裕な家の出身。彼女の家も問題なく大賛成。結婚話はトントン拍子にすすみ、後は結婚式を
待つだけ。そんな時に、新聞にあった一枚の写真。そこにはノアと修理されたあの古い家が写っていた。彼女は何もかも忘れて、とにかく結婚式前にシーブルックに行きたいと言い、ロンからも了解を得てシーブルックへ。
そんな二人の紆余曲折も有りながらの純愛はとても美しい。この映画のラストシーンはとても感動的です。
是非、見ていただきたい冬の心温まる作品です。
posted by diane at 21:19| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オペラ座の怪人-3回め-THXシアター

またまた、行ってしまいました。三度目の正直。前回とは違うシネコンです。
公開した週に見ておかないとシネコンではスクリーンが変えられてしまう恐れがあるので…。
今回は音響の比較的良いシネコンに行きました。DTS、SDDS、DOLBY DIGITAL対応の36本のスピーカーの付いたTHXシアターでした。
前回見たシネコンのIMAXシアターと違ってスクリーンが平坦な感じがしたんですが、この映画は何しろミュージカルですから、音楽性重視は当然です。
多分、来週からはここのシネコンではTHXとDLPのシアターでの上映に変わるはずなのでそちらでも見ようかな。そして、もう一館、普通の映画館でも上映
するから、しつこく、行くかもしれないです。
いままでの2回のレビューでこの映画の大まかな感想は述べましたのでそれは割愛して今回、気づいた事を書きます。

音響の良さのせいか、大迫力でした。音もよく響き渡っていました。それなだけに歌の質がはっきりと明確に出ていました。
特に、最後近くで、ファントムとラウル、クリスティーヌの三人の歌の共演ではやはり、ジェラルド・バトラーの質がクリアーになってきました。
他の二人との差が…。ここが一番の彼の悲哀を語り、物語の一番の盛り上がりなのですが、演技や歌以外の表情の表現、セリフ等は上手いと感じました。
しかし、やはり肝心の歌が…。全体的にこの映画の出来が良いのでこれは仕方ない部分ですね。
今頃、サウンドトラックを買おうとしても難しい事。まあ、予約していなかった自分が悪いのですが…。
初回限定盤は殆ど発売当日に完売との事。しかも、通常盤もかなりの売れ行きで、店に置いていません。輸入盤のサウンドトラックを買おうとしても
売れ行きが良くていつ入荷するかわからない状況。残念。
おまけに良く調べると、私はロンドン舞台盤を持っているのですが、これすらも完売。劇団四季バージョンも完売。とにかく「オペラ座の怪人」関係の
資料、サウンドトラックは完売でした。ついでに私は公開初日にすぐにパンフレット買ったんですが、これも完売でした。要するに「オペラ座」関係は
全てSOLD OUTの状態です。DVDの発売の時は絶対に予約入れて間違いなく買おうと思います。
ジェラルド・バトラー、今回はファントム役で頑張っていました。これも彼にとってはきっと良い経験でしょう。
で、今までどんな演技なのか、彼の印象が薄かったので「トゥームレイダー2」をDVDで見直しました。「タイムライン」もしたいのですがこれは
買っていないからなあ。とりあえず両方とも劇場公開で見ていますが…。
で、とりあえず見ると、彼はカッコいいんですね。アクション物が得意なのかな。メイクもしていないし、衣装も違うし、歌も無いから全然別な感じ
がしました。ついでに、これは彼に失礼かも知れませんが、彼は少し太ったかな? なんか恰幅良くなっちゃって。
でも「トゥームレイダー2」の方がとても自然に見えましたけれどね。
今回、この映画に出たという事できっと今後はミュージカル的要素の強い仕事が増えてくると思うんですよね。だからこれから、歌の練習もして、今度
このような映画に出る時はますます、みがきをかけて欲しいと思っています。
何しろリチャード・ギアが「CHICAGO」の後、またミュージカル映画のオファー。「Shall We ダンス ? 」に出ますよね。きっとこんな感じになると
思うんですよ。だから、ジェラルド・バトラーにはまだまだ期待しているのでダンスと歌、頑張って欲しいと思います。
posted by diane at 21:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オペラ座の怪人-2回目-IMAXシアター

ファーストデイスペシャルの今日はもう一度、「オペラ座の怪人」を見てきました。
前回は試写会でホールみたいな所でしたし、スクリーン位置も余りいい物とは言いがたいものでしたね。
それで、今日は実際、どっちのシネコンに行こうか、悩んだんですが、サービスの良い方のシネコンを選びました。
ここは、IMAXシアターでやっているので大スクリーンで見た位置としては、ほぼ真ん中の位置で見たと言って良いでしょう。だから、前回よりは
ずっとスクリーンは見やすかったです。音響はDOLBY SURROUND-EX。まあ、そんなに悪い音響でもないですが、近くにTHXでスクリーンの大きな所
があるので、またきっと見に行く事でしょう。私にとって「オペラ座の怪人」は特別なんですね。だから、今度また、ロンドンに行ったら舞台を見にHER MAJESTY'S THEATREで見てこようと思って。
さて、この映画の字幕は戸田奈津子さんですね。定番人気ミュージカルでしたから、翻訳は非常に難しかったと思います。だから、言葉をそのままに使った部分もありました。
長い映画ですから、途中退席の人もいました。私が、ロンドンの舞台で見た時はファントムが呪いの誓いを立てた所で休憩が入りましたのでその間に用事は済ませました。
一番この映画で気になる謎は果たしてファントムは死んでしまったのか? それとも、行き続けてクリスティーヌの墓に置いてあった花が暗示しているようにまだ生きているのかと言う所でした。
でも、私は今回見て、ファントムは永遠に生き続けると思いました。
相変わらずの絢爛豪華さはありますし、ディテールも細かい。それに舞台では触れる事のできない部分も綺麗に作られていました。
特に「MASQUERADE」の部分は素晴らしい。それから、シャンデリアの様子も良く出来ていると思いますね。
試写会を見た時から気になっていた、音楽について触れたいと思います。やはり、全体的に声楽の精度は舞台から見ると落ちていると感じました。
理由は、映画の場合は舞台よりも美術装飾に力を入れたり演技力が如実にわかりますし、アップシーンもありますからビジュアル的にごまかしはきかないんですね。
しかし、問題の声楽の部分は????????????
例を挙げて言うと、「PRIMA DONNA」の曲で二人の支配人が歌うんですが、片方の支配人は聞かせ所があるのでそこはかなり歌える人というかオペラか何かやっていた方だと
思います。もう一方の方はミュージカルはやった事があるのかもしれませんが、歌唱力というか、声に伸びがないんですね。それはファントム役の
ジェラルド・バトラーにも言えるのかも知れませんが…。
主なキャスティングの中でやっぱりジェラルド・バトラーの歌唱力はちょっと引っかかりました。はっきり言うと彼のは演技は確かで悲哀も十分感じるのですがミュージカルの根源の
歌が、まあ、あの音域は音が取りにくいでしょうが、音が多少下がっていたりする事がありました。ファントム役は演技力とセクシーさが売り物なのである程度カバーは出来るのですが
でも、特に「THE POINT OF NO RETURN」の所ではジェラルド・バトラーの歌唱はエミリー・ロッサムやパトリック・ウィルソンと比べるとちょっと差がありますね。
やはり、舞台経験はあっても声楽の経験が少ないのが残念ですね。
しかし、伝統的にファントム役の人はそんなに歌唱力がある人はあまり出てこないんですね。どちらかと言うと脚本のせいかも知れませんがファントムは悲哀や、愛憎を観客に伝えなくては
ならなくてその為にそれをやるとオーバーアクションになってしまって歌唱部分が引きずられてあまり上手くいかないんですね。だから、あまり、歌唱の上手なファントムは今までに余りお目にかかったことが
ありません。
一方、パトリック・ウイルソンは上手いです。非常に歌いなれている感じがします。最もオフ・ブロードウェイから本場のブロードウェイの舞台に立った人ですから上手くて当たり前と言えば当たり前ですが…。
ただ、ちょっとアメリカン・アクセントが気になって…。
ファントムの演技は骨太さがある程度必要ですから、力強さが要求されてきますから、仕方ないかな。ジェラルド・バトラーは「トゥーム・レイダー2」「タイムライン」で最近の映画界では注目株。しかも
舞台経験は豊富なので演技力は豊富ですから。グラスゴー出身の割には彼は英語が綺麗です。一般にグラスゴーの英語は聞きずらいといわれています。
良かった曲はやはり、舞台でもそうですがクリスティーヌのソロパートですね。特に私は「ANGEL OF MUSIC」が良かったです。
さて次回はいつ見に行こうかな
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ベルリン・フィルと子供たち

ベルリン・フィルハーモニーと言えばクラッシックファンの方にはとてもなじみの深い、そして、伝統と名誉ある管弦楽団というイメージがあると思うのですが
最近では、こんな画期的な試みをしているんですね。特に、モダンの代表的作品、またモダンバレエでも有名な作品であるストラヴィンスキーの「春の祭典」を取り上げ
有望なベルリン在住の出身国も関係なく若者を集めて教育的ダンス・プロジェクトをしているとは、夢にも思いませんでした。
しかも、現在の芸術監督はイギリス出身のサー・サイモン・ラトル。彼の画期的アイディアと音楽に、いや、総合芸術に掛ける情熱はとても素晴らしいものです。
また、厳しい訓練や指導にも関わらずよく、若い人達(だって下は10代前半です。)に根気強く指導しているなあと感心した所です。
彼の音楽を通してコミュニケーションを図りたいと言うとても意欲的な姿を捉えたドキュメンタリー作品だと思います。
ちなみに、この作品は色々な所の映画祭での特別招待作品などになって公開しています。
ちょっと映画を見て驚いたのは最初と最後にロックミュージックが入るのですが(ラップっぽい)、ドイツ語なのでいつもの英語の感覚とちょっと違うんですね。
それもとても新鮮でした。ベルリンのロックシーンと言えば一時期、ヨーロッパのロックの代表的存在になった事もあるのですが、最近、ドイツ語の曲を聴いていなかったので
良かったです。
そして、大半の子供たちがクラッシックにはなじみが無い。まして、子供ですから扱いにくかった事も沢山あっただろうと想像付きます。
約250名の子供達の内で映画の中では特に三人の子供に焦点が当たるのですが、彼らのリハーサルの出来・不出来で一喜一憂する姿。そして、疑心と確信、不安と自信をさまよいながら
成長していく姿はとても感動しました。
今まで、ベルリン・フィルと言うとすぐ、「カラヤン」とか「フルトヴェンクラー」等の巨匠のイメージが強かったのですが今回のこのドキュメンタリー映画を見て新しいベルリン・フィルの音、特に
ラトルとの組み合わせの音楽をもう少し聴いてみたいと思いました。
そういえば、「ジルベスタ・コンサート」の様子が確か、放送されたはずなのに見逃してしまいました。何かの折に見てみたいと思います。
posted by diane at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Ray レイ

この作品は今やアカデミー賞有力候補として、かなり注目されている。先日のゴールデン・グローブ賞の「ミュージカル・コメディ部門」で主演男優賞でジェイミー・フォックスが受賞
している。
それ以前にも、偉大な音楽業界の大御所として、そして、盲目の天才ミュージシャン RAY CHARLES 彼の名前は有名で、それだけでもこの映画に興味のある人はかなりいたと思われる。
特に、R&B、JAZZ、SOUL、HIP & POPS、カントリー、ロック等など、挙げたら切りが無い位に彼の音楽は多大な影響を与え続けてきた。その人物を演じると言う事は多大な苦労がこの主役の人物には
かかっていたと思う。
余り、この分野の音楽は得意ではない私でも彼の名は知っており、映画の中で使われた彼の曲はどこかで聴いた曲が多かった。それぐらい彼の音楽は至る所で愛され使われ続けているいる。
この映画の企画は何年も前からあり、ジェイミー・フォックスはレイ・チャールズ自身がオーディションして決定したと聞いている。そして、この映画は製作されたのだが、彼自身は公開直前の
ほんの数ヶ月前に亡くなり、この映画は結果的に彼へのトリビュート作品となった。偉大なるレイ・チャールズの冥福を祈る。
作品はレイ・チャールズが目が見えなくなる少し前から始まる。彼は幼少の時は差別の多い南部の貧しい家で育った。まだ、彼の目が見えている時に彼は弟を失っている。この事実はこの映画では
とても大切なレイ・チャールズがなぜそういう行動をとったかと言う事の全ての伏線になっている。
彼は厳しい母親に育てられ「盲目でも馬鹿ではない。自分の足でしっかりと立つ事」を躾けられて育った。彼は苦労人である。黒人であるが故の差別、盲目であるが為に騙そうとする人達。そういう人達にも
打ち勝って彼は、現在の地位を築いた。しかし、彼は音楽という才能を神様からもらったと同時に彼の苦悩は始まるのだった。ミュージシャンとして認めてもらうまでの彼の長い下積み生活。音楽がより、ハイに成る為に手を出してしまった
彼。しかし、彼には、事実かどうかわからないが「弟を見殺しにしてしまった」という心のトラウマとの闘いがあり、これが彼の一番の苦悩であったと思う。作品の随所にそのシーンがちりばめられる。
彼の名が高まるに連れその思いは強く、薬から離れる事ができなくなるのだ。
また、もう1つの彼の音楽の原動力は女性関係である。彼は普段、隙を見せる事ができない生活を送っていたせいか女性の前だはまるで借りてきた猫のようだ。彼だって人間。いくら、母親の言いつけと言えども
甘えたい時はあると思う。彼は父親の話をしたが(家庭が3つあった)、彼はそんな父親の様にはなりたくないと思っていたけれど女性関係はかなり派手で色々な女性と付き合っていたようだ。子供も出来ているみたいだし。
しかし、家族を捨てる事は決してなかった。女性関係に甘い彼でも、妻を捨てる様な事は決してしなかった。かなりヘヴィなジャンキーな彼だったが家族、そして、天賦の才能を唯一示せる音楽の前には薬を絶つ決意をし、
実行する。大変な精神力だ。しかし、それを振り切る為には彼の場合、心のトラウマ戦う必要があった。それをも自分で克服していった。
しかし、彼の音楽は人生の歌。彼の音楽は彼そのものなのだ。彼の細かい人生の軌跡は映画を見てわかって欲しい。
レイ・チャールズを演じたジェイミー・フォックスは本当に素晴らしい俳優だ。彼を認識したのはつい最近の事だがトム・クルーズと共演の「コラテラル」でアカデミー助演男優賞のノミネート。当作品では主演男優賞のノミネート。
実力派である。また、演技に掛ける真摯な姿勢。これを抜きにしてこの映画は語れない。もしレイ・チャールズ自身がこの結果、この映画自身を見たらきっと大変喜んだに違いない。
彼を指名したのは何よりレイ・チャールズ自身。そして、色々と彼に自分自身を教えたのもレイ・チャールズ自身である。だから、ジェイミー・フォックスはレイ・チャールズの分身と言ってよいであろう。
最高の演技者だ。
そして、レイ・チャールズ自身の偉大な功績。彼と一緒にセッションを組んだり会って話をしたりしたミュージシャンは彼の事を光栄に思い、今後の音楽活動により一層磨きが掛かると思う。そう、思いたい。実際、現在もう既になを残している
ミュージシャン自身がレイ・チャールズへのオマージュを述べているのだ。やはり、彼は偉大だ。
この映画を見た後、私は本当に勉強不足で申し訳ないが、この映画のサウンドトラックを買い聴いた。何か懐かしい香りがした。とても良い。
こうやって改めてじっくり聴くと本当に彼の音楽の質の高さが理解できる。彼を失ったのは音楽業界での損失だ。
また、レイ・チャールズと言えばサザン・オールスターズの「いとしのエリー」を歌った事でも日本では特別人気がある。彼の遺作の「ジーニアス」では収録されている。
音楽だけではない。彼は南部の黒人文化の支えでもあったであろう。1960年代は南部は考えられないが白人と同一の権利がなく、隔離されていた。これは区別ではない。差別だ。そして、それに抵抗して彼は、南部の黒人達に勇気と希望と
最後には、自分達の文化を根付かせたといってよいと思う。
あの名曲「我が心のジョージア」が1979年にジョージア州の州歌になり、彼の帰郷が許された時、それは成り立ったと言えよう。この時代はたしか、ジョージア州出身のジミー・カーターが大統領だった時だ。
レイ・チャールズ。アメリカの真髄の音楽を身をもって表現した偉大な盲目の天才ミュージシャン。彼の名は永遠だ。
また、この映画で彼を演じきったジェイミー・フォックスにも拍手を送りたい。

レイ・チャールズ スーパー・ベスト 〜オリジナル・サウンド・トラック: Ray 〜
メス・アラウンド
アイヴ・ガット・ア・ウーマン
ハレルヤ・アイ・ラヴ・ハー・ソー(ライヴ)
こぼれる涙
ザ・ライト・タイム
メリー・アン
ハード・タイムス
ホワッド・アイ・セイ(ライヴ)
我が心のジョージア
ヒット・ザ・ロード・ジャック
アンチェイン・マイ・ハート
愛さずにはいられない(ライヴ・イン・ジャパン)
ボーン・トゥ・ルーズ
バイ・バイ、 ラヴ
ユー・ドント・ノウ・ミー(ライヴ)
レット・ザ・グッド・タイムス・ロール(ライヴ・イン・ジャパン)
我が心のジョージア(ライヴ・イン・ジャパン)

posted by diane at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スパイ・バウンド

モニカ・ベルッチ主演のスパイ物フランス映画。共演にヴァンサン・カッセル。夫婦共演と言う事でも少し話題になっていたが…。
最近のモニカ・ベルッチは色々な映画に出演し、演技の幅を広げている。イタリア人だが、ハリウッド映画、イギリス映画、夫がフランス人と言う事もあってかフランス映画の
出演が多いのも否めない。そういう彼女の久々の映画。彼女は、モデルから女優に転進と言うだけあって、さすがにスタイルも良く美貌もある。イタリアの至宝とも呼ばれた。そのせいか映画の中で数々の地味ではあるが
何気なく出てくるフランスのブランドファッションを粋に着こなしている。
ただ、今までとは違うのは彼女はどちらかと言えば彼女自身の美貌を売りに出したような役柄が多かったのに対し、今回は、彼女のスパイという役柄もあるのか随分、雰囲気が違う。
この辺りは、映画自身を見れば十分感じ取れる所であろう。ここでは、彼女の華麗なスパイとしての演技を楽しみたい。
今回のこの映画は実際にあった「『虹の戦士号』爆破事件」という実在の事件をベースにした作品。共演者には現在のフランス映画界の実力者が出演している。俳優・女優だけでなくスタッフにもかなりの
実力者達が名を連ねている。フランスとしてはかなりの力を入れた作品と言う事が出来ると思うが、この手のテーマの作品はやはり、ハリウッド物が得意としているせいか、少し、影が薄い物とならざるを
得ないのは少し残念である。また、ハリウッド物の場合はスパイ物などは敵、味方の区別、何を目的としているのか等が比較的明確。フランス映画のこの作品もかなりいい所まで来ているとは思うが
余り得意ではないのかちょっと押しが甘い様な感がある気がする。しかし、最近のフランス映画を見ていると今までの伝統的な感じの作品からの脱皮を目指しているのか、「クリムゾン・リバー」の様なサスペンス物や
アクション物が増えてきた。また、一時の物凄い暗い鈍重な感じの物だけでは無くなって来たというイメージがある。
しかし、今回のスパイ物は単なるスパイアクションだけでなく、やはり、そのスパイに心理的バックグラウンドがあるためか単なるスパイ活劇という感じではない。
出演者の心理的描写の描き方にはフランス映画はとても上手いと思う。
ちなみに「『虹の戦士号』爆破事件」というのは、1985年にニュージーランド海域で起きた事件で、フランスの核実験に反対していたグリーンピースの船である「虹の戦士」号が爆破され、沈没した。
犯人としてフランスの情報組織の二人が逮捕されて、二人(夫婦を装った男女)は、結局、仏領ポリネシアの島に送られる事でニュージーランドと合意したとの事だが、この二つの国の関係には確執が残ったと言う。
今回の作品にも船を爆破すると言うシーンが設けられているが、ここの部分はこの事件をベースにしたとされている。
この作品の最初の部分はなかなか良くわからなかった。ある男が情報のつまったチップを飲み込んだまま敵に殺されるのだがこの情報を元に作戦が計画される。
しかし、この作戦はなぜ必要なのか、この情報の入ったチップとの関係はとなると描写が不足している感がある。
とりあえずこの作戦の実行をジョルジュ(ヴァンサン・カッセル)率いるチームに任される事になった。しかし、このチームの唯一の女性メンバーのリザ(モニカ・ベルッチ)はこの様なスパイの生活に疲れ、今回の任務を以って引退を
決意していた。しかも、その決意を任務に入る前に本部に話していたという。そうなれば本部の態度が変わるのは当然だ。
ジョルジュたちはとりあえず、モロッコで任務に取り掛かった。とりあえず、リザとジョルジュは夫婦と言う事で入国。しかし、彼女持っているパスポートの国籍が違う。スイスだ。
チームは敵側のもつ船を爆破すると言う任務を実行。これで任務は終了。彼らはモロッコから無事離れるはずだった。しかし、彼女だけは、ヘロイン密輸の容疑を掛けられ、実際に彼女のバッグからヘロインが見つかった。
異変は察知したが今は身動きの取れないジョルジュはパリに戻り、上司に尋ねるが休暇を取る様に逆に言われる始末。一方リザはカサブランカで刑務所入り。そこで弁護士と称する人物から、所内にいるある囚人を殺すように
指令があった。つまり、リザは陥れられたのだった。つまり、投獄。上部からの指令に逆らったら何をされるかわからない。かといって、もう、スパイの任務はしたくない彼女は悩む。一方、ジョルジュは何とか、彼女を取り戻そうと
するが…。
非常に大々的に作られた作品であるが、ある意味、心理描写にも力が入った作品とも言えるが、これがもし、ハリウッド作品ならば別なアプローチで製作されていたであろうと思う。
なお、この作品の原題は「AGENTS SECRETS」である。
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ボン・ヴォヤージュ

2004年のセザール賞受賞のフランス映画。最近、フランス映画で話題になっているイザベル・アジャーニが主役になっている。
実は私は彼女の映画はこれが初めて見た作品である。つい最近、彼女の「イザベル・アジャーニの惑い」と言うのが、公開になっていたが、見損なっていたが
しかし、この作品は見る事が出来た。初めて彼女を見たが非常に魅惑的で、魅了される感じ。お洒落で、いかにもパリが似合うという感じの女優である。
とても、小悪魔的な役どころが似合う雰囲気を持っているようだ。この作品でもやはり、彼女のこの小悪魔的な要素はしっかりと発揮され、それがこの映画の魅力
ともなっている。
この作品は現在のフランス映画界のスターが揃っている映画だと言われている。共演者にはジェラ−ル・ドパルデュー、グレゴリー・デランジェール、ヴィルジニー・ルドワイヤン
が主な共演者。また、監督には「シラノ・ド・ベルジュラック」で有名なジャン=ポール・ラプノー。スタッフだけでも一流と言われる人達である。
また、この映画の見所としてはファッションが上げられるであろう。この映画の時代は1940年だが、ファッションは1930年代後期のパリのファッションデザインや流行を
参考に、多分、超一流のメゾンが関わっていると思われる。映画の内容で、当時の上流社会と呼ばれる人達がこの映画には多数登場してくるので必然的に
当時のパリの流行のファッションと言うものを出してこなければならないし、また今で言う「セレブ」達の集まりなので、当然、メゾンのファッションが出で来る。
時代背景は、第二次世界大戦の初期、ドイツ軍がフランス侵略し、パリ陥落。その前に、パリの上流階級の人達はボルドーに逃げる。日本的に言うと疎開。
しかし、ボルドーでも彼らは華やかな生活をしているし、この混乱の中でも高級な手袋や、バッグなどが手に入ったパリである。やはり、一般市民と上流階級の
人達の間では開きがあるのかな。実際、イザベル・アジャーニ演じるヴィヴィアンヌという女優もパリの高級アパルトマンに住み、インテリアはアール・デコの
雰囲気が漂う。彼女の映画の中で着用している服が一番良い。また、着ている服も彼女の小悪魔的な要素を醸し出すのに一枚かんでいる。
お洒落なパリの中、彼女の小悪魔的な魅力で色々な人が彼女に魅了されていく様子は混乱期なだけに余計に滑稽である。まるで、嘘の様に彼女の思う様に事が進んでいくのだから
信じられないと言う点で苦笑してしまう。彼女は本当に可愛らしい人だ。色々な人を魅了していく。その中で生きてきて今もそう、これからもそうなのであろうと言う事が映画では
暗示される。また、映画の時節柄、ドイツとの戦いのというか、フランスの抵抗を示すが如くの国家的秘密をいかに守っていくかも面白い所である。
時は1940年、ドイツのフランス侵攻直前、女優のヴィヴィアンヌ(イザベル・アジャーニ)はしつこくつきまとうストーカーの様な男を殺してしまう。どうしようもなくなって慌てた彼女は
かつての知り合いの若き小説家のオジェ(グレゴリー・デランジェール)に連絡を取り、助けを求める。スキャンダルを恐れる彼女は警察に連絡しないでくれと頼み、オジェは死体を車に入れて
運ぶ途中で事故を起こし、警察に逮捕されるが、真相は語らなかった。数ヵ月後、パリはドイツ軍の侵攻により陥落。人々、政府はボルドーに逃げる。一方、オジェも刑務所から、上手い具合に
逃げる事が出来た。そして、ヴィヴィアンヌを追ってボルドーへ。
一方、ヴィヴィアンヌはフランスの大臣の愛人となり、やはりボルドーへ。
オジェは途中、列車の中で、カミーユ(ヴィルジニー・ルドワイヤン)と知り合い、カミーユが手伝っている教授のおかげで何とかボルドーに来る事が出来た。実はカミーユと教授は国家的な
大きな秘密を抱えていたのだ。ボルドーの町は大混乱。色々な人が来て、居場所を確保しようとしていた。オジェはようやくヴィヴィアンヌに合う事が出来たが彼女の態度は実にそっけない。
しかし、彼が彼女のせいで逮捕されていたと聞き混乱し、色々と言い訳をし翻弄されるオジェ。しかし、この様子を伺っていた英国人ジャーナリストがいた。彼は実は彼女に好意を持っており、
さらに、大きな秘密があった。彼はドイツ軍のスパイであった。
さて、オジェとカミーユ、ヴィヴィアンヌ。ヴィヴィアンヌ、大臣、英国人ジャーナリスト、オジェ。この複雑な人物関係の中、彼女はどう凌いで生きていくのか、オジェは彼女に翻弄されっぱなしなのか。
大臣との関係はどうなるのか…。これらの絡みがこの映画の見所であり、ヴィヴィアンヌの生きる力が描き出されるのである。
パリから騒乱のボルドーへ。時代が大きく変わろうとしているその瞬間。愛ははじまり、また、揺れて行く。激怒いの時代。彼女は強く愛しいかに生き抜いていくか…。

この映画はミニシアター系で全国一斉公開とはならずシャンテ・シネを中心として順次公開作品である。
posted by diane at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パッチギ!

最近の潮流なのか、韓流ブームのせいなのか、日本映画の中で朝鮮半島の関係者の話題をテーマにする映画が増えてきた感じがする。近隣の国なので当たり前と言えば当たり前ですが…。
この映画を見るまで知らなかったんですが、あの「イムジン河」の歌は放送停止、発行停止だったんですね。
まるっきり知りませんでした。以前に、ハングル語ですが、NHKの何かの特集で聴いた事がありますが日本語バージョンは、初めてでした。
この映画は1960年代の後半が舞台になっていますが、流行なのかな。昨年は「69」と言う映画が公開になりました。ちょうど描いている時期は大体一緒ですね。
現実の社会ではなく、映画の中だし、その時代の事は歴史の一部としてしか、認識していないのですが、映画を見ていると当時の高校生って良くも悪くも現代の高校生よりとても考え方が
大人っぽいし、とても元気があったんだなあと思います。今の高校生にあれだけの元気と言うか、覇気と言うのかあるかと言えば非常に疑問。
ハングルの人達と日本人との間の深い溝。これはなかなか、取り除くのは難しいのかな。この音楽、「イムジン河」は南北に分かれた祖国を思う曲なんだろうけれど、日本に住んでいる
在日の方々と日本人の間にも大きな「イムジン河」がある様な気がしました。今でこそ、韓国と日本の間では、色々な大きなイベントがあったり、互いにアーティストの交流があったりして
かなり互いの溝は縮まって来た様な気がしますが根本的な部分は未だに解決していませんよね。この映画は、その「なぜ? 」と言う大きな部分は触れていないけれども今でも通用する
社会的テーマを持っているんですね
超えようとしても超えられない、その何か一種のフラストレーションみたいなものが描かれているのがこの映画の見所だと思うのです。その中に青春あり、恋愛あり、友情あり。
そのどれの中にも「イムジン河」は存在し続けるけれどいつかはそれを渡って行けるかもしれないという可能性をも述べた映画だと思います。
舞台は京都。1960年代後半。いつの時代にも先頭を走っている高校生はいてそのグループ同士が目が合ってしまった朝鮮学校の生徒と普通の日本の高校生。始めは些細な争いだったけれど
争いはだんだんとエスカレート。その中である日本の高校生は休戦を求めて朝鮮学校を訪れる。その高校生の一人、康介は音楽室から聞こえてくる音楽「イムジン河」の音に誘われて覗くとある一人の少女に会う。
その子に一目で心を奪われてしまった。一方、休戦の方は、朝鮮学校の生徒に凄まれて逃げてしまう。
そんな時、康介は、ある日、楽器店で、坂崎と言う人に出会い、何気に手にしたギターで「イムジン河」を弾いて見た。坂崎は康介に興味を示し、その曲の事を、もっと教えてくれた。
康介にとって、彼はとてもスケールの大きな人間なのだ。一方、康介はますます、彼女と仲良くしたいが為に朝鮮語を覚え、ギターを坂崎に習い、彼女をコンサートに誘おうとするが、彼女はその日は予定が
入っていた。実は彼女は、朝鮮学校の番長的存在のアンソンの妹でそのアンソンは帰国し、その帰国の祝いの宴会だった。康介は逆に彼女の方から、誘われると「行く! 」と返事をしてその宴会に参加する。
そこで、康介は彼女とギターとフルートの合奏で「イムジン河」の演奏。康介はその中に入り、彼女ともとても仲良しになる事が出来た。
ある日、康介は川沿いで演奏している彼女と出会い、対岸からずぶぬれになりながらも、彼女の所へ。そこで告白。彼女の方からはとても、真剣な質問が返ってきたが彼は一言も答えられなかった。
相変わらず、朝鮮学校の生徒との争いは続く。親善の為のサッカー試合も結局はけんかになり中止。
そして、アンソンの付き合っている女の子は妊娠。でもアンソンに言えないでいる。友人の女性は、アンソンのところへ行き、事の次第を告げる。
そして、初めて、アンソンは事実を知るのだった。
ここからがストーリーは急展開。本当の意味の「イムジン河」はどんな事なのか? この人達の関係はどうなるのかは映画を見て知って欲しい。

この映画を理解するには多少、日本の史実の知識が必要かも知れないが、いつの時代にもはちきれんばかりの元気な人達がいて、恋愛に友情にと頑張っている姿がある。
これはユニバーサルな課題であり、何もこの映画の時代に限った事ではないと思う。しかし、この映画は日本の若い人達が一番元気であったであろう頃の覇気とそれから、現在の日本人が認識を
余りしない事実を上手くミックスして述べた映画であると思いました。
いつかは、この「イムジン河」。超えられるといいなと感じました。
posted by diane at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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