2005年08月31日

セルラー

この作品は以前に実は見ています。国際線の飛行機の中のエンターテインメントとして見たのですが、途中から見たので、最初の経緯を知らなかったので
改めて見直しました。久々のキム・ペイジンガーの作品で、中盤から後半にかけて多少の盛り上がりはあるものの個人的な意見としては、作品全体はいまひとつかな。というか、なぜ、そんな上手い具合に電話が繋がれるのかと言うのと、余りにも短絡的に携帯に繋がった青年が応答してその通りにしてやっている(青年が軽い人だから余計に簡単に乗ってしまっているのだと思うがそれにしても…)のと、前半から中盤までの電話のやり取りでの緊迫感は多少はあるが、他の方法もあったんじゃないのかと感じたのとうーん。
飛行機で見た時は後半部分で映画全体に動きが現れていた時だったから良かったんだけどなあ。全体的に見るとだれている映画だなと感じました




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ビヨンド the シー  〜夢見るように歌えば〜

今週はこれが一番見たかったです。ケヴィン・スペイシーの吹き替え無しの歌、エンターテイナーぶり。とても良かったです。これは本当に上手いと思いました。最近はこういったミュージカル物が多いですね。でも、どうなんでしょう。俳優さんの本当の実力?なのか、多様な能力ぶりを要求されているのでしょうか。彼自身はトニー賞も受賞経験し、アカデミー賞も二度取っています。演技力は凄いし、徹底しているなあと感じました。自分で監督したんですね。そのせいもあってか、フィルムから彼のこの作品に対する入れ込みをとても良く感じました。
ミニシアター系の作品ですが、全国公開されていますので機会がある方は是非。
私自身は、ボブ・ダーリンと言う人物は初めて知りました。勉強不足でした。
でも、それを十分に補えるだけのケヴィン・スペイシーの演技でした。


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故郷の香り

初恋って忘れられないんですね。この2人は徹底的に別れてしまっていてもお互いの事が深く刻まれている。それが、故郷という場所に行く事によって自分の思い出がクローズ・アップ。そして、また、会う事によってその時の自分達を思い出すのと同時に自分達の心の清算を図る。なかなか、難しい事だと思います。中国映画ですが、日本の香川照之も出ています。聾唖者の役なのでセリフは1つもありませんが、その代わり表情等で出す、彼の演技力は素晴らしい。ここ数年、彼は色々な日本映画に出ていて、アジアの映画にも出演し始めたとは聞いていたけれど、良い味出していますね。


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「MAKOTO」「赤いアモーレ」「火火」

   「MAKOTO」を見た。最近、多いんだよね。何かこうサイコ・スリラーって言うんですか? この手の映画。霊が見えるとか、予知能力があるとか、超能力とかっての。それに冬なのになんでこんなに、ホラーとかスリラー物が多いのかな。
    「赤いアモーレ」を見た。最近まで六本木ヒルズでやっていた。非常に情熱的。主役のペネロペ・クルスに興味があるので、最近、彼女が出た映画で何を見たか考えて見ると「ゴシカ」「花咲ける騎士道」と本作品。
残念ながら彼女はスペイン人なんですが、スペインでの作品を見た事がありません。残念ながら…。しかし、色々な国の映画界にも進出大人気ですね。
スペイン語、英語、フランス語、イタリア語凄い! 会員割引の日でしたので行きました。

    「火火」を見ました。凄いですね。陶芸にかける女性の生き様。そして、自分の子供が実際に白血病になり、骨髄移植の運動をして、骨髄バンクのできるきっかけになった女性。田中裕子、迫真の演技。
そして、「アメイジング・グレイス」のアレンジされた曲が最初と最後に。
これ、映画も良いけれど曲も良いです。サントラ買おうかな。映画館で涙する人も沢山居ました。シネスイッチ銀座。 
こんな事なら先日の神山清子講演会と先行上映に行きたかったです。

本当はそれぞれちゃんとしたレビューを書きたかったんですが、最近時間が無いのと、書く意欲が失われていてこんな感じになってしまいました。
そのうち、ちゃんと書きたいとは思っているのですが…。


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ペルヴィル・ランデヴー

この作品は昨年のアカデミーにノミネートされていました。
で、最近、日本で公開されたんですね。

全体的にこの映画は私個人の感想ですが、とても、ヨーロピアンな雰囲気を持った映画だと思います。絶対にこれはハリウッドではこんな感じには作らないでしょう。とてもウィットに富んでいてセンスあるフレンチアニメーションだと思いました。

でも、映画の原題をそのまま訳すと「ペルヴィルの三つ子たち」なんですね。
で、邦題もせっかく付けてそのフランス語も付けているのだから「ランデブー」の「ブー」の部分は「ヴゥー」とかにして欲しかったなあ。できればですが…。

まず、映像はとてもexaggerateがあるにも関わらず、何ともいえずnostalgy
を感じさせる雰囲気ですね。
何と言っても特徴が殆どセリフなしで映像でストーリーを引っ張っていますから誰にでもわかる位の誇張表現は必然的な物だったかも…。
また、どこと無く映画に実写の部分をまぜそれがとても自然に溶け込んでいた事等も興味あります。

また、この中の登場人物の「おばあちゃん」が愛犬のブルーノをつれてペルヴィルの街を訪れるのですが、この街が何と言ってもアメリカのニューヨークを
もじっているのかなと思わせる様な物でした。
そして、ここで起きる出来事、何となく舞台はきっと1920〜1930年代なんでしょうけれど、マフィアのはびこる禁酒法時代を想像させ、フランス人のアメリカ人像というのが、窺い知れる所が非常に面白かったです。

音楽も非常に軽妙。いかにもフランスらしいという感じでした。

この映画の一番の特徴は上記にも述べていますが、セリフがなく、殆ど映像の動きでストーリーを引っ張っている事です。これは、少しびっくりしました。

それに、この作品は様々な映画祭に出品され、色々と賞を受賞し、時には、「ファインディング・ニモ」をも抑えたときもあるとの事。

実は、映画館でこの映画に登場する犬のぬいぐるみが販売されていたのですが
欲しかったです。(涙)

この映画はフランスとカナダとベルギーの合作映画。フランス語圏の国々が協力して作った傑作だと思いました。
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Uボート 最期の決断

潜水艦ものの映画と言うのは思ったより沢山ある様な気がする。でも、自分としてはそんなに見ていないと思う。映画館でも、DVDでの観賞をも含めて
自分自身は今までに「U・ボート」「レッド・オクトーバーを追え!」「K−19」ぐらいでしょうか?
こういう感じの映画はきっと余り女性向けではないんですね。きっと。というのか、昨日、この映画を見に行った時、私以外の観客が全て男性でした。
まあ、深夜12時過ぎの上映でしたから…。私の場合はこの時間帯だと安いので行ったんですよね。
この映画の全編を通して言える事はリーダーの決断の重要性、的確な判断とそのタイミング。だったと思います。随所にリーダーに対して決断を迫るシーンがありました。
やはり、タイミングを逃すと失敗し、また、信頼をいかに得るかで以って部下が上手く働き、尽くす事ができると言うのが描かれていたと思います。
特に命と名誉の掛かった戦時下と言う特殊な条件。瞬時に判断できる事が彼らには要求される事なんです。力量、信頼感、部下の気持ちを推し量れる事、リーダーに要求される事は
沢山あるんですね。特に信頼感は大きいでしょう。この部分に関しては、うちの上司に見せてやりたい!!
俳優さん、割と最近良く見かける方が出ていました。ウィリアム・H・メイシー。彼は本当によくメジャー映画に何気に出ています。この頃、見た中では、「シービスケット」、これから公開されますが
私は運良く、お先に国際便の飛行機の中で「セルラー」を見た時に出ていました。
もう一人、私が注目した俳優さんはトーマス・クレッチマンです。彼は、あの名作「戦場のピアニスト」に出ていました。他に私が見たのでは「ゴッド・ディーバ」「バイオハザード U アポカリプス」ですね。
軍隊の事は良くわかりませんが、地位の中でCHEIF OF BOATと言っていた物です。字幕でもチーフとして訳していましたが、実際はどういう地位でどこまでの権限を持ち仕事をしていたのか。もう少しわかりやすい訳はなかったのか
ということですね。
さて、ストーリーは大体の潜水艦映画が描いているのと同じ様に名誉にかけて死を選ぶか、生き延びていくかなんですが、この映画の特徴は決断と上司に対する部下の信頼です。信頼できる上司には部下は
無言で従います。その信頼をどこまで保てるか。それがリーダーたるものの器量。
第二次大戦下、ナチス・ドイツは大西洋の制海権と地中海を自由に秘密裏に作戦行動が出来るようにUボートを建造します。呼び名でこれらのUボート軍団はウルフパックと呼ばれ、恐れられていましたがUボートに勝たないと
連合国側に勝ち目はありません。そこで、米英の両首脳はUボート壊滅作戦を立て協力して行う事になりました。アメリカの潜水艦U.S.S. SWORDFISHも例外ではなく主人公のネイトを他乗組員を乗せ出発します。
しかし、艦長は実戦の経験が浅く、言わば親の七光りでなったようなもの。副長も似たり寄ったりで結局、チーフ(本当にこんな地位があったのか?)のネイトが頼り。ところが、毎日とは言わないまでもわずかの期間の間に艦長の指示で
27回もの訓練(DRILL)に部下達はあきれ果て文句が出てくる。潜水艦ですから密室だし閉鎖された空間だし、戦時下だし、疲労、不満、頻繁な訓練に艦長からの明快な回答が無いままに日々過ぎ去っていた。
ある日、副長が病気で倒れる。具合が悪かったのに軍医にも見せずただ、耐えていたのが限界に達したようだ。副長を診察した軍医は直ちに伝染性のかなり強い髄膜炎と判断。隔離を申し出る。特に発疹がその印で二人目が現れた時には
この病気の進行を止める保障は無いと言った。それを聞いたチーフのネイトは艦長にその事を伝えたが(正確に言うと聞く耳持たないから、伝染性の病気とはっきりは伝えれなかった)艦長は意に介さなかった。「生きている限りその任務に
付け」と言う事だった。
そうこうしている内に敵船に遭遇。問題は敵の魚雷(torpido)である。こちらの攻撃が功を奏したのかと思うのもつかの間、逆に反撃に会い、かなりの損失。damage reportを求めても正確な答えは無い。浸水し、船としての命は時間の問題だった。
総員退避命令が出た。皆を避難させている時に艦長の存在がない。ネイトが見に行った時、艦長は怪我が激しく、しかも髄膜炎が伝染していた。
所が敵艦のUボートが彼らを助ける。つまり、捕虜である。ここで敵艦内に亀裂が走る。敵艦の中で、このことを良く思わず艦長を信頼していない者が現れた。
助かった捕虜の中で米軍の艦長はこの事実を味方に知らせたり、色々と指示をしたりするが、こちらの中にも艦長を信頼しない者が出てきた。
髄膜炎の病気はドイツ兵にも伝染して行った。どちらの艦の艦長も部下の信頼を得られなかった。雰囲気はどんどん悪化。そんな中、アメリカの駆逐艦を発見した。捕虜達はドイツ兵の攻撃を妨害。
ところが、妨害したが、発射準備に入った魚雷は艦内に留めて置く事は出来ない。仕方なく発射された魚雷によって、このUボートはアメリカ側に発見されて今度は標的になってしまう。このUボートも駆逐艦によってかなりのダメージを受けていた。もう、長時間航行は不能。
Uボートの艦長は全員の命を救う為にどうしたらいいか考えた。ここはカリブの海域。アメリカの掌に入ったも同然。ならば協力してこのUボートを上手く航行させアメリカ側の助けを得ようというものだった。これはつまり、Uボートの降伏を意味する。
チーフのネイトは今や上司の艦長も亡くなったとなれば今度は自分が事実上のアメリカ側の艦長。部下達への説得が大変だった。それはドイツ側も同じ。「敵と手を組むとは」「憎めと教えられた相手と組めるか」と色々と
反論はあったが結局、両者、協力していく事になった。しかし、ドイツ兵の中には反乱分子がいた。彼らはアメリカ兵を殺そうとしていた。しかし、いざそれを行おうとした時、自分達の艦長を殺した。今度は副長が艦長だ。そのドサクサに紛れて反乱分子がドイツ側に打電した。
今度は、また新しいUボートが来た。そして、その一方でアメリカの駆逐艦もいる。三つ巴の中でどうなるかが面白かった。
信頼って大切ですね。
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恋に落ちる確率

2003年デンマーク作品。
ほんの一瞬で、人間はいとも簡単に恋に陥り、全てを捨てて、その人の元に行けるのだろうか?
その為に自分の周囲の物事が全て変わっているとしたら…。そんな風になっても自分がその時、直感的に運命を感じた相手に全てを託してもいいのだろうか。
これは冒険である。運命の恋を取るか、今までの自分の生活を守るか。未来はどちらにしても無限。
新人監督の手になる恋愛映画。デンマークではトリアー監督に次ぐ存在と注目されている。数々の映画祭にこの映画は出品され色々な賞を受賞している特にカメラワークの良さを認められて2003年のカンヌ国際映画祭では
カメラドール賞を受賞している。
また、撮影も全編に渡って全てロケーションによる物だと言う事も特筆できる内容であろう。
この作品を見てとても印象的だったのが、作品の始めの所と最後のエンドロールが「五線譜のラブレター」で再び再燃されている人気音楽家のコール・ポーターの「NIGHT AND DAY」が使用されていて中々微妙な雰囲気を醸し出している。
また、もう1つ面白い点は、この映画の中で、主人公の男性の運命の女性の役をしている人物と、日常生活による彼のガールフレンドの役者が同じ。すなわち、一人二役であると言うことも特筆すべき事柄かと思われる。つまり、彼女の存在は映画全体のキーポイントなだけに
同一人物を配し、それで究極の選択を主人公に迫らせ、また、メイクの変化でそれを観客に余り気づかせない? 逆に言うと気づいて欲しいのかも知れないという状態にしている。
なかなか洒落た演出だ。どちらにしても同じ女性と言う事になるのかな?
アレックスはガールフレンドのシモーネとほぼ半同棲生活。ある日彼は彼女と父親と共にレストランで食事をしていたが彼は父親が超苦手。なんとか言い訳をしてその場を去り、後で、シモーネと会う約束をした。
一方、運命の女性なのか? アイメは夫と共にコペンハーゲンに来ている。この夫は映画の中でも述べているが愛情表現が非常に下手なのである。そして、愛していながら、アイメに寂しい思いをさせてしまっていたのだ。実はこの日も夫は出かけてしまって、アイメは一人きり。
一人で、コペンハーゲンの街をうろついていた。
地下鉄駅のホームでシモーネを待っていたアレックスは彼女を見かけてたちまち一目ぼれになってしまう。そして、シモーネとの約束も忘れ、アイメの後を追いかけ、バーで話を始める。あっという間に親しくなる2人。2人ともここであっという間に
恋に落ちて、アイメのホテルで一夜を過ごす。
翌日、アレックスは目を覚まし、出かける準備をして、何気に見ていたパンフレットにメモ書きをする。「ここで13時に会おう」と書いて。彼はアイメを寝かせたままホテルを出た。その時、夫がホテルに戻ってきて、途中で彼らは顔を合わせるが当然ここでは他人なのでぶつかった事の謝罪程度にしかしない。
夫は部屋に密かに戻り、昨夜、誰かがアイメと一緒にここに泊まった事に気づき、さらにアレックスの残したメモまで見つけてしまい、落ち込むがまたこっそりと部屋を出て行くのであった。
一方、アレックスはアパートに戻るが不可解な事ばかりがこの時から頻発。自分にはさっぱりわからないのである。例えば、アレックスの部屋はなくなり、他の住人達も彼を知らないと言い、彼の友人達、そして、ガールフレンドのシモーヌでさえ彼の事は知らないという始末。
アレックスは自分の周りに何が起きたのかわからない。まるで魔法の世界にいるようだ。しかし、彼はアイメを選ぶという事はこういうことなのかと言う事を心の底で疑いつつあり、こうなってしまった以上彼の選択はアイメを選ぶしか無い様に思えた。
何が何だかわからないうちに彼は約束の時間にアイメに会いにレストランに行く。2人はデートをし、一緒にいようと誓い20時にもう一度会ってここを離れようとしていた。
ホテルを出ようとするアイメ。出発の準備をしている時に夫が帰ってくる。アイメは夫に別れを告げて去ろうとする。夫はなんとか引きとめようと必死に説明し自分はとてもアイメを愛しているのだが不器用な為に上手く表現できないでいる事を告げる。しかし、アイメは夫の元を去る。
一方、アレックスも、魔法の世界にいる様な感覚でいるのだがやはりアイメと共に行く事を決めて、どんなにアレックスの事を知らないと言ってもガールフレンドのシモーヌの元に行き、別れを告げようとした。所が、なんとシモーヌから離れられない自分。約束の時間はもうすぐ。
アレックスは果たしてどちらの選択をするのか?   アイメと行けば魔法の世界、シモーヌを選べば現実の世界。アレックスには苛酷な瞬間だ。
人間にここまで究極の選択をさせるのは本当に辛い話だ。
作品全編に渡ってこういうトリック的な要素をずっと散らばせる手法は中々興味深かった。
また、映画の中で使われた音楽も中々タイミングよく使われていて印象深いものであった。
一体、人間が運命の恋と信じれる、決意できる瞬間ていつ、どんなシチュエーションなんだろうか?
考えさせる作品である。
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ユートピア

最近、よく思うのだが、「未来が見える」とか「人の見えない何かが見える」「死後の世界」という類の一種のサイコ・サスペンスが多い様な気がする。
この話もやはり見えてしまう人間の苦しみや、その特殊な能力を持つ故に苛まれる運命。あるのかも知れないけれど、近年こういう映画が洋の東西を問わずに
製作され、公開されるというのは流行なのか?  それとも、我々人間が未来に何かの不安を感じ、それをこういう形に表しているのか、とても不思議な感じがする。
あまり、見えすぎても怖いのだろうな。
この作品は2003年のスペイン・フランス合作映画。
この映画のタイトルの「ユートピア」は意味的に言えば「理想郷」。我々はそれを目指して戦い、悩みもし、憧れ、想像し、苦難にも耐えるのだが、果たしてあるのだろうか?
この作品の最後では「きっとある」と言っているがそうだろうか。
予知能力のある人達のグループ「ユートピア」。未来が見え過ぎると見えなくても良い事まで見えてしまい、それが悪夢となる。このグループはそうした見える事を悪夢に変え無いようにする、未来を予言しても良い方面に生かす
と言うのがこのグループの目的。
このグループに入っているアドリアンはマドリッドで毎日、悪夢に悩まされ続けていた。それは、警察の敷地が爆破され、ちょうどそこに居合わせた母子が巻き添えで命を落とすというものだった。それを予言にしに警察に行ったのだが
警察はまともに受け取らない。ちょうどその時その事故が起きた。
6年後、アドリアンはグループとの接点も絶ち、ひっそりと暮らしていたが、ある日、突然かつてのユートピアの仲間が、彼の元を訪ねた。仲間のリーダー的存在のサミュエルが病気で大変な状態にあることを告げる。
彼は、急いでサミュエルのいるサラマンカに向かいサミュエルに会う。サミュエルはこの能力のために世間に馴染めないでいたアドリアンを迎え入れてくれてアドリアンは「ユートピア」というグループの中で能力を伸ばしていた。
サムュエルは彼に「予知能力を悪夢に変えるな」というのだった。つまりアドリアンは現在、自分の能力を持て余し、その能力のために大勢の人間が死んでいくのだが何も出来ない自分に歯がゆさを感じ、それに苛まれていたのだった。
アドリアンは予知の夢の中で死んでいく子供を抱いた一人の女性が南米にいる姿が目の前にちらついて仕方が無かった。サミュエルは彼に、彼の為だけでなく、彼女の為にも、探し出せというのだった。実は彼女の名前はアンヘラで
スペインでは裕福な家庭の一人娘だという。彼女は南米でボランティア活動をしている時にカルト的ゲリラ集団に拉致誘拐され、マインドコントロールを受けて、そこの一員として活動していた。
一方、6年前警察で爆破事件で家族を失い、片目になってしまった刑事のエルヴェはアンヘラの母親から捜索願いを受けていた。彼は事実、こういう拉致被害者の救済の仕事を警察内でしていた。
そこで、アンヘラの動向を調べ始める。アドリアンは能力やわずかな情報で、アンヘラがスペイン国内にいる事をつかみ、彼女に接触を図る。彼女に見つかって銃口を向けられたアドリアンは「君のためだ。ここから逃げろ」と言うだけだったが
マインドコントロールを受けている彼女は彼を信じる事が出来ない。そんな所にゲリラのリーダーが現れ、彼を捕まえる。捕まえられた彼とアンヘラは少しずつ言葉を交わしながら心を通わすのであった。しかし、リーダーは彼の処刑を決めていた。
何となくグループのやり方に不信感を抱いていたアンヘラは処刑の場で偽り、アドリアンを助けるのであった。そして、彼女自身も脱退しようとした。アドリアン達はテロリスト達から狙われる立場になった。
アンヘラはアドリアンの元へと行き、安らぎの場を見つけようとする。アドリアンは、少しずつアンヘラに心を開き、自分の能力の事、自分のグループ「ユートピア」の事を語ろうとする。
そんな時、警察のエルヴェはアンヘラとアドリアンが一緒であることを突き止め、彼らを捕まえようと追い回し始める。そして、激しいカーチェイス。その後…。

予言をする時の様子はどの映画でもなんか手がかりとなる様な物を壁等に一杯に張り、予言の様子を紙に書くのだなと思った。
なんか、本当にこんな感じの映画が多いような気がするが気のせいか?
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キス・オブ・ライフ

003年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式招待作品。
人間が突然、死を迎えた時という内容の映画は沢山あるが、これもまた、死を迎えた時、自分の周りの愛する人達への思いの強さというのを表現している映画だなと感じた。
実際、この映画で死んだ主人公のヘレンは自分自身、死んだという状況を受け入れる事が出来ずに魂が現世に残っていく。
子供と言うのはなんて敏感なのだろう。彼女の魂の気配を感じて、色々な動きを見せる。
しかし、人間は実際に死を目の当たりにするまで、極めて日常的な当たり前の事がどんなに大切なのかと言う事を気づかないでいる事が非常に多い。その意味でこの映画はとても意義のあるものだと思う。
それを、我々に再認識させてくれるから。
でも、この映画は、この非日常的な「死」と言うのは実は家族のどのメンバーにも目の前にぶら下がっている物なのだ。映画の始めの方で家族の普通の生活を営んでいるシーンがあるが、何気ないシーンなので
見過ごしがちであるが、実はこの映画全体のトーンを決めていると言っていいと思う。ここでも、既に各メンバーが自分達自身が死と隣り合わせにいる事をさりげなく描いているのだが、皆、誰も気づいていない。
ここで言う各メンバーが「死」が目の前にぶら下がっていると言うのは家族5人のうち、主人公である母の存在は「死」を実際に迎え、祖父は人間には必ずしも逃れられない老化による「死」、夫は危険な地帯に仕事で出かけていて常に「死」と
隣り合わせ。子供達2人のうち、特に下の男の子は実際に母の死の現場を見てしまう。でも、こんなに「死」がこの家族を、現実の我々を取り巻いていても普段は何も考えない所が怖いところである。
家族、今、日本では崩壊の危機にあると言われているが、その絆の深さ、一番、会いたい人一番大切な人に、いざと言うときに誰に最後のキスを送りたいのかと言う事を実際の死を以って描いていると思う。
これは、一昨年、日本で公開された「死ぬまでにしたい10のこと」と何となく繋がりを感じる。最もこの作品は主人公は「死」を見据えて自分の大切な事を整理し行っていくことだが、「キス・オブ・ライフ」は「実際に死んでから自分に
遣り残した物を感じて魂は現世に残り、それが果たされるまで存在するというアプローチの違いはあるが。

主人公のヘレンは自分の父親と子供2人とロンドンに住んでいる。夫のジョンは東欧の戦争状態の激しい地域に派遣され救援活動の仕事についていて普段は家にいない。その日もいつもと同じ様に事は進んでいくはずだった。
しばらく家族の元に帰って来ないジョンの事をヘレンは考え、今までも約束していても帰って来ない夫だったが今度こそ、夫の帰りを待っていた。連絡しても今回も何やら難しい様子。なぜそれにとらわれるかと言うと今週末は彼女の誕生日であった。
しばらく会っていない夫。家族間の繋がりが何となくチグハグになっていくのを恐れているヘレンにしてみれば自分の誕生日と言う事以上に家族間の繋がりをしっくり生かせるためにも彼の帰り、存在は必要と感じていた。
何かを感じたのか、ジョンは「仕事が自分を必要としている!」と言って電話を切るのだが、心の中に何か不安を感じたのだろう。突然、帰ると言い出して帰国の途に着いた。しかし、ここは危険地帯。途中まで国連のスタッフが付いてくれたが
その後はどうなるかわからない。この後、彼は、さまざまな事件に遭遇するのだ。これから彼に起こる事件と家族に起こる事件の関連性、死と隣り合わせの恐怖を描くのに、ヘレンの視点と交互するように描かれていて少しわかりにくいかもしれないが
いつもの朝、ヘレンは娘のボーイフレンドの事で色々と悩み、また、父親はコーヒー1つ満足に入れられない。息子のテリーを学校まで送り、いつもの様に帰ろうとしていた。所がこの日に限って息子のテリーは母親の姿が消えると同時に学校に入らず
その辺りをぶらぶらしている。ヘレンは自分が今どうしていいのかわからない悩みの真っ只中。家庭内の出来事の全てが自分に覆い被さってきている様な感覚。ジョンと一緒に写っている写真を眺めながらヘレンは道路に立ち尽くす。その瞬間
ヘレンは車に跳ねられて重態。その瞬間を見た息子のテリーは心の中に刻み込まれ、その重圧からずーっと逃れられなくなる。つまり、その瞬間を見た後、そのままにしてしまい逃げてしまったからだ。小さいながらも罪悪感に駆られるテリー。
病院に運ばれ、死を家族に告げられる。子供達の祖父であるヘレンの父親はその事をジョンに告げようとしたが、一方、ジョンも危険地帯の中で、大変な思いをしていた。携帯は取り上げられ、ジョンはヘレンの死を知らない。ここからがジョンの
苦難の旅の始まりだった。
ヘレンは目覚める。しかし、それは死後の世界。魂だけが現世にいるのだ。自分自身も何が起きているのかわからない。ジョンの姿を見かけたり、また、暗く沈んでいる家族を見てなぜなのかを考えたり。
これ以降は話がとても複雑で、ヘレンの家族に対する愛情とジョンに会いたいという情熱の為に魂が色々な所に飛んでいく。一方ジョンも、夢の中でヘレンと会い、自分自身の意識もトリップしたりする。しかし、そんな出来事の中で、ヘレンの魂は何とか家族間の繋がり
を持とうというシーンが沢山出てくる。上の娘ケイトと髪を結んであげるシーン。夢に悩ませられている息子のテリーに優しい言葉をかけてやるヘレン。ここで、今まで上手くいかなかった家族生活を埋め合わせするかの様な感じだ。
そして、家で問題が起きた。蛇口が壊れ、水が出しっぱなし。家中水浸しだ。家族総出で掃除をした。そして、全てを元に帰すように…。全てを洗い流すように。
苦労に苦労を重ねて、ジョンがロンドンの家に帰ってくる。ヘレンとジョンは玄関で最愛で最後のキスをする。そして、今まで言えなかった言葉を互いに交わすのである。
そして、ヘレンの魂は安らかになっていくのだった。

この映画の家族を思いやる気持ち。誰を待っていたのか、何をしたかったのか、これを探るのがテーマなのだが、魂のトリップの仕方と、家族各人の夢の様子がリアルなんだけれども、入り乱れて
少し、わかりにくい部分があるかも知れないが、人間の愛の深さを再認識するには良い映画だと思う。
posted by diane at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アンナとロッテ

この作品を見て特に最後はなんて可哀想なんだろう。時代のトリックってなんて残酷なんだろうと感じました。
見ていた人の中には涙ぐむ人も少々。
2002年オランダ映画。2004年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。
作品を見に行った時は公開初日でしたので、「ダヴ」のトリュフチョコレートを頂きました。まだ、食べていないけれど…。
人間の浅ましい部分、打算的な部分。人間を人間と思っていない人達。時代が人々を弄ぶ。この時代、特に、第二次世界大戦前後の時代は色々と翻弄された人は
かなりいるはず。その一例に過ぎないのかもしれないけれど、やはり、なんて時代って、環境って悲しい、それによって本当は互いに愛しているはずなのに、互いに仲良くならなくてはならないのに
恨まなくてはならないなんて残酷。
確かに悪い時代と言ってしまえば簡単だけれどこう言った不条理な戦争の存在、人々の心を何年も死ぬまで苦しめていくもの、こう言った物
を人間は本当に芯から望んでいるんだろうか?
この映画は歴史的事実の中に埋もれた人間の歴史の物語。人間の歴史。ヨーロッパではかなり原作が売れたとの事ですが、表現しがたい数奇な運命、苛酷な人生を歩む事を余儀なくされた双子の姉妹の
劇的である意味、芸術的美しさを持たして描いた一品。
アンナとロッテは双子の姉妹。幸せな毎日を送っていたが、ある日、両親が死に、彼らは両親の葬式もそこそこに別々の家に引き取られていった。
この別々に離して引き取ろうと大人が決めていく所を見ていたら本当に人間て義務なんだろうけれど打算的なんだなと強く感じました。
互いに名を呼び合って別れていくシーンは非常に切ない。
アンナはドイツの農家の家に引き取られ、学校に行く事も許されず毎日、こき使われ、労働の毎日だった。農家が無理してでも引き取りたいと言ったのは奴隷の様にこき使う事の出来る人間が欲しかったんだと思う。
一方、ロッテはオランダの裕福な家庭に養女として引き取られとても愛情深く育てられた。
しかし、離れてしまっても会いたい気持ちは同じ。互いに手紙を書き合うが養っている家の保護者によって、わざと連絡不能の状態にし、互いに相手を忘れさせようとした。
年月は過ぎ去り、ロッテは、進学して大学で音楽と自分の母国語であるドイツ語を勉強していた。アンナは、農家の家の酷い仕打ちから逃れ、メイドの仕事を得て自活の道に進んでいた。
ますます、ドイツの台頭により、ヨーロッパが戦場の気配を強くしていったのもこの時代である。当然ドイツはナチスの影響で反ユダヤの旗を掲げる。
一般のドイツ人達も思想的に感化され始めたのもこのころだ。
ある日、ロッテは養父母たちがわざと手紙を出さないでいた事を知り、自分の養父母に怒りをぶつける。そして、ロッテはドイツの名門貴族の家にメイドとして働くアンナの元へ訪問する。
わずかな時間だがお互いの思い、生死の確認をしあった二人。ロッテは一緒にオランダに来ないかとアンナに話を持ちかけるが、伯爵家に対する恩義からそれを断る。
実はロッテにはオランダで同じ音楽の道を歩んでいた男性と恋人同士の関係にあった。二人で一緒に過ごせる最後の日、ロッテはアンナに一枚の写真を見せる。そこには婚約者の顔があった。
それを見たアンナは思わず「ユダヤ人?」と訊いてしまった。この一言がロッテにとってはショックであった。ロッテは悲しみを抱いたままドイツを去った。その日以来ロッテはアンナに対して何となく拒絶の意思を表していく。
これは政治的に仕方の無い部分だなと私は感じた。ドイツにいるアンナにとってしかも政府の要衝にいる家でメイドをしている身分としてはユダヤ人に対する嫌悪感、そこまで行かなくてもユダヤ人を避けるという言動は仕方の無いものなんだろうと思う。
そして、それを言われたロッテは自分の愛する人を否定されたようでとても悲しい思いだろう。そして、アンナを何となく避けてしまうのも仕方の無い事かも知れない。しかし、アンナはなぜロッテがと腑に落ちないのである。
この政治が人間関係を崩すと言うのは本当に悲しい出来事である。
そして、アンナは機会があってナチスの将校と結婚し、ロッテはユダヤ人の音楽家と結婚し幸せな道をそれぞれ歩んでいた。
ある日、ロッテの婚約者はユダヤ人と言うことで収容所に引き取られる。アンナも夫が戦争で遠くに派遣されるという事で互いに愛する人の帰りをひたすら待った。
互いに戦争終結をそして、一方は反ドイツ・ナチスの思いを募らせ、一方はますますナチスに洗脳されていくのだった。しかし、互いに平和を願う気持ちには変わりは無かった。
悲劇はここからなのだ。
この悲劇は実際に作品を見て理解して欲しい。
特に、ラストの15分は本当に泣けてきます。
posted by diane at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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